第3話 地球は青かった、火星は赤かった

『ええか、母なる星・地球を飛び出したヒトは他の太陽系惑星に移住してその星の環境に順応し、地球人と呼べる存在ではなくなった。これは昨日、話したやろ?』

「ああ、憶えてるぜ」

『んで、ヒトはこれまで地球とは全く違う星の環境に合わせるために、適応進化遺伝子エヴォリシオンを組み込んで身体の仕組みが変わっていったんや。進化ってわけや』


 ふむふむ、とダイチは適当に相槌を打った。


『んで、進化した結果地球人だった頃では到底考えられないようなチカラを得られるようになった。エリスのような能力がそれや』

「ヒートアップって一応名付けたんだけどね」

 エリスは一言付け加える。


「進化する前の地球人だから、か」

『うむ、物分かりが早くて先生嬉しいわ』

「いつ先生になった?」

『まあまあ、細かいことは気にせんといて』

 イクミがそう答えると、ゴトとコンテナ全体が揺れた。


「ついたみたいですわ」


 ミリアはそう言って、コンテナの出口前につく。


「タイミングよかったわね」

『ちゃんと計算して解説に入ったからな』

 得意顔をしているイクミを脳裏に浮かぶ。

 そんな馬鹿な、と言ってやりたいところだが、これから脱出しなければならない緊張の方が勝(まさ)って沈黙してしまった。


「入るのは難しくても出るのは簡単ですわね」


 自動ドアのようにコンテナの出口がすっと開いたのを見て言う。


「そりゃ、荷物が勝手に動いて出ることなんて考えないだろ」

「なるほど、それもそうですわね」


 ダイチの意見にミリアは納得する。


「んで、これが旅客機の貨物室か……」

 見渡す限り、宇宙港の保管庫とほとんど変わらないようにコンテナが敷き詰められている。狭く果てが簡単に見えるので余計に圧迫感が出ている。

「コンテナが集まってるな……」

「当然でしょ、まさか本当にしらみつぶしに全部探すつもりだと思ってるの?」

「いや、それは……」


 思っていたなんて恥ずかしくて言えないダイチであった。


「ここなら厄介なセキュリティはありませんから気兼ねなく探せますわ」

『普通コンテナが積む段階までが狙われるもんやからな。セキュリティは宇宙港で万全にしておいて、機体内は働いておらんのや』

「機体内で盗んでも、すでに機体は成層圏で逃げ場なしってことになりますし」

「なるほどな……」


 納得の相槌をしてから、ダイチは気がつく。


「あれ、ってことはこのままだと宇宙旅行に行くんじゃ?」

「大丈夫よ、時間はたっぷりあるわ。そうでしょ、イクミ」

『うちが仕入れた情報に間違いなんてあらへんで!」


 自信満々に親指立てているイクミが容易に想像できた。


「では、早く調べましょう」


 ミリアがそう言って一番近いコンテナの鍵を見る。


「パスワードはどうするんだよ? 一つ一つハッキングするのか?」

『いや、そこまで面倒なことはせえへんで。ミリア、頼む』

「あまり、使いたくないのですが……」


 ミリアはため息を吐くように言う。だが、それでも予め予定されていたことなのだからと諦めをつける。


「……カロリーヴィジョン」


 まじないを唱えるようつぶやくと共に、ミリアの身体が発光する。

 発光が消えると、ミリアの身体がスクリーンに映し出されたかのように何人も現れた。


『イクミの能力は、熱量(カロリー)で自分の分身を創りだせるんやで』


 イクミが何も知らないダイチに説明する。


「イクミ、コンテナの番号は?」


 数人の分身の中心にいる一人のミリアが問いかける。


『【KO-1】、【JI-3】、【MT-8】、【TT-9】、【ZB-6】』


 ミリアの分身が一斉に散り、一人だけがその場に残った。


「一体、どうするんだ?」

『ミリアにはパスワード解除ツールをもたせておいたから、それを一斉に使わせておけばイチコロやで』

「そんなのまで用意していたのかよ……つーか、そんなのあるなら最初それ使えばよかったんじゃねえのか?」

『いいや、これを使うには一度パスワードを解いて、配列パターンを解析しておく必要があったんや』

「……そんなもんなのか」


 腑に落ちない返事をする。直後にピーと電子音が鳴る。


『お! 終わったところや』

「はやッ!?」


 ダイチが反応したところで、散らばったミリアの分身が集まってきて、消える。


「……とても、疲れました」


 ミリアは笑顔ながらも汗だくになっているため、言葉通り疲れの見える様子だった。


「カロリーの消費が半端無いのよ、ミリアの能力は」


 あれだけの分身を創りだすのなら、恐ろしく疲れることは容易に想像できる。


「ああ、だから、毎日たくさん食べるのか」


 ミリアは皿一杯に溢れんばかりに盛られた料理を平らげてしまう。

 それなのに、出るところはしっかり出て、出てはいけないところはしっかり引っ込んでいる体型なのが疑問だったが、こういった能力のために必要なことだったのかと思うと納得がいった。


「単なる大飯食らいなだけよ」

「ええ、立っているのも辛いです。ダイチさん、お願いします」

 そう言って、ミリアはダイチに寄りかかる。

「ちょッ!?」


 本当に全体重を預ける勢いだった。ダイチは慌てたものの離れるわけにはいかなくなったので、声を出すだけになった。


「……あんたら、いつのまにそういう仲に?」


 エリスの妙に冷めた視線が突き刺さった。


「ち、違うんだ! そういうわけじゃないんだ!」


 ダイチは必死に弁解するが、エリスはもう背中を向けて、コンテナの奥へと行ってしまった。それでもう手遅れなのだと悟り、今寄りかかっているミリアに目を向ける。


「……いつまでこうしていればいいんだよ?」

「ダイチさんさえよければずっと……」

「ふざ、」

 「けるな!」と言おうとして声が途切れた。


 耳をつんざくようなサイレンの音(ね)が鳴り響いたからだ。


「これは……!」


 ミリアが反応し、自力で立ったところで貨物室全体が揺れ動いた。


「ちょっと、イクミ! まだ出発時刻じゃないわよね!?」

『そ、そのはずやけど』

「だったら、なんで出ようとしてるのよ?」

『わからん、急な予定変更……もしかして、ダミーの情報つかまされたんかもしれん!』

「なんだっていいわ! 成層圏に出たら帰れなくなるわ!」

『せやな、はよ脱出しい!』

「わかってるわよ! だけど……」


 エリスは名残惜しそうに、試験官を持ち、他のコンテナを見回す。

「やっと、見つけ出したのに……!」

 気持ちを切り替えるため、一息をついて顔を上げる。


「早く脱出するわよ!」

「な、なんで?」

「もう発進するからに決まってるでしょ!」


 状況が今イチ飲み込めないダイチは戸惑うばかりであった。そうこうしているうちにエリスは、一際目立つ扉へ近づく。自動ドアになっているのか近づいただけで扉は開いた。


「急ぎましょう、ダイチさん」

「あ、ああ、でも大丈夫かミリア?」


 肩で息をしているような状態のミリアを見て、悪ふざけではなく本当に辛い状態になっていることに気づいて心配になった。


「心配無用です」


 そう答えて、ミリアは走り出す。ダイチはそれを追った。

 やせ我慢するタイプなんだな、とその様子を見てダイチは思った。


 扉を開けて廊下に出るとそこは狭く、横幅が人が二人並べる程度しかない。ダイチは壁にぶつからないか気をつかいながら走った。

「どうやって脱出するんだ?」

「そりゃ非常ハッチからよ。あれなら離陸直前でも簡単に開けれるから!」

「んで、それはどこにあるんだ?」

「知らないわよ!」


 エリスが即答すると、ダイチは不安にかられた。


「大丈夫なのか、そんなんで?」

「そうするしかないから仕方ないでしょ!」

 そう答えると、エリスは壁にぶち当たった。

「隔壁!? あん、ももう!?」


 エリスは隔壁を叩いた。能力を使ってではなく、生身のままの拳で。


「壊したらどうだ?」

「ダメよ、壊したら脱出できるものじゃないし、機体のセキュリティにかんづかれたら脱出よりも厄介なことになるわ」

「それにもう……」


 ミリアは深刻そうに付け加える。


「――時間ですわ」


 彼女がそう告げると、凄まじい轟音が機体内に鳴り響き、揺れ動く。

「お、あうわッ!?」

 突然のことにダイチは跳ね上がりそうになる。


「これに捕まって!」

「お、おう!」


 三人は廊下の手すりに捕まる

 機体が上向きになったのか、さっきまで廊下だったこの場所は底なしの崖に変貌し、落ちるものかとしがみつく。


「くぅぅッ!」


 二人の苦悶の声が聞こえてくる

 大丈夫なのかと見上げる。すると、ダイチは瞬時に目をそらす。

 エリスとミリアは前にいたため、後ろが下になったこの状況では前が上になっていたのだ。そして二人はスカートをはいている。


「……見ました?」


 やけに落ち着いた、切迫したこの状況ではひどく場違いなミリアの声が聞こえた。


「い、いや……! そ、そんなこと……!」


 ダイチは慌てふためく。それが肯定の意思表示になっているのとは知らずに。


「……見ましたか?」


 ミリアは相変わらず落ち着いた声で問いかける。逃れられない尋問だとダイチは悟られた。


「……ちょっと」


 ダイチは申し訳なく答える。この轟音にかき消えることを若干願ってのものだが、


「……そうですか」


 しっかり聞こえてしまったようだ。ミリアがどんな顔をしているのかはわからない。確認するためにまた見上げたら今度は生命が無い。そう思うには十分な迫力がこの冷淡な声には備わっている気がした。

 まもなく、身体が浮き上がるような感覚にとらわれて、今いる底なしの崖は元の通路に戻った。


「姿勢制御が安定したみたいね」


 三人は床に立つ。


「じゃあ、もう宇宙に出たのか?」

「見てみなさいよ」


 エリスはそう言って丸く切り抜かれたような窓を指す。その窓の向こう側と見ると、果ての無い暗闇の空間が続いていて、更にそこには自らの存在を誇示するかのように数え切れないほどの星が輝いている。


「これが宇宙……」

「あなた、これを見るのは初めて?」

「ああ、ポッドは密閉されてるし、外の情報は遮断されてたからな。見るのは初めてさ」

「ふうん、地球人は宇宙を知らないのね」

「まあ、そうだな」


 エリスは一息つく。


「あれが火星か……」


 一際大きな黄色くくすんだような色を持った光の珠が漆黒の海に浮かんでいるように見えた。それが火星だとすぐにわかった。


「そう、私達の母星……」

「綺麗だな」


 ダイチは素直に感想を言った。


「ありがとう」


 エリスは笑顔で答えた。本当のことを言うと、火星と重なって見える輝いて見えるエリスの姿の方が綺麗だった。揺らめく赤い髪に、暗い宇宙でいっそ輝いているように見えるエリスの笑顔は、正直よく知らない星である火星よりも目に留まる。のだが、恥ずかしくて正直に言えなかった。


「でも、地球はもっと綺麗なんでしょ?」

「俺は地球を見てないんだ……」

「そうだったわね」


 エリスは髪をなびかせて楽しげにダイチに語りかける。


「遠い昔、地球から初めて宇宙に飛び出した人の言葉は『地球は宇宙に浮かぶたった一つの青い宝石のようだった』って言葉をきいたことがあるんだけど……私、その話を聞いたとき、地球を見てみたいと思ったの」

「へえ、青い宝石か……そう言われても実感がわかないな……自分の星がそんなふうにいわれてたなんて」

「いつか、地球を見てみたいといつも思ってた……自分が生まれた星を見たり、この星の海を見るたびに……」

「……自分が生まれた星……」


 そう言いかけてダイチは、言葉を途切れさせた。


「ねえ、連れてってよ!」

 エリスは笑顔で言い放って、ダイチは面を食らった。


「連れて行くって、地球に?」

「そう! ダイチは地球人なんだから、いつか帰るんでしょ。だったら連れてってくれてもいいじゃない!」

「俺は帰るなんて……」


 ダイチは目をそらしながら答えようとしたが、ふと自分に期待をかけているエリスの顔を見ると、思っていなかったことを口にしてしまう。


「わかった。いつか、な……」

「うん、約束よ!」

「あ、ああ……」


 エリスの満面の笑顔を見ると、ダイチは心苦しくなってきた。自分は地球に帰るつもりなんて全くないなんて、この顔に向かって言えるはずがなかった。


「コホン」


 そこへミリアがわざとらしい咳ごみをして入ってくる。


「お取り込み中のところ、申し訳ございませんが」

「あ……!」


 ダイチはふって湧いたように思い出す。ミリアの見てはならないものを見てしまったことを。


「す、すまん……あのときは夢中で、ふ、不可抗力なんだ……」

「ええ、わかってますよ」


 その直後、寒気が走るほどの声を聞くことになる。


「ですから、責任とってもらえますか?」

「せ、責任?」


 ミリアはニコッと笑い、可愛らしく首をかしげて提案する。


「一食おごってもらいます、それでチャラということにします」

「い、一食? そ、そんなことでいいのか……?」

「ええ、そんなことでいいなです。では、楽しみにしていますよ」


 ダイチはホッとする。しかし、エリスが耳打ちする。


「いいの? あの子、能力を使ったあとの食事は凄まじいのよ、普段の大飯とか可愛いもんよ」

「マジで?」

「マジよ」

「五人前ぐらい?」

「楽しみにしていたら? その方が幸せよ」


 エリスは愉快そうに答える。その一言のせいでダイチは楽しい気分にはとてもなれそうになかった。


「わかったよ。んで、これからどうするんだ?」

「そうね……イクミからの通信が途絶えてるし」


 耳元の小型通信端末は、成層圏に出ると音波を拾えなくなるとミリアは補足する。


「とにかく目的の物だけでも、確認しておきましょう」

「その目的の物ってなんなんだよ?」

「……それはちょっと、ね」


 エリスは言葉を詰まらせる。ダイチが知っている限り、何でも答えるぐらいはきはきした性格の彼女がそんな態度をとるのは初めてのことだった。

 それはまるで、明るく照らされた満月が欠けてしまったかのようだ。


(欠けている……月みたいだな……)


 そんな印象を受けた。欠けているのならなんとかしたい、そんな気持ちになっている。


「……あー!」


 突然エリスは声を上げる。目の前が隔壁に閉じられていたからだ。


「そんな下品な大声上げると見つかりますわよ」

「下品は余計よ。でも来た道がふさがれたから迂回する必要があるわね」

「大丈夫なのか?」

「まあ、そのへん歩けばいいでしょ?」


 適当なエリスにダイチは不安を覚えた。


「品性も何もあったものじゃありませんわね。行き当たりばったりとは低脳なあなたのためにある言葉みたいですわ」


 エリスの頭からカチンと金属音のようなものが鳴った、気がした。


「何よ、その行き当たりばったりな計画に乗っかったのはどこの残念なお嬢様でしょうかね?」

「おほほ、私のどこが残念だというのですか?」


 ミリアは訊き返す。声だけ聞くと笑って冗談交じりに言っているようだが、顔を見るととてもではないが冗談の色なんて見えない。


「私は何もミリアのこととは言ってないわ。言われて自覚してるあたり、自分は残念だと思う節があるんじゃないの、お嬢様?」

「あらあら、そんなご無礼な物言い。その口から出るのですか? だったらそんな耳障りな口、――潰して差し上げましょうか?」


 最後の一言だけ声が低く、体の芯から震え上がるような寒気を感じた。


「ええ、望むところね。私は顎ごと外してあげようか?」


 エリスは臆することなく、むしろその一言が燃料になったかのように言い返す。

 売り言葉に買い言葉とはまさにこんな状況なのだろう。とはいえ、さすがにこれ以上放置するとシャレにならないのでは、とダイチは危惧する。


「ちょっと待て! お前ら落ち着けよ!」


 ダイチは決死の覚悟でその間に割って入る。


「ダイチさんがそういうのでしたら我慢しますわ」


「仕方ないわね」

 なんとか事なき事をえたようで、ダイチは安堵の息をつく。


「君達、そこで何をしている!」


 とそこへドキリと突き刺すような声がこちらに向けられる。

 声の主は警護員の制服を着た男だった。


(見つかった!?)


 ダイチは焦った。ここまで見つからないようにやってきたというのに、宇宙に出て逃げ場のないところで捕まればどうなるのか、ダイチはまったく想像もできなかった。できないからこそ怖くなったのだ。

 しかし、エリスとミリアは動じなかった。自然とダイチは何か対策があるのかと期待が膨らむ。


「あ、あの……」


 ミリアはやけに芝居がかった口調で警備員に語りかける。


「ちょっと探検をしていたら、迷ってしまいまして……困っていたところなんです」

 ミリアは両の手を合わせて言う。警備員を見上げるその目は眩いばかりに可憐で、とても侵入者には見えない可愛い振る舞いだった。

「それなら……」


 警備員は制服の胸元にあるボタンを押して、透明な立体映像のパネルを出す。

 映像はこの船の地図らしく、客に見せるためのものなのか廊下と部屋が大雑把に分けられているだけで、単純にこの先を右に曲がってまっすぐ行けばいいと説明できる程度のものだった。


「ありがとうございます」


 ミリアは礼儀正しく一礼する。そうなるともうこの警備員には用が無くなり、その場を立ち去る。

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