第十九話 無事の報せ
そこで彼女の主張は終わった。
「なるほど、承知いたした。つまるところ、
「
自らには何のやましいところもない、と晶矢が主張する。大夫はそれを聞き届け、
「案内官殿、貴官の報告では
「おそれながら、大夫。現在の
「なるほど、貴官が
「いかにも」
多分その問答は形式上だけのものだったのだろう。大夫は晶矢の言で納得し、追及の矛先を緩めた。晶矢が今、主張したことの全ては彼女一人でやったことではあるまい。彼女の上官や
そんなことをひしひしと実感していると文輝の視界で
「
そうだろう、包大夫。言って棕若は後方へ半身を捻った。文輝には完全に棕若の背しか見えなくなる。それでも、彼が静かに激しているのが伝わってくるのだから、棕若の視界に納まっている二人はよりいっそう苛烈な空気を感じているに違いない。
「大夫、僕の反論を申し述べてもいいかな?」
「お聞かせ願えまするか」
「勿論だとも」
いいかい、
「そもそも、右官府の言っている『郭安州から上ってきた文官』が『突然に増えた』のはいつのことなのかな?」
「徐々に増えておりますので、一概に断定は出来ませんが敢えて線を引くとすれば十日前でございましょう」
「では敢えて問おう。郭安州から岐崔までの旅程は一般的にどのぐらいだい?」
その問いへの答えもまた一概には断定出来ない。
郭安州から岐崔までには通常二つの関と一つの過酷な峠が待ち受けている。
地方官で上京の必然性があるもの、或いは十分な富を持つものであれば馬、及び宿舎を利用することが出来る為、最短では二十日ほどの旅程が想定される。だが、私事で上京するもの、或いは宿舎を用意するだけの富がないものは馬しか利用することが出来ず、旅程は十日延びるのが一般的だ。
官吏ですらそれだけの日数を要する。優先的に関を通ることが出来ない残りの
だから、一般的という抽象的な範囲で正答を口に出来るものはいない。それでも、晶矢は口を開いた。彼女が非凡である、ということを文輝はまた実感する。
「左尚書令殿が仰っているのは
その事案であれば二十日、とお答えいたしましょう。
晶矢は淀みなく応える。棕若はそれをも見越していたのだろう。「阿程殿は計算も出来ないとお見受けする」と皮肉さを隠しもせず、鼻先で笑った。
「郭安州の
晶矢の主張では不審な文官が上京してくるようになったのが十日間ということだった。つまり、最短時間――二十日で郭安州から岐崔にやってきたのだとすると彼らの進発は三十日――ひと月と少し前のことになる。変異が始まったのだとすればひと月前にも何らかの兆候があったのではないか、と棕若は言っている。どちらの言にも反応を示さない大夫に代わり、晶矢が自ら答弁した。
「ひと月前に進発した緑環が一つ目の関に辿り着くまでが十日。その間、我々には異変を察知するだけの要素がございません」
「ではどうして二十日前に君たちは『不審な』緑環の通過を許可したのだい?」
「州牧からの返答が『無事』であったからに相違ございません」
「そう。それは致し方がないね。けれど、関はもう一つあるように僕は思うのだけれど?」
十五名の文官は同日に岐崔に入ってきたわけではない。船守からは怪しまれるか怪しまれないかの際どい数に分散して船に乗ったという報告があった。ただ、一つの州からそう何日にもわたって続けさまに同じ色の環ばかりが上京することはあり得ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます