第三十五話 低すぎる王陵

 その、選択が出来ることすら九品きゅうほんに生まれたゆえだと切り捨てられて文輝ぶんきは閉口する。

 知っている。九品はこの国において特別な貴族でとても豊かだ。諸貴族とは決して同等に語られることはないし、まして無官ぶかんの民たちとは比べられすらしない。人口で言えば一割どころか五分にも満たない「特別な」側の出自だと断言される。

 志峰しほうのその言葉が、文輝の中に今一度不条理を刻みつけた。


「その言い方は卑怯だ、と俺は思います」

「私もそう思っていますが、こうでも言わなければあなたには伝わらないのではありませんか?」


 そうかもしれない。志峰が一言の元に切り捨てた文輝の感傷には意味などないのかもしれない。文輝は華軍かぐんを知ったつもりでいたが、華軍も同じ思いだったかどうかすら定かではないことを突き付けられて文輝は返す言葉を失った。奥歯を強く噛み締める。白帝廟はくていびょうの白壁がようやく見えた。入口まではもう少し距離があるが、そこに辿り着くまでに志峰への反論が浮かぶとも思えず、文輝はまた不甲斐なさを一人抱え込む。

 その、文輝の独りよがりな我慢を晶矢しょうしが鋭く見抜いた。

 文輝の隣で大きな溜め息を零したかと思えば半身を捻り、最後尾の志峰に向けて言い放つ。


「志峰殿、それは些か首夏しゅかを軽んじている。貴官が思うほどそれは愚昧ではない」

「では阿程あてい殿、あなたにお尋ねします。とう華軍が国官という地位を棄て、通信士つうしんしであるという誇りをけがしてまで一体何を得ようとしているのか、あなたには理解出来るのですか?」

「わたしはそこの坊ちゃんではないから、何か事情があるのだ、とは言わん」

「では何とお答えになるのです」


 文輝の代わりに志峰に反論した晶矢が力強い声で言った。

 白帝廟の門柱が三人の視界に映る。一つ目の廟までもう少しだ。


「その答えは陶華軍本人に訊けばいいだろう」


 それに、と晶矢が続ける。


「貴官の信念が揺らいだ、という不安を八つ当たりでわたしたちに押し付けるのは一人の国官として恥ずべき行為だ、とは思わないのか?」


 その問いの形をした断定を受けた志峰は勿論だが、文輝も瞠目した。

 志峰も文輝も自らの理想を押し付け合うことに必死でお互いの気持ちを理解しようとはしなかった。二人とも不安に押しつぶされそうだった。陶華軍にあらゆる意味で思い入れのない晶矢だから言える。その事実の指摘に志峰はばつの悪そうな顔をして「ここに陶華軍がいることを祈りましょう」と言って残りの距離を疾駆する。未だ戸惑いから抜け出せない文輝の肩を叩いて晶矢が先に白帝廟の門柱をくぐった。

 右尚書うしょうしょの東隣に建立された白帝廟は中城ちゅうじょうの中では小さい部類に入る。

 四方を白壁で囲まれ、入り口は東西の二か所しかない。文輝たちは西側の入り口から中に入った。正面に石組みの廟が三階建てでそびえ立つ。白帝廟は大体、西――白帝はくていの守護する方角を向いているのが普通で、この廟もそうなっていた。三階建ての廟の吹き抜けになった部分に見上げるほどの高さの石像が立っている。白帝が顕現した姿だとされるが、廟によって少しずつ異なるのが一般的だ。中城にある廟だけでもまるで同じ姿をしているものは一つもない。足もとに控える聖獣せいじゅうは虎であることが多いが、狼であったり、鹿であったりもする。基本的に四足よつあしのけものであれば違いは問題視されず、その地域の伝承の方が重んじられた。

 その白帝像の周囲を取り囲むように回廊が作られ、外壁に沿って二十四の神仙の像が配置されている。白帝の直参であり、皆、はく姓を持つ。西白国に十二あるくにでは、一州につき二柱が土着の神として信仰されていた。その由来から、地方の白帝廟では白帝像を含め三体が配置されるのが一般的で、二十四が揃うのは岐崔だけだ。

 夕暮れ時の白帝廟を訪うものは殆どおらず、中はしんとしている。

 文輝たちの背丈より高い白壁の向こうに夕陽を見る為には廟の三階に上らなければならない。正面に屹立する白帝像を横目に石造りの階段を駆け上る。二階の灯かり取りの窓からは白が強く差し込んでいたから華軍がこの廟にいるのではないかと期待する。

 だが、その期待は三階で否定された。

 この廟は白が強すぎて、朱が見えないのだ。


王陵おうりょうが低すぎるんだ」


 中城の西側に造られた王陵は二つの頂を持っている。一つは歴代の国主こくしゅのもの、もう一つは国主の正妃おうひのもので、峰と峰との間には谷間があった。この白帝廟は丁度その谷間から夕陽が見える。白光びゃっこうを遮る峰が低い為、白ばかりが見えて朱が退色している。ここではない、と三人は判じ、急いで階段を再び駆け下りる。南側の頂の影が映り込んだ中城の中に立ち上る橙色の煙が見えた。戸部こぶ戸籍班こせきはんの火災はまだ続いている。


「急ごう」

「ああ」


 志峰が四半刻の定時報告と結果報告で紫の鳥を飛ばす。それを見送って三人は一つ目の白帝廟を後にした。

 二つ目の白帝廟は東の外れで、付近は兵部や工部の厩になっている。一つ目の白帝廟と比べるとかなり大きく、廟の他にも堂が幾つか配されていた。廟の前には広場があり、入り口は南北と西の三か所ある。神話上、白帝が四位の神とされる所以から四重の塔があった。塔があるのは右官府ではこの一つだけで、あとは岐崔全体でも左官府に一つと城下に一つの三か所しかない。

 その、規模の大きな白帝廟に辿り着くまでに四半刻を要し、白壁が見えた時点で志峰が報告の鳥を飛ばした。それと行き違いで御史台ぎょしだい大夫たいふからの鳥が飛来し、左官府さかんふの二つのうち、こちらも一つ目では陶華軍の発見に至らなかったと記してあった。戸籍班の書庫は既に三つが全焼し、現在は五つ目まで類焼しており、未だ火の手からは遠い書庫の戸籍簿を退避させているとの報告がある。その報告を受けた晶矢が悔しげに唇を噛み締めた。

 幾人もの官吏の信念を揺るがし、不安を煽り、国体を損なわせている華軍を「説得」して穏便に解決しようとしている文輝は甘いのではないか。不意にそんなことを思った。思うと同時に文輝は遅ればせながら気付いた。

 晶矢も棕若しゅじゃく大仙たいぜん進慶しんけいも志峰も。皆、その文輝の甘さにとうに気付いている。気付いていなかったのは文輝一人だ。

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