第2話 傷ついた女性


 家を出てから、かれこれ一ヶ月近くが経過した。


 僕はラインツ領を出る前に露店で買った目深にかぶれるフードつきの外套を羽織り、顔を隠すことで大きな騒ぎを起こすことなく街を出ると、乗合馬車などを乗り継ぐことでなんとか賞金がかかる前にネーブ国を脱出することに成功し、隣国であるウェルカへと移動することが出来ていた。


 今はさらに移動し、ウェルカの南にある山間部で暮らしている。と言っても、洞窟を根城にして野宿しているだけだけど。


 森自体はそれほど深いものではなく、日中は日が差し込むし、万が一の場合にはそれほど時間をかけずに山から出ることもできる。人がほとんど入ってくることもなく、まさに隠れ家にするにはうってつけの場所だった。


「初級魔法だけでも使えて良かったな。魔力は余ってるから、飲み水や明りにも困らないし。この辺の魔物なら撃退できるから、命の心配もない。うん、素晴らしいね」


 欲を言えば新しい洋服なんかが欲しいところではあるけど、街へ出ればもしかしたら僕のことを知っている人がいるかもしれない。

 それにお金は移動で全て使ってしまったので、たとえ気づかれなかったとしてもそもそも買うお金もないのだ。


 今は習慣となってしまった魔法の練習をしつつ、ひっそりと山暮らしを満喫している。


 幸い教養のためにとあれこれ覚えていたお陰で食べられる果物や食物、草花の区別もつくし、毒を持つものを間違って食べてしまう心配もない。


 あれをしろこれをしろと命令されることもないし、家を出た当初は思いもしなかったそこそこ快適なスローライフを送っていた。


「さて、今日の食料を取りにいかなきゃ」


 洞窟を塞いでいた土を地魔法でどけて外へと出ると、再び塞いでから森の中を歩いていく。今日のお目当ては山猪とリゴンの実だ。


 山猪の肉は独特のクセがあるが、調味料がない今は逆にそのクセで他のお肉との差別化をはかれるため、定期的に食べたくなるのだ。


 リゴンは真っ赤な果物で、生で食べても焼いて食べても美味しいという貴重な甘味。王都では砂糖と水、少量のレンモの汁を加えて煮たリゴンのコンポートっていうデザートが流行っているらしいけど、いつかは自分で作れたらいいなと思ってる。

 

 そんなことを考えながらリゴンの実を二つと山猪を狩り、まとめてアイテムボックスに仕舞い洞窟へ帰ろうかと思った矢先。


 木の幹に赤黒い手形を見つけてしまい、僕は足を止めた。


 視線を先に向ければ、道しるべのように血痕が続いている。おそらく、血のついた手で木を支えにしながら先へと進んで行ったのだろう。


「……ッ!!」


 思わず駆けだした僕は、血痕を頼りに森の中を進んで行く。

 やがて血痕が途切れると、その先に地面に突っ伏している女性を見つけた。


「大丈夫ですかっ?!」


 慌てて駆け寄り声をかけるが、すでに意識はなく呼吸も弱い。


 何度も何度もヒールをかけつづけ、30分ほどしたところでようやく顔色が良くなってきて、呼吸も落ち着いてきた。

 それでも失われた血は戻らないし、体力が回復するわけでもない。


 この場に放置していくこともできず、ひとまず寝たきりの女性に目の届く範囲内で先ほど狩ってきた山猪を解体したり、枝を集めて焚火を起こしたりすることに。


 やるべき事も終わってしまい、女性の容体が急変していないか確認しつつ、改めて寝ている姿を観察する。


 うん。胸もしっかりと上下に動いているし、顔色も落ち着いてる。大丈夫そうだ。

 でも、この人は何者なんだろうか?


 腰に届きそうなほど長い淡い桃色の綺麗な髪に、森に入るにしては似つかわしくないラフな赤いドレス。豊かな胸が作り出す谷間が映えるようになのか、胸元は大きく開いているし。

 シミ一つない真っ白な肌はとてもキメ細やかで、顔立ちも人形のように整っている。

 どこかのご令嬢だと言われた方が、まだしっくりくるくらいだ。


 場所にそぐわない女性の雰囲気もそうだし、変わった人だなぁ。


 なんてことを考えながら二時間ほど起つ頃、ようやく目覚めた女性は慌てて飛び起きると、僕を見て真っ赤な瞳を大きく見開いて一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐに警戒心を強めたかと思えば後方に飛びずさり緊張した面持ちで僕へと手のひらを向けた。


「状況がわからぬ。お主は何者じゃ? どうして妾を殺さなかった?」


「えっと。木に血痕がついていることに気づいて、そのあとを追って行ったら貴女が倒れてて。傷はなんとかヒールで治せたんですが、意識のない女性を置き去りにすることもできず、かといって背負って移動することも難しかったので、起きるのを待ってたところでした。余計なお世話だったならすみません」


 僕がぺこりと頭を下げると、驚いた表情を浮かべる女性。

 しばらく考え込んだ後、手を下げるとがばっと深く頭を下げた。


「そうであったか。命を助けてくれたこと、感謝する。訳あって他人は信用できん身の上でな。恩人に無礼な態度をとってしまい、すまなんだ」


「そうでしたか。それは、その尻尾のようなもののせい……とかですか?」


 倒れているときから気にはなっていた、女性のお尻付近から伸びているであろう、黒く細長いもの。先っぽはハートをひっくり返したような形をしていて、一目見てすぐに尻尾……? と思いはしたものの、薄っすらと透明がかっていたので確信が得られず、一応「尻尾のようなもの」と曖昧な感じで伝えたんだけど。


 それがいけなかったのか、僕の言葉を聞いた瞬間、女性が再び大きく目を見開き焦りだした。


「なっ?! なぜ妾の尾が見えるのじゃ?! 秘術は完璧にかかっているはずじゃ!!」


「ああ、それで半透明なんですね。うーん、どうしてでしょう?」


 僕が首をかしげると、目を細める女性。


「妾はまだ捕まる訳にはいかないのじゃ! 悪く思わんでくれ! 『闇刃』!!」


 女性は再び僕に手のひらを向けると、闇魔法を発動。

 生み出された闇の刃は、一直線に僕に向かって飛んで来た―――。

 

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