第28話 ゲースイ子爵家の末路1
メッサはプーテルにあるゲースイ子爵邸へと戻ると、おかえりなさいませと挨拶する家臣たちに目もくれずに父であるゴイスーがいる書斎の扉をノックもせず開け放った。
「パパっ!」
「ノックもせずに何事か! ……って、メッサではないか。どうした、そんなに慌てて」
ゴイスーは丸まるとした顔に生えるカイゼル髭――左右を上へと跳ね上げ、逆への字にしたような髭――を撫でながら、焦った様子のメッサへと視線を向けた。
「聞いてよっ! 街で美しい女性を見かけて思わず声をかけたんだけど、それが気に食わなかったのか傍にいた男二人が突然
「なにぃ?! どこのどいつだ、その不届き者はっ! すぐに捕まえて、処刑してやるわっ!!」
息子の言葉を疑うことなく信じ込み、ひどく憤るゴイスー。
そこへ扉がノックされる音が響き渡り、顔を顰めながらもメイドから用件を聞いた。
「お話し中、失礼致します。旦那様にお客様が尋ねてきております」
「今は忙しいっ! 後にしてもらえっ!」
「先方はメッサ様との一件で話がある、と伝えれば取り次いでもらえるだろうと仰っていましたが、お帰り頂いた方が宜しいですか?」
「なにっ……?! ふん、いいだろう! すぐに第二客間へと通せっ!」
かしこまりましたと一礼してメイドが去った後、たっぷりと時間を置いてからメッサを連れて第二客間へと向かうゴイスー。
アポもなく突然来た者にすぐに対応できるほど暇ではないのだと暗に伝えて、上下関係をハッキリさせているのだ。
ゲースイ邸には相手に応じて使い分けられるよう第二客間、第一客間、応接間と三つのランク分けされた客間があり、第二客間は平民などの相手をしなければならない際に使う最も位の低い部屋だった。
ほとんど飾り気のないシンプルな個室に、自分たち用の豪華なソファと相手用の貧相なソファ、ローテーブルが置いてあるだけの、相手との格差を思い知らせるための部屋。
相手の身元を確認もせず、下民だと決めつけたからこその対応と言える。
そうして優越感に浸りながら客間へと入ると、まだ若い青年一人がソファへと腰掛け、その後ろに執事服を着た老人と護衛と思わしき騎士風の男たちが4名立っていたことで思わずギョッとしてしまった。
くそ、平民ではないでないかっ! と。
だが、すぐに青年の身なりなどから恐らく男爵家、もしくは準男爵家の爵位を継げず放逐された子供だろうと推察。
自身より格下の存在であるとわかるや平静を取り戻し、思考をとめた。
「お前らがメッサの話していた不届き者どもか。自ら現れるとは、どういう風の吹きまわしだ? まさか、いまさら喧嘩を売った相手が貴族だとわかって、なんとか許してもらおうと謝りに来た……とかではないよなぁ?」
待たせたことを詫びることなく、高圧的な態度で話しかけながらドカッとソファへ腰かけるゴイスー。
「パパ、この生意気そうなツラしたやつがぼくをいきなり襲ったやつの一人だよっ! しかも、ぼくに向かって訳の分からない説教までたれやがったんだっ!!」
「……プッ。おっと、失礼。街では『私』と言っていたものだから、父親の前だとこうも変わるのかと思わず、ね」
悪びれた様子もなく、口元を隠しながら薄ら笑いを浮かべた青年。
その反応に額に青筋を立てて怒りを顕にするメッサとゴイスー。
「き、貴様ァァァァアア!! 儂らを侮辱して、ただで済むと思うなよっ!! 爵位があるかどうかもわからぬ若造の分際で本物の貴族に逆らったこと、必ず後悔させてくれるわっ!!」
「そ、そうだっ! パパにかかればお前らなんて、虫けら同然なんだからなっ!!」
「ふむ……。威勢だけは一丁前のようだ。それで、具体的にどのようにして後悔させるというのか?」
どれだけ威圧しても平静を失わない青年に、ゴイスーは自分の方が追い詰められているかのような気分になり、禿げあがった頭に僅かな脂汗が浮かぶ。
だが、息子よりも年下に見える若造にそのような感情を持たされたなどと到底認められず、さらに怒りが増した。
「……貴様だけでなく、一族郎党全てを処刑してやろう。もちろん、貴様は最後にしてな。自分のせいで家族が死んでいく様を、存分に後悔しながら眺めると良いっ! 安心しろ、貴様に恋人なり婚約者がもしいるのなら儂らが面倒を見てやるわ。飽きるまでおもちゃにしたあと、部下たちの慰み者にでもなってもらうがな」
心底愉快そうにワッハッハッと大笑いするゴイスーは、起こりもしない未来を夢想して自信を取り戻す。
「ほう……?
青年がスッと目を細めると、途端に室内の空気が一変。
重苦しい雰囲気に変わり、ゴイスーとメッサはまるで蛇に睨まれた蛙のように、ビクッと身体を震わせて固まった。
あまりのプレッシャーに全身の血の気が引いてしまい、頭に上っていた血が落ち着いたことで少し冷静さを取り戻すゴイスー。
彼はそこでようやく、自身に植え付けられていた『貴族籍があるかも怪しい格下の存在』や『息子に狼藉を働いた下郎』といった先入観から解放され、目の前に座る青年の容姿にしっかりと目を向けることができた。
貴族特有の金髪よりもさらに白みの強いプラチナブロンドに近い髪に、まるで大空のように澄み渡る美しい碧眼。まだ少しばかりの幼さを残しつつも、キリッと凛々しい顔立ち。
彼の記憶の片隅で、チラッチラッと誰かが姿を現しては消えていく。だが、どうしても思い出せない。
「ふ、ふんっ! その程度のことで強がれるなんて、お気楽な頭をしてるよっ! ね、パパっ!!」
必死に思い出そうとしていたのに、メッサが声をかけて来たことであと少しで思い出せそうだった人影は再び記憶の彼方へと消えてしまい、ゴイスーはブルブルと頭を強く横に振ると目の前の青年をキッと睨みつける。
「まったくもってその通りだな! フン、貴様の強がりはどうせ父親だか元実家だかのお陰なのだろう? ほれ、言ってみるが良い。もちろん儂よりも爵位が上なのだろうな?!」
「やれやれ……。どうしてこんな愚かな者が子爵なのだ……」
呆れたように呟いた青年は力なく首を振ると、目にかかった前髪を鬱陶しそうに手で後ろへと流した。
「あ……ああああ……ああああああああッッッ!!!」
何気ない動作を目にしたゴイスーは、バッと勢いよくソファから立ち上がると、ワナワナと震えだす。
先ほどどうしても思い出せなかったはずの誰かと目の前に座る青年の姿が重なったことで、ようやく誰なのかを思い出した。思い出してしまったのだ。
突然の異変に慌てて心配そうに声をかけるメッサの声など耳に入らないゴイスーは、視界がグーーっと遠くなっていくような錯覚を覚えながら、いまさら自身の愚かさを認識したのだった―――。
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