第56話 領主アランツィード・テウスパール

 城の灯りを消すと夜の闇に包まれる。


「明日は嵐になるかもしれないな……」


 窓越しに街並みと空模様を見やって、アランは言う。

 その嵐に乗じて仕掛けてきたら……

 そう考えるとゆっくりしていられなくなる。

 アランはテーブルにディスプレイを映し出す。

 そこには簡略化されたクリュメゾンの街並みが立体映像で投影された。


「南は停戦協定をしている。油断はできないが、信用はできる。警戒しなければならないのは、東と北か」


 ディスプレイに四つの国旗が出る。

 中央都市国家であるクリュメゾンは四方にある国に取り囲まれている。それらが一度に攻め込んだ時のシミュレーションをする。


『それは杞憂であってほしいものですな」

『杞憂になるものか』


 オラムとのやり取りを思い出す。

 四方諸国がこの国を諦めるはずがない。今も虎視眈々と狙っているに違いない。

 少しでも隙を見せようものならば……。嫌な予感とともに汗が滴り落ちる。


コンコン


 ドアをノックする音がする。


「私です、お兄様」

「……ファウナか」


 ホッと一息つく。しかし、それを悟られないよう、アランは冷静に答える。


「入っていいぞ」

「失礼します」


 ファウナは一礼して、入室する。


「こんな時間に来るとは珍しいな」

「あ、はい……お疲れのところ申し訳ありませんが」

「いいさ。一息つきたいところであったからな」


 アランは椅子の背もたれによりかかって一息ついて見せる。その様子をみてファウナは落ち着いたようだ。


「シミュレーションをしていたのですか?」


 ファウナは視線をテーブルの立体映像に移す。


「ああ……ジェアン・リトスの配備を割り振らなければならないからな。どのように配備すれば効率的に四国のけん制になるか……」

「頭の痛い案件ですね」

「大したことじゃないさ。中央都市国家領主の責務だからな」

「その責務……私にも背負わせてくれないのですね」


 ファウナは愁いを帯びた声色で言う。


「ファウナ……君は何も心配することは無い。全て私に任せておけばいい」

「ですが……! 私もお兄様の御力になりたいのです。お兄様の御傍にいたいのです!」


 ファウナは懇願するようにアランへ言う。


「それで、武芸の稽古を?」

「はい……ディバルド卿には無理をお願いしてしまいました……」

「もうそのような真似をしないでくれ……そんなことをしなくても、君は私の力になっている」


 アランは立ち上がり、ファウナの頬を撫でる。


「あ……」


 その動作に、ファウナを赤らめる。


「お兄様……」

「ファウナ……君がいるから私は戦える。城で待っている君を守るためなら、いくらでも力を引き出せる」


 アランはファウナを抱き寄せ、力強い言葉で語り掛ける。

 ファウナはその声の心地良さを感じる。


「はい……ですが、私達は兄妹です」


 しかし、これは禁忌だ。と、心の奥底から警告が発せられる。


「わかっている。だから、戦うんだ」

「ですが、もし戦って生命を落とすようなことがあれば、私は生きていけません……」


「私は死なない。何があっても勝って成り上がるよ。

――君の為に」


「お兄様……私も、私も……」


 その先の言葉を必死にこらえる。

 今言ってはいけない。

 その先の言葉は、アランが戦いに勝ってから受け取るはずの最上の報酬。それを今この場で受け取ってはならない。

 負けない為の戒め。勝ち上がる為の誓い。

 だから、アランはファウナの口に指をつけて止める。

 不思議とその仕草で、胸からこみ上げてきた言葉がすっと引いていく。


「その先は――私がジュピターになってからだ」

「……はい」


 ファウナはそれだけ答えて、部屋を去る。


「……これでわかってもらえるといいが」


 一人残ったアランはそう呟き、再びシミュレータへ見やる。

 なんとしてでも、勝たなければならない。

 このクリュメゾンという領地を守り抜き、他の中央都市国家に攻め入る。そうして自分の所有領地を拡大していけば、木星皇・ジュピターになれる。

 そうすれば、アランは望みを叶えることができる。

 ジュピターにだけ許された禁忌の望み……その望みの為にも、なんとしてでも。


コンコン


 ドアをノックする音がする。


「私です、お兄様」

「……ファウナか。まだ何かあったのか?」


 ドアが開く。




「また、この夢……?」


 エリスはうんざりしたかのようにぼやく。


――夢の中でなら会えるから


 また少女の声がした。


「んで、またあんた? 一体何なの?」


――つれないわね、私は会いたかったのに。


「私は会いたいとは思ってないわ。ま、そっちが会うっていうなら別に会ってもいいけど」


 エリスの返答に、クスリと笑う声がする。


――いずれ会うことになるわ。あなたが失くした腕を追い求める限りね。


「腕……?」


 そう言われて、エリスは自分の腕を確認する。


「ない……?」


 両腕が無くなっている。

 ちゃんとマイスターに取り付けてもらったのに。


「あ、あぁ……!」


 声が震える。

 喪失という現実が襲い掛かってくる。何よりも怖い悪夢だ。


「私の、腕……どこ……どこにやったの!?」


 エリスは叫ぶ。


――教えて欲しかったら、私のところに来なさい。

――これで、私に会いたくなったでしょ?


 煽るように声はする。


「会いたくなった? あんた、何者よ?」


 震える声で問いかける。喪失の恐怖を精一杯の怒りで押し殺して。


――会えばわかるわ


 声は嘲笑するかのようにそう返答する。




「彼女がエリスだ」

「初めましてエリス」


 優し気な声で語り掛けてくる。だが、エリスにはわかっている。

 これは哀れみだ。

 珍しくも儚い物を見つけた嬉しさでいっぱいの声だ。


「よろしくね」


 彼女はその手を差し出す。だが、その手を握り返すことがエリスにはできなかった。


「ああ、手がなかったんだったわね。ごめんなさい」




「ああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 シーツをひっくり返して飛び起きた。


「きゃあ!?」

「うおわ!?」


 悲鳴が二つ聞こえた。

 ただ遠くで聞こえたような気がして、自分には関わりがないものに思えた。


「はあ……! はあ……!」


 息が荒い。

 身体が熱い。能力を使った憶えはないのに、芯から燃えているかのようだ。


「どうしたんだ?」


 声がする。

 夢の中であった少女のものじゃない。


「ダイチ?」

「ああ、大丈夫か?」


 ダイチは心配そうに訊いてくる。


「大丈夫よ」


 エリスはそう答えて顔を上げる。

 周囲にミリア、イクミ、ダイチ、フルートがいて、みんなこちらを覗き込んでくる。


「おぬし、随分とうなされておったのう」

「嫌な夢を見ていただけよ」

「ほう、夢か。ということは何か良からぬことが起こる前触れかもしれんな」


 フルートが意外なことを言ってくる。


「どうしてそうなるのよ?」

「夢というのは未来への暗示ともいわれておるのじゃ。妾が夢を見る時、必ずその夢に類似した出来事が起きるんじゃよ」

「予知夢ってやつか。そんなことあるのか?」

「いいえ、火星人にそんな能力はありません」


 ミリアがエリスの言いたいことを代弁する。


――いずれ会うことになるわ。あなたが失くした腕を追い求める限りね。


 声はそう言っていた。

 予知夢なんて見る力は自分にはない。だから、あれは単なる夢でしかない。

 なのに、どうしてこんなにも心揺さぶられるのか。


「くぅぅぅッ!」


 身体が熱い。

 放っておくとそのまま発火しそうだ。


「お、おいエリス?」

「大丈夫よ、このくらい!」


 エリスは起き上がり、ダイチの差し出した手を突っ返す。


パチン!


「………………」


 そこでようやく自分の腕の感触に気づく。


(……ちゃんと、ある)


 義手とはいえ、指先は確かにあって、なくなっていないことに安堵する。


「ちょっと、シャワー、浴びる」


 ひとまず、この熱くなってしまった身体を冷ます。


「エリス……」

「心配ですね」


 ミリアは呟く。


「心配?」

「エリスがうなされているときは――荒れますから」


ピカン!


 窓から雷光が迸る。


「おお!?」


 ダイチは驚き、外の様子を見る。

 外ではバケツをひっくり返したかのような雨が強風にあおられて窓を思いっきり叩きつけている。


「なんだこりゃ!?」


 さっきまで穏やかな天気模様だったはずなのに、一瞬にして嵐に切り替わった。


「木星の天気は荒れやすいってことやな」

「こんなに荒れるのか?」

「まあ、常に嵐を起きている雲海の真下にいるんやから、むしろ今までが静かすぎたぐらいやないの」

「マジかよ……」


 確かに言われてみると、今の外はエレベーターで見た嵐渦巻く雲海の景色に似ている。雲海が少しだけ地上に降りてきた、といわれるとしっくりくる。


「こんな嵐でシャトルは出せるのか?」


 デランはイクミに訊く。


「そこは大丈夫やろ。うちらが予約した便が出るころには止んでるやろ」

「この嵐、すぐ止むのか?」


 ダイチはもう一度外を見る。あと二、三日は続きそうな嵐だ。


「それこそ木星の天気は変わりやすいからな。それに万が一のときは別の便の手配もしておいたから」

「軌道エレベーター、ですね」


 ミリアの一言に、イクミはウンウンと頷く。


「さて、ほな行くか」

「行くってどこに?」

「ちょいと知り合いのところにな。昨日調べてもらってたんや」


 イクミはそそくさと部屋の出口まで進む。一人で行くつもりらしい。


「お、おい、外は嵐だぞ」

「大丈夫や。木星のエアカーは嵐の中でも平気で走れるらしいで」

「でも、一人で行くのか?」

「大丈夫や。港でおちあおうやないか。場所は憶えてるやろ?」

「はい、大丈夫です」


 ミリアは即答し、イクミはニコリと笑う。


「ほないってくるでー」


ガタン


 イクミは一人あっさりと出て行った。


「私達はゆっくりしましょうか」

「ああ……」


 ダイチとミリアはソファーに腰掛ける。


「テレビ……」


 ダイチは手持ち無沙汰になって、リモコンを操作する。するとスクリーンから立体テレビが投影される。


『今バルハラで注目の女性シンガー・フリエル・マーシュが新曲『ペークシス』を発表いたしました』

『総合格闘技において現木星王者ゴルドメス氏が十回目の木星タイトル防衛に成功しました』

『一ヵ月後に上映される映画『血飛沫のマリアージュ』に先駆けて主演女優アルモニカ・マリステルへの独占インタビューに成功いたしました』


 木星事情に疎いダイチにとって、どれもこれもよくわからないニュースだ。


「ダイチ、妾はこの映画、観てみたいぞ!」

「マジ!?」

「中々面白そうですね」


 ミリアもそう言ってくるが、ダイチはそう思えなかった。

 何故ならば予告を見る限り、血がこれでもかと飛び散っていて、間違いなくスプラッタな映画だし、最後に出てきた主演女優演じる花嫁衣裳の女主人公は真っ赤な血を浴びて、凶器の笑いを浮かべている。正直ゾッとするものでしかない。


「木星の映画……火星まで届くのが遅れていますからね」

「そうなのか?」

「何しろ、映像作品を輸出するときに木星側が関税をかけるので、放映権を中々獲得できないんですよ」

「マジかよ……映画ぐらい自由に見せてもいいじゃねえか」

「その自由を木星は敗戦国に許さないみたいだな」


 デランは毒づく。


「文化に国境はない、っていうけどな」

「それは地球の言葉ですか?」

「ん、まあな……」

「いい言葉じゃ……じゃが、今の星々の関係を考えると戯言と切り捨てられるものかもしれんな」


 フルートはシビアに言い放つ。

 そこには、幼くても冥皇の自覚を持つ為政者の風格が僅かばかり見え隠れした。


『ここで臨時のニュースです』


 ニュースキャスターの顔色が変わる。


『今朝未明にクリュメゾン国家領主・アランツィード・テウスパール氏が居城の自室にて

――遺体で発見されました』

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