第85話 没落の足音9


 ネーブ王国王城の地下に作られた、厳重な警備が敷かれた牢獄。


 ロド王に許可をもらったクラーボツは、頑丈な檻がいくつも並ぶじめじめとしたカビ臭いそこで、とある人物と話をするためにやって来ていた。


「やぁ、久しぶりだね。元気かな?」


「……」


 目的の人物――ラインツ伯爵家前当主ローレンは、虚ろな瞳でクラーボツを見やるもまったく反応を示さずに無言を貫く。


「やれやれ、あの頃の自信に溢れ欲に塗れていた君は見る影もないね。まるで魂の入っていない人形のようだ。せっかく良い話をもってきたというのに」


「……」


「再び貴族に――見下ろす側に返り咲きたくはないかい? ローレン」


 クラーボツの言葉に、僅かにその瞳に生気が戻ったローレンはクラーボツを見上げた。


「……ワシはすでに、王より見限られたのだ。今さら貴族位につくことなど……」


「それは人間界でなら、だろう? 魔界では人間界のことなど関係ないからね。君に器があれば、十分に可能性はあるはずさ」


「何を馬鹿な……。ワシは人間なのだぞ?! 魔界では生きていけんっ!」


 訳の分からないことを口にするクラーボツに、自分をからかいに来たのだと思ったローレンは激昂。


 今にも飛びかかりそうな勢いで前へ出るも、壁から伸びる足へと繋がった鎖がガシャガシャ鳴るだけで鉄格子には届かない。


 そんなローレンへ優しい笑顔を向けたクラーボツは、諭すような落ち着いた口調で言葉を続ける。


「最後まで話を聞きなよ。今のままの姿では無理だけど、このままここに居ても死を待つだけだろう? それなら、わずかな可能性に賭けてみるほうが良くないかい?」


「……?! 何を言って……。ま、まさか……ワシに『魔降の儀』をしろと言っておるのか?!」


「やっぱり知ってるんだね。そう、そのまさかだよ。君が人のままでいたい、このまま惨めに死んでいきたいと思っているなら仕方ないけど。そうでないなら、一発逆転のチャンスだとは思わないかい?」


「ふざけるなっ!! ワシとて人間に未練がある訳ではない! だが、化け物になるつもりなど毛頭ないわっ!!」


「……化け物? なんのことだい?」


「とぼけるんじゃないっ! 儀式に失敗した者は、この世のものとは思えんほど醜い化け物になり果てることなぞ知っておるのだ……! しかも、成功例は一度とてないこともなっ!!」


「ああ……なるほどね。それは儀式が失敗したからじゃなくて、そもそもが間違っているからだよ」


「……なに?」


「君たちの知っている儀式は、人間界に伝わるおとぎ話を元に試行錯誤した結果なんじゃないかい?」


 クラーボツの言うおとぎ話。


 それは、恋人を強大な力を持つ魔物に殺された人間が復讐するべく力を欲し、ただひたすらに魔物を討ち滅ぼし供物に捧げ続けた結果、その強い負の願いに反応した魔神が加護を与え、その人間は魔族へと変貌を遂げて見事復讐を果たすというもの。


 実際その通りで、おとぎ話を元に幾度となく実験が繰り返され、数多の魔物の死骸を供物に魔神へと祈りを捧げ、人間とは比較にならない魔力を持つ魔族へなろうとする者は一定数おり、そうした者たちはみな醜い化け物へと姿を変えて討伐されてきた。


「そもそもが、あのようなおとぎ話を信じること自体愚か者のすることなのだ……!」


「人間界に伝わっているのかは知らないけれど、そのおとぎ話は実話だよ? 内容は少し違うけどね」


「……なんだと?!」


「供物に捧げたのは、魔物ではなく魔族の血だけどね。考えてもごらん? 魔神様は我ら魔族の神なのであって、魔物の神ではないんだよ? にも拘わらず、何の関係もない魔物を供物にしたところで、魔神様に祈りが届く訳ないと思わないかい?」


「……つまり、化け物に姿を変えたのは結果として魔物の神へと祈りを捧げることになっていたから……ということかっ?!」


「ご名答。ま、実際のところがどうなのかは知らないけどね。少なくとも、その可能性は高いと思うよ。現に、僕は数人ではあるが人間から魔族へ転生した者を知っているし。あ、実はこの情報は一部の者だけしか知らない、極秘事項なんだ。僕が話したことは内密に頼むよ?」


「ぐぬぬ……。だとしても、儂は断るっ! お主の言葉が全て真実とは限らんし、それを証明することもできんだろっ!!」


「……そうかい。それは残念だよ。では、他に用もないし僕はこれにて失礼する」


 クラーボツがあっさりと引いたことを訝し気に思いつつも、訳の分からない儀式の検体にされなかったことに安堵したローレン。


 だが、翌日のこと。


 突如としてローレンの死刑が確定し、見張りの騎士より本人へと通達される。


「ど、どういうことだっ?! なぜ突然死刑になったのだ!?」


「知らん! 貴様の死刑は本日の夕刻、日没と共に執り行う。通達は以上だ」


 騎士はそれだけ告げると、早々にその場を立ち去った。


「なぜだ……?! なぜ今さら……ッ! クラーボツかッ! そういえば、極秘事項だなんだと言っておったな……ッ!」


 死ぬまで惨めにここで生き恥を晒せと言われていただけに、突然の死刑執行に納得がいかなかったローレンだが、クラーボツとのやり取りを思い出し点と点が繋がった。


 この牢獄に来れたことからも、王とクラーボツが未だに協力関係にいるのは明白。


 つまり、口封じに殺されることになった訳だ。


「ぐぬぬ……。くそっ! くそがっ!! こうなっては仕方ない……!!」


 ローレンはこんなところで終わるつもりなどない。


 否、終わるつもりがなくなったという方が正解か。

 

 クラーボツと会話したことで、再び権力への執着心を取り戻したローレン。


 一晩の間に、時折自身を甚振りに来る王と少しずつ交渉し、いずれはここを出る算段を立てていたのだった。


 自身が持つ有力な諸侯の悪事の証拠や、外には出せない秘密の取引ルート。


 それらと引き換えに内密に開放してもらい、他国でローレンではない別の人間としてやり直すために。


 だが、今のままではあと数時間で野望が潰えてしまう。


 自らの置かれた状況を十分に理解したローレンは、緊急時などに外の見張りを呼び出すための魔道具を使用するとすぐにクラーボツを呼ぶよう伝え、ほどなくしてクラーボツが現れた。


「どうしたんだい? まさか、死を前に最後の挨拶……なんてこともないだろう?」


「とぼけおって……! 素直に最初から、儂に選択肢などないと言えば良いものを……!」


 恨めしそうに睨むローレンに、薄ら笑いを浮かべたクラーボツ。


「嫌だな、勘違いしないでおくれよ? 君にはお世話になったし、君のお陰で僕はもうじき人間界においても一定の権力を得ることができるからね。あくまで、その感謝のつもりだったんだ」


「ええい、わかったわ! 貴様の言うように、魔族になってやろうではないか!」


「いいのかい? この儀式は一方通行、人間に戻ることは不可能だよ?」


 わざとらしく聞くクラーボツに、ローレンは苛立ちを顕にしつつも口には出さずグッと飲み込む。


「……ふん。儂が魔界で貴族位についた暁には、覚えていろよ……!!」


「楽しみにしているよ。そのときは、また良いビジネスパートナーになれるだろう」


 ニコッと笑ったクラーボツはローレンを縛る鎖や手錠を壊すと、鋭い爪で自身の手首を軽く裂き、滴り落ちる血でローレンの周りへ魔法陣を描く。


 次に、ローレンに手で受け皿を作るよう指示。そこへ血液をいっぱいになるまで溜めていく。


「血を体内に取り込み、そして祈るんだ。魔神様に、魔族への転生を」


 ゴクリと一度喉を鳴らしたローレンは、覚悟を決めると一気に血液を飲み干す。


「魔神よ……! 儂を魔族へ……魔神の加護を与えたまへ!!」


 ローレンの願いと共に、クラーボツが魔法陣へと魔力を流す。


 瞬間、カッと眩く魔法陣が赤い光を放ったかと思うと、その光がローレンへと纏わりついていき、やがてその身に溶け込んでいく。


「ガッ! ガガガガガッッ! ガァァァアアアアアアアアッッ!!!」


 全身を襲う激痛に耐え兼ね、ローレンが血涙を流しながら咆哮を上げた。


 すべての光が溶け込み、牢獄内が再び薄暗さを取り戻した頃。


 ローレンの中から、まるで蛹が羽化して蝶になるかのように、まったく別の姿をした人型のナニかが背中を突き破って現れた。


「おぉ……! 無事成功したようだね。気分はどうだい?」


「これが儂……?! クク……クワーッハハハハハ!! なんと素晴らしい気分よ!! 体内から溢れんばかりの魔力……若かりし頃よりも軽快に動く肉体……。今なら騎士団長ですら容易に屠れそうだ」


 ニタァーと醜悪な笑みを浮かべたローレンは、その身を包む万能感にひたすら酔いしれていた―――。


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