第20話 エリスの苦闘

 廃墟のビルが立ち並ぶ町並みに、ヒュルリと砂塵を巻き上げる風が吹く。それが如何にこの街が廃れていったのかを物語っていた。

 エリスはそんな街を歩いていた。

 バイクは無茶なスピードを出し続けたせいでバラバラになって炎上してしまった。

 そのせいでデイエスが乗ったバギーを見失ってしまった。それでもエリスは諦めず、奴らを追いかけ、走った。たとえこの足で奴らに追いつくことは叶わなくても、走らずにはいられなかった。

 走った先にいたのは乗り捨てられたバギーであった。

 彼らも無茶なスピードを出し続けてしまって壊してしまったのだろうか。いや、そんな都合よく壊れるはずがない。

 誘い込まれたのか。

 まんまと奴らの挑発に乗ってしまい、罠が待ち受けているこの街に来てしまったのか。


「まあ、しょうがないか」


 エリスはあっさりと割り切る。

 罠なら罠で、受けて立てばいいだけのこと。一番の問題はここまで追いかけて逃げ切られてしまうこと。罠が仕掛けてあるのなら、まだ手を伸ばせば届く距離にいる。

 そう、今にもガタガタと音を立てて崩れそうなこの手で……


「デイエス! さっさと出てきなさい!」


 エリスは叫ぶ。

 まだ近くにいるならこの声が届くはずだ。


「逃げるなんて卑怯者のすることよ! もう一度私と勝負しなさい!!」


 挑発もしてやる。これで出てるといいのだが、と思いながら思いっきり叫ぶ。


「聞こえてるんでしょ! 私に負けっぱなしでいいの!? 悔しかったら出てきなさいッ!」

「――それじゃ出てきやるか」


 返答に応じた声の主は、デイエスではなかった。


「あんた、誰?」

「デイエスさんを負かした女ってのはお前か」

「そうよ。だったらどうだっていうのよ?」

「俺がぶっ殺す」


 男は言うやいなや襲い掛かってきた。

 エリスはその拳を弾いて、腹に掌底を叩き込む。


「ごふッ!?」


 男は倒れてうずくまる。


「何なのよ、あんた?」


 エリスは問いかけるが、男は応えること無く、かわりに似たような男達が数十人取り囲んでいることに気づく。


「俺達は一人だけじゃ」

「ないんだぜ」

「あんたら、なんなのよ!?」

「ローさんに頼まれてな、デイエスさんを負かした女を捕まえろって話だ」

「ああ、そういうことね」

 エリスは納得する。

 ようするにこいつらはデイエスの手先で自分を袋叩きにするつもりなんだ。


「つーわけだから大人しくしろよ」

「痛い目みたくなかったらな」


 取り囲んだ男達は嗜虐の笑みを浮かべる。

 大人しくすることを望んでいない。

 抵抗して、叩きのめす。

 そういうことを望んでいる連中だとエリスは瞬時に悟る。

 エリスもまた笑う。


「痛い目みるのはどっちかわかってるの?」

 エリスは握りしめて、闘争心を滾らせる。


「ヒートアップッ!」


 熱く燃え滾ったエリスは嵐のように襲いかかる男達を次から次へと薙ぎ倒す。


「ぐわッ!」

「ぐえッ!」


 殴り飛ばし、投げ倒す。


「ああ、遠慮なくぶっ飛ばせる敵がいるっていいものね」


 ダイチのスパーではどうも遠慮してしまって、殴ってもすっきりしなかった。むしろ、なんだか申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

 だが、悪漢にはそんなことは関係ない。


「こいつ、つええッ!」

「構うな! こっちにはたくさんいるんだからな!」


 倒しても、倒しても敵が現れてくる。

 百人近くいるのではないかと思う。


「上等よ!」


 千人出てきても倒してみせる意気込みの声を上げる。


ミシィ


 しかし、拳が不気味な軋みを上げる。

「――!」

 イクミが危惧していた限界がきてしまったみたいだ。


「こんなときに……!」

 エリスは嘆かずにはいられなかった。

 まだ戦いたい。まだ戦える。

 それなのに、この腕は戦いについていけない。

 自分の闘争心に、願いに応えてくれない。


「くぅ……!」


 悔しくてやるせなくなる。

 しかし、それでも敵は容赦なく襲いかかってくる。


「こんのぉぉぉッ!」


 エリスはその感情を敵にぶつける。

 しかし、身体はついてきてくれない。


ミシィ!


 一発振るう度に、拳が軋みを上げる。


バシャ!


 そして、限界を迎えた腕は悲鳴を上げるかのように血に似たオイルを飛び散らせる。

「ああッ!」

 神経が義手とつながっている為、腕から激痛が迸る。

「くぅッ!」

 痛みに堪えながら、能力を使い続ける。

 拳を存分に震えないことで、蹴りや投げを必要以上に使わなければならない。


「……ハァハァ」

 それはいつも以上の疲労をエリスにもたらした。

 吹き出してきた汗が体温上昇の能力によって蒸発しきらないほどに出ては流れ落ちる。


「――限界ですね」

 そんなエリスを嘲笑するかのように少年は言ってきた。


「ロー……」

「僕の名前、覚えていてくれたんですか。嬉しいですね」


 ローは微笑む。

 しかし、エリスにはわかっている。それは獲物をどう料理して捕らえるか思慮していることを楽しんでいる笑みだ。エリスがよく知っているいけすかない類のもので、身体の自由が利けばすぐにでも殴り飛ばしたい。


「ですが、それもつかの間のことです」

「どういう意味よ?」

「こういう意味だぜ」


 デイエスはエリスの後ろから襲い掛かってくる。

 しかし、エリスは強化された身体能力で咄嗟に交わす。


「デイエス……」

「へへ、大分お疲れじゃねえか。これならさっきの借りを返せそうだな」

「別に返さなくてもいいのに」

「そう言うなって。俺はこう見えても義理堅いんだぜ!」

 デイエスはそう言って拳を振り下ろす。

 エリスはそれに応じて拳を返す。


ギシャァァァァン!!


 ぶつかったエリスの拳が砕ける。

「う、うくぅ……!」

 エリスは歯を食いしばる。拳が砕けた激痛がエリスを襲ってきたのだ。


「お、いてえか。いてえよな!」

 デイエスは嗜虐に満ちた声で見下してくる。


「く、くそぉぉぉぉッ!!」

 エリスは残ったもう片方の拳で殴り掛かる。

 しかし、それはデイエスにとって容易に想像がつくことであった。すぐに掌で受け止めて能力で弾く。

 弾かれたエリスは体勢を崩して、無防備になってしまう。

「ふんッ!」

 そこへ容赦なく腹蹴りを入れて、エリスはぶっ飛ばされる。

「がはッ!」

 地面を転がって血を吐く。

 腕は砕けて、転がったせいで頭を打ったのか、足元がおぼつかない。

 しかし、エリスは立ち上がて、構えを取る。まだ闘争心は少しも揺らいでいない。


「そうこなくっちゃな!」


 デイエスはそんなエリスに満足したかのように再び襲いかかる。

「く!」


 エリスはかわす。

 いつもなら、カウンターの一発でも食らわしてやるところだが、今はかわすだけで精一杯であった。

「どうした、もう終わりか?」

「くぅぅぅぅッ!!」


 エリスは挑発に対して応じずに、ただグッとこらえる。


――せめて、この腕がまだ無事なら……


 そう思わずにはいられない。

 それはあの時から何も変わっていない。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 自分の手が無い。

 指が無く、掌が無く、触ることが出来なくて、掴むこともかなわない。

 奪われたんだ。

 わけがわからないまま、どうしようもないまま、奪われた。

 あまりにも理不尽な現実。

 受け入れることが出来なくて、泣き叫んだ。


 エリスは叫んだ。あの時と同じように。


ゴォォォン!!


 廃墟のビルの一棟が崩れ落ちる。

 凄まじいブースターの噴射のせいだ。

 その噴射の主である鋼鉄の巨体がドシンと地面を踏みしめて降り立つ。


「エリス、無事か!?」

 スピーカーからけたたましい音が聞こえる。


「その声……ダイチ?」

 機体から聞こえたということは、それに乗っているということだ。


「って、何乗ってんよ、あんた!?」

「そんなこと言ってる場合かよ! ボロボロじゃねえか!」

「う、うるさい!」


 エリスは反論する。その声にまだ勢いがある。


「……ホッ」

 ミリアはそっと安堵の息をつく。

 ダイチと同じようにミリアも心配していたようだ。


「あとは、デイエスを捕まえりゃ、解決なんだが……」

 問題はどうやって捕まえるか、だ。

 いざ、この場面になってみると具体的にどうしたらいいかわからない。

 敵は文字通り足元にいるのだが、大人しく降伏するような奴とは思えない。しかし、ここまで来て逃がす訳にはいかない。

 だけど、こんな馬鹿でかい機体で襲うわけにもいかない。

 どうしたら……


「あら、踏み潰してもかまわないじゃないですか」


 悩むダイチにミリアはあっさりと言い放つ。


「……え?」

「さっさとやってください。逃げられてしまいますよ」

「いや、待てよ。相手は生身なんだぞ。踏み潰したら死んじまうかもしれないんだぞ」

「ですから、言ってるじゃないですか」


 ミリアは抑揚の無い口調で、やはりあっさりと言う。


「――エリスをあんな目に遭わせたんですから当然の報いですわ」


 それを聞いたダイチは寒気が走った。

 これほど静かな怒りを経験したことが無く、かつ一歩間違えたらその矛先が自分に向きかねないことに恐怖したのだ。

「ど、どうなっても知らねえからなッ!」

 ダイチはヴァーランスを操縦して、地面を一歩踏みしめる。

 たったそれだけで砂塵と突風が巻き起こる。


「うわぁぁぁぁぁッ!!?」

 ディスプレイのマイクがそれに吹き飛ばされた男達の悲鳴を拾う。


「ああ、こりゃ地獄絵図だ……」

「ふうん、まだ物足りませんわね」

「はあ!?」

「何か武器はありませんか?」

「武器……?」


 ミリアは勝手に端末を操作しながら呟く。


「サーベル、スタンスティック、ハンドガン……どれも今いちですね……」

「いやいや待て待て……」

「では、このパトランプサイレンをかけてみますか」

「……え?」

 ダイチの応答に応じること無く、ミリアはピコンと押す。


ピーポーピーポーピーポーピーポー!!


 けたたましいサイレンの音が鳴り響く。

 モニターに映る男達は耳を抑えながら悶え苦しみながらうずくまる。


「やっぱり、地獄絵図だ……」

 その様を目の当たりにしたダイチは呟く。

『って、何やってんのよ!?』

 通信機からエリスの声が聞こえる。

 見るとエリスも他の男達と同じように耳を抑えている。


「ミリア、やめろ! エリスまで苦しんでるぞ!」

「ああ、これは私としたことが!」


 ミリアは慌ててサイレンを止める。


「エリス、大丈夫ですか?」

 ミリアは能力――カロリーヴィジョンにより、熱の分身を作ってエリスのもとへ歩み寄る。


「まったく、いきなりブチ切れて……どっちが単細胞がわかったものじゃないわね」

「失礼ですね……ですが、少々熱くなりすぎました。エリスが心配でしたから」

「心配かけられるほど、弱くないわよ」

「ですが、私は弱いですから……あなたがいなくなると耐えられなくなりますよ」

「ミリア……」


 ミリアの分身はエリスに肩を貸して支える。


「あなたが私の足になってくれると言ってくれたあの日からあなたが私の支えなのですから」

「………………」


 エリスは、言葉を失っている。

 なんていうのかむず痒い気分だ。

 そんなこと憶えていなくてもいいのに。あの時は私だって、私だって……




 エリスは思い出す。

 どうしようもない理不尽により、両腕が奪われ、嘆いた。

 出来ることと言ったら、この嘆きを声にして叫ぶことぐらいだった。


「あ……」

 そこに他の人の気配があった。

 無性に縋りたかった。誰かにこの気持ちを受け止めてほしかった。


「いかないで……」


 さっきの叫びの反動からか、声は弱々しく、届かなかったかもしれない。


「……私は」

 声の主は応えてくれた。

 しかし、その声も自分と同じくらい……いや、それ以上に弱く、今にも消えてしまいそうであった。


「どこへもいけない……」

 泣いているのだろうか、声が震えている。


「どうして?」

 エリスが問いかけると、その娘は倒れ込んできた。


「……え?」


 突然のことでエリスは倒れかけたが、なんとか持ち直した。

 そこで見えたのは……


「あなた、足が……」


 この娘には右足がなかった。だから歩くことが難しいのだ。


――どこへもいけない


 その言葉の意味がわかったとき、エリスには言い知れぬ感情がこみ上げてきた。


 足と腕……どちらが失った方が辛いのか、それはわからない。

 腕を失えば、何かを掴むことが出来ず……

 足を失えば、立って歩くことが出来ない……

 一体どちらが辛いのだろうか。


 少なくとも、エリスよりもこの少女の方が何倍も辛そうだ。


「私は立って歩けない……どこへもいけない……」


 助けてあげたい。なんとかしたい。

 自分だって腕はない……けど、だからといって、助けない理由にはならない。


「あなたも……腕が……」


 ここで少女はエリスの腕が無いことに気づく。


「うん、そうなの……私も手がない……」

「………………」


 少女はまた泣きそうな顔をする。

 ああ、これは私のために泣いてくれるんだ

 嬉しかった。

 助けたいと思っていたのに、助けられていた。

 だから、自分も助けなければならない。

 だけど、何が出来るというのだ。

 この腕を持って支えることは出来ない。

 でも、まだ………まだ……


――私にはこの足があるッ!


 そうとわかれば、かける言葉は簡単に口から出た。

「私があなたの足になる……あなたが歩けないなら、私が代わりに歩く……」

「………………」

 少女はエリスの胸に埋めていた。

 震えている、泣いているのだ。

「うぅ……だったら、だったら……」

 少女はエリスの顔を見上げてきた。その顔は涙で崩れていて、今にも消え入りそうなほどもろく感じた。


「私は……あなたの……」


 だが、少女はそれでも瞳をそらさずにエリスを見上げる。

 その瞳にやがて決意という強さが宿る。


「手になる……あなたが掴めずに離してしまうなら……私が掴んで、離さない……」

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