第58話 セツカという名


 お茶でも飲みましょう、とリルノード公に誘われたエンペラート陛下は、僕たちを伴ってソファへと腰かけた。

 

 リルノード公と対面する形でエンペラート陛下が座り、その右隣に順にレスティエ様、ベルモンズ宰相、リキミさん、ジェシーさんが座る。

 左隣にはグラーヴァさん、僕、ラナ、ティア、ネイア、セツカの順で座った。


 コアンさんはちょうどラナとティナの前辺り、リルノード公からは少し距離を置いて腰かけている。

 

「初めましての方も多いですね。わたくしは現在リーゼルンを治めさせて頂いている、リルノード・フォン・チロイヨンです。以後お見知り置きくださいな」


 そう言ってリルノード公は優しく微笑んだ。


「フフ。エンペラート皇帝が自ら赴くことを決断して下さったと報告を受けたときは信じられませんでしたが、なるほど納得ですね。まさか龍を手懐けてしまわれたとは」


 チラリとセツカを見やり、興味深そうに目を細めるリルノード公。

 

 どうしてバレたんだ?!


 僕が内心焦っていると、ふぉっふぉっふぉと笑い声をあげるエンペラート陛下。


「さすがにセツカ殿と言えど、魔眼までは欺けなんだか」


「む? そんなモノを我に向ける阿呆は居なかったのでな、気にしていなかった。これで問題ない」


「あら……。龍はそんなことまでできるのですね」


「フン、見くびるなよ小娘。それと、我には主殿より頂いた『セツカ』という名がある。龍と一括りで呼ばれるのは不愉快だ」


 眉間にシワを寄せて不快感を顕にしたセツカに、ゴクリと生唾を飲むリルノード公。


「……大変失礼致しました。では、わたくしもセツカ様と呼ばせて頂いて宜しいでしょうか?」


「許す。その素直さに免じて、1つだけ忠告しておいてやろう。我は主殿に迷惑をかけぬため捨て置くが、知性の高い魔物ーー特に龍種にはその魔眼を使わん方が良いぞ。ほぼ間違いなく、怒りを買うことになるだろうからな」


「……ご忠告感謝致します。しかと覚えておきましょう。主人であるエンペラート皇帝にも、従者に対するわたくしの非礼をお詫びさせてください」


 軽くではあるが、国のトップが素直に頭を下げたことに驚いた。

 その姿を見て、まるで自分の子供を見ているかのような、とても優しい瞳で微笑む陛下。


「ふぉふぉふぉ。リルノード公は変わらず素直で良い子じゃな。それと、すまぬのう。セツカ殿の主人は余ではないのだ」


「え?」


 きょとんとしたリルノード公と、合点がいったとばかりに苦笑いを浮かべたコアンさん。


「閣下。おそらくですが、セツカ様の主人はそこにお座りのS級冒険者であるシズク殿かと」


「……そうなんですの?」


 チラリと僕を見やるリルノード公。

 その問いかけるような眼差しに、僕よりも早くセツカが先ほどとは打って変わって満面の笑みで答えた。


「うむ! その通りだっ!! ここに居られる方こそ、我が生涯をかけ忠誠を誓うと心に決めた御仁! いずれ歴史に名を刻むであろうご尊顔を、しかと記憶に刻むと良いっ!!」


 フンスッ! と鼻息が聞こえてきそうなほど、胸を張り誇らしげにドヤ顔を決めたセツカ。


 僕はあまりの恥ずかしさに、俯いて顔を真っ赤にすることしかできなかった。


 とても信じられないと言った様子のリルノード公は、チラリと陛下に視線を向ける。


「本当じゃよ。彼はセツカ殿の主人であり、余らを何度も窮地から救ってくれた恩人でもある」


「私もこの目でシズク殿の勇姿を拝見させて頂きましたが、それはもう圧巻の一言に尽きました。かのグランドウルフですら赤子をひねるかの如くあっさりと討伐して見せた姿は、ガレリア様やアスリ様の若かりし頃を彷彿とさせましたよ」


「フフ、シズクくんは凄いのよ? あのサイクロプスを相手に、まるでダンスを踊るかのように優雅に空中を舞うの。つい見惚れちゃったわ」


「な、何っ?!」


 レスティエ様の言葉に陛下がすごく驚いて目を見開いていると、リルノード公からふふっと可愛らしい笑みが溢れた。


「失礼しました。皆様ばかりか、あの堅物で有名なコアンまでもが子供のように目を輝かせるものですから、気が抜けてしまって。……改めて、お願い致します。どうか、どうか我が国にそのお力をお貸しください」


 膝の上で手を重ね合わせ、深く頭を下げたリルノード公。

 コアンさんも続くように頭を下げたまま動かない。


 二人は……僕の言葉を待っているということなのだろう。

 陛下に視線を向けると、陛下は僕を見据えたまま静かに頷いた。


「僕にいったい何ができて、どれだけリーゼルンのお力になれるのか……。正直、僕自身にもわかりません。ですが、僕は僕にできることを全力でやり遂げます。微々たる助けかもしれませんが……僕にできることでしたら、なんでも仰ってください」


 僕の言葉に顔をあげた二人。

 リルノード公からの視線をしっかりと見つめ返し、無言で肯くと安堵の表情を浮かべた。


「感謝致します。シズク様にそう言って頂けて、本当にどれだけ心強いことか。とても厳しい戦いになると思いますが……どうか、よろしくお願いします」


「はい! ……僕が言える立場にないことは重々承知しています。ですが、言わせてください。僕にできることならどんなお手伝いでもしますから、リルノード公もご自身のお身体を労ってきちんと休息をとってくださいね」


 我慢しきれずに言ってしまった。

 良く見ると、うまく誤魔化しているけど目の下にはうっすらとクマが浮かび、顔色も少し悪いのが見て取れる。


 アスリ様もそうだったけど、責任感が強い人はすぐ無理するからね。

 

 不躾でも不敬でも、それで無理をやめてくれるかもしれないなら、言わずにいるより言った方がいいんだ。

 じゃないと、取り返しがつかなくなってしまってからでは遅いのだから。


「アスリの言っていた通りね……」


「え?」


 リルノード公が何かをボソッと呟いたけど、声が小さくて聞き取れなかった。

 ただ、心なしかその瞳は熱を帯びているように見えたーーー。

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