第十九話 無事の報せ

 晶矢しょうしの凛とした声が、捕縛すべき十五名の名を挙げる。

 そこで彼女の主張は終わった。


「なるほど、承知いたした。つまるところ、右官府うかんふ左官さかんの造反により首府である岐崔ぎさいの安寧が脅かされている、とお考えでありまするな?」

ほう大夫たいふもよくご存じの通り、岐崔に入る為には三つのみなとを使うほか手立てはございません。工部こうぶ治水班ちすいはんが乗客及び船荷の検閲を行っており、かんの提示がなければ貴賤を問わず、上陸の許可を出さぬ、というのが律で定められております。わたくしが申し上げた内容は治水班より、内府ないふ典礼部てんれいぶへ報告が上がっておりますゆえ、疑わしき点がございましたら如何様にもお調べください」


 自らには何のやましいところもない、と晶矢が主張する。大夫はそれを聞き届け、通信士つうしんしに内府典礼部へ緊急の伝頼鳥てんらいちょうを飛ばさせた。と、同時に副官の一人を傍らへ呼び、何ごとかを耳打ちする。副官はそれに拱手きょうしゅし、むくの扉から御史台ぎょしだいへと続く回廊へと出て行った。


「案内官殿、貴官の報告では陽黎門ようれいもん及び宮南門きゅうなんもんの守衛の証言も上がっておりましたな。中城ちゅうじょうの警護は近衛部このえぶの任。いかなる手段を以って右官府は近衛部の証言を取り付けたのでありまするか?」

「おそれながら、大夫。現在の近衛太史このえたいし三公さんこうの一つ、家ご出身であれば、岐崔に変異ありと陳情致したところ、快くお力をお貸しくださいましてございます」

「なるほど、貴官が九品きゅうほんゆえ、可能だったと申さるるのでありまするな」

「いかにも」


 多分その問答は形式上だけのものだったのだろう。大夫は晶矢の言で納得し、追及の矛先を緩めた。晶矢が今、主張したことの全ては彼女一人でやったことではあるまい。彼女の上官や右尚書うしょうしょの上級官吏たち、或いはてい家当主である晶矢の母などが尽力した結果だ。文輝ぶんき以外で今、岐崔に残っているたいの嫡流は次兄ひとりだが、九品に名を連ね、将軍位を得ている以上彼もまた今回の右官府の提言に関わっていると考えなければならない。

 そんなことをひしひしと実感していると文輝の視界で棕若しゅじゃくが苦笑いの溜め息を吐いた。


郭安州かくあんしゅうの文官が揃って叛旗を翻し、武官に抗う。その構図があり得ない、とは僕も断言することは出来ない。それでも、僕から言わせれば右官府の主張は穴だらけだ」


 そうだろう、包大夫。言って棕若は後方へ半身を捻った。文輝には完全に棕若の背しか見えなくなる。それでも、彼が静かに激しているのが伝わってくるのだから、棕若の視界に納まっている二人はよりいっそう苛烈な空気を感じているに違いない。


「大夫、僕の反論を申し述べてもいいかな?」

「お聞かせ願えまするか」

「勿論だとも」


 いいかい、阿程あてい殿。棕若は聞き分けのない子どもに説くように晶矢の主張を否定し始める。


「そもそも、右官府の言っている『郭安州から上ってきた文官』が『突然に増えた』のはいつのことなのかな?」

「徐々に増えておりますので、一概に断定は出来ませんが敢えて線を引くとすれば十日前でございましょう」

「では敢えて問おう。郭安州から岐崔までの旅程は一般的にどのぐらいだい?」


 その問いへの答えもまた一概には断定出来ない。

 郭安州から岐崔までには通常二つの関と一つの過酷な峠が待ち受けている。

 地方官で上京の必然性があるもの、或いは十分な富を持つものであれば馬、及び宿舎を利用することが出来る為、最短では二十日ほどの旅程が想定される。だが、私事で上京するもの、或いは宿舎を用意するだけの富がないものは馬しか利用することが出来ず、旅程は十日延びるのが一般的だ。

 官吏ですらそれだけの日数を要する。優先的に関を通ることが出来ない残りの四環しかんであればふた月かかることもあるだろう。

 だから、一般的という抽象的な範囲で正答を口に出来るものはいない。それでも、晶矢は口を開いた。彼女が非凡である、ということを文輝はまた実感する。


「左尚書令殿が仰っているのは緑環りょくかん、それも国府に用向きのあるもの――即ち私が只今申し上げた十五名の場合でございますな」


 その事案であれば二十日、とお答えいたしましょう。

 晶矢は淀みなく応える。棕若はそれをも見越していたのだろう。「阿程殿は計算も出来ないとお見受けする」と皮肉さを隠しもせず、鼻先で笑った。


「郭安州の州牧しゅうぼくの報告が一様に『無事』であるようになったのはいつからかな? ひと月前ではあるまい」


 晶矢の主張では不審な文官が上京してくるようになったのが十日間ということだった。つまり、最短時間――二十日で郭安州から岐崔にやってきたのだとすると彼らの進発は三十日――ひと月と少し前のことになる。変異が始まったのだとすればひと月前にも何らかの兆候があったのではないか、と棕若は言っている。どちらの言にも反応を示さない大夫に代わり、晶矢が自ら答弁した。


「ひと月前に進発した緑環が一つ目の関に辿り着くまでが十日。その間、我々には異変を察知するだけの要素がございません」

「ではどうして二十日前に君たちは『不審な』緑環の通過を許可したのだい?」

「州牧からの返答が『無事』であったからに相違ございません」

「そう。それは致し方がないね。けれど、関はもう一つあるように僕は思うのだけれど?」


 十五名の文官は同日に岐崔に入ってきたわけではない。船守からは怪しまれるか怪しまれないかの際どい数に分散して船に乗ったという報告があった。ただ、一つの州からそう何日にもわたって続けさまに同じ色の環ばかりが上京することはあり得ない。

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