第二十話 偽造された環

 そして、船守ふなもりがその事態を異常だと感知する以前の問題として、二つ目の関で通過を許可しなければことは起こらなかった、と棕若しゅじゃくは言っているのだ。

 晶矢しょうしの方も当然それは承知していたのだろう。棕若の言及に苦虫を噛み潰したような顔をして溜め息と共に次の句を継いだ。


「大変申し上げにくいのですが、くだんの十五名の緑環りょくかんが二つ目の関を通った、という記録がどこにも残っていないのです」

「それは右官府うかんふの手落ちを認める、ということかな?」

「その点に関しては否定いたしますまい。ただ」

「ただ?」

右官府うかんふかんの偽造を疑っております」


 晶矢の発言に正殿せいでんの中は一様に動揺した。晶矢、或いは棕若の主張を聞いているだけだった大夫たいふの目の色が変わる。

 環の偽造は重大な罪だ。何人たりとも、たとえ国主こくしゅその人であろうとも環を偽ることは許されない。出自、及び所属を証す環は偽りがない、偽れないという足場の上で均衡を保っている。間諜が持つ仮の環だけが唯一の例外だった。任務上、必然性があるから支給される。それ以外で環を偽ることは決して許されない。環の偽造が発覚すれば一族郎党死罪が申付けられる。

 西白国さいはくこく建国以来、百六十年の歴史の中には環の偽造を図った事例が幾つか残っている。その全てにおいて偽造した環は一つ残らず回収され、僅かでも偽造に関わったものは罰せられた。偽造は年月を経るごとに巧妙になり、現在では環を管理している典礼部でなければ真偽がわからないほどになっている。

 郭安州かくあんしゅうから上ってきた緑環が二つ目の関では別の色の環を提示していれば――殊にそれが流民の証たる白環びゃっかんであれば、関の通過は容易い。白環に記録されているのは血統と出身地だけだ。住居や職務が定まるようであれば他の五色の環に分類される。白環が関を通る為にはある程度の金銭さえあればいいのだから、誰かが何らかの意図によって組織的に地方のものを岐崔に送り込もうとしているのならそのぐらいのことは容易いだろう。

 環の偽造が真実ならば、一つ目の関を越える際にも白環を使えばいい、と晶矢たちも最初は考えた。文輝ぶんきもそう思いながら晶矢の説明を聞いていると、ことはそう単純ではないという現実に遭遇する。


「偽造が行われたのが真実であれば、そこから先の可能性は二つございます。緑環が白環びゃくかんを偽ったか、白環が最初から緑環を装ったか。そのどちらであるかによって対応が全く異なる為、私ども右官府の手には余る、ということで左尚書さしょうしょに陳情させていただきました」


 そこまで言われて何故工部こうぶが左尚書にてんを出したのか、文輝もようやく理解した。白環の来歴を調べる為には典礼部てんれいぶに掛け合わなければならない。だが、緑環であれば左尚書に人事録がある。一つ目の関を通ったときに緑環の持ち主は身分を詳らかにした筈だ。そこから実在の人物であるかどうかを調べることが出来る。緑環が実在したのならば偽造されたのは白環、という順に仮説を潰してくことが出来るからこそ、工部は案内所を訪い薬科倉やっかそうの場所を確かめた「不審な」緑環の所有者の確認を伝で依頼した。万事形式が重要視され、何重もの確認の手順を踏まなければならない典礼部への確認よりこちらの方が解決までの道のりは短いだろう。

 そして。


左尚書令さしょうしょれい殿、私の申し上げた十五の緑環の持ち主は実在しておりましたか」

「その質問へ一概に返答することは困難だね。でもはぐらかしていても何の解決にもならないのもまた明白。貴官が申し述べた十五名は左尚書の人事録に名が残っている」


 では、と晶矢が意気込む。それを棕若は眼差しで制して「話は最後まで聞いてほしいものだね」と続けた。


「右官府の訴状にある十五名は確かに存在している。これは嘘偽りのない事実だ。けれど、左尚書の記録ではそのものたちは数年、或いは十数年以上前にそれぞれ別の地方府へ配属になっている。左尚書が彼らに上京を命じた記録も、転属を命じた記録も存在しない、という事実もまた覆しようがない」


 だから、今、その十五名が岐崔ぎさいにいる筈はないと棕若は言う。

 その主張が正しいのだとすると郭安州から上ってきた緑環すら偽造の可能性がある。となるといよいよ左官府、右官府の手に余る事態であることは間違いない。

 左尚書の控室で待っている間、晶矢はこの結末を予見していたのだろうか。このあまりにも重大な事件を知って、それでもなお文輝の雑談に応じていたのだろうか。

 答えは晶矢自身しか知らないが、それでも文輝にも一つの事実が見えた。

 晶矢も棕若もお互いの主張を矛盾なく解決する手段として御史台を選んだ。

 内府典礼部への白環の来歴確認。そこに至る為だけに晶矢は棕若と軋轢があるように振る舞い、そして御史大夫を巻き込んだ。それを理解した瞬間、文輝は今までに味わったことのないほどの緊迫感を覚える。


「つまり、貴官らは私を典礼部での手順を省く手段としてお使いになった、ということでありまするな」


 その声は感嘆にも諦観にも聞こえる。呆れの要素が一番大きかったが、それでも大夫は自らに求められていることと、今彼が何をすべきかは正しく理解しているようだった。

 確認の形で問われた言葉に棕若と晶矢が真顔で返す。


「そうだね、大変不遜ながらそうさせてもらったよ。初めからこちらの主張だけを伝えたのなら君はきっと鳥を飛ばすことすらしてくれなかった、と僕は思っているのだけれど?」

「環の偽造は重罪でありまするぞ」

「ですからこちらへ参りました」

「郭安州の関で提示された環の詳細をいただけまするか」

「是、こちらに」


 晶矢の懐から新しい桃色の紙が現れる。表書きの筆跡を見るにどうやら晶矢本人の手によるものらしい、と文輝は判断した。

 その桃色を受け取ることなく、大夫は更に言葉を続ける。次は棕若の番だった。


「左尚書令殿。貴殿の主張する『本来の』環の記録――も当然お持ちでおられまするな?」

「勿論。これがその写しだよ」


 こちらは若草色の紙で、左尚書の書記官がしたためたのだろう。文輝の知っている棕若の筆跡ではなかった。

 二つの書状が既に用意されている現状を受け入れた大夫が、ただの傍聴者で終わろうとしている文輝に一つの役割を与える。


戴庶務官しょむかん殿、その二つの書状を運んでいただけまするか」

「は、是!」


 その声に文輝は起立し、桃色と若草色を回収して上座の大夫のところまで運んだ。用を終え、元の胡床いすに戻るのと前後して通信士の下へ若竹色の鳥が舞い降りる。文輝の位置からは見えなかったが、多分典礼部からの返答だろう。

 内府の復号は典雅だということを思い出して、少し期待したが通信士は略式復号を行い、伝頼鳥てんらいちょうは瞬く間に一通の書状に変貌した。

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