第三十一話 白帝廟

 曰く、とう華軍かぐん読替よみかえである、というのが主な論拠だった。読替というのは罪科つみとがや功績の種別の音を違う文字に置き換え、それを姓とする行為だ。華軍であれば「陶」すなわち「とう」であり、この場合は「盗」すなわち盗みを働いたものが三親等以内の親族の中にいることを意味している。悪い意味の読替はより重い罪科を負った場合以外は決して変わることがない。つまり、一生を罪科と共に生きていくほかないということだ。

 盗人または盗人の血縁である華軍には生まれつき罪科の運命があり、今回の反逆もその延長である。罪人は結局のところ罪人でしかないというような意味合いの罪状に文輝ぶんきはまた血が沸騰する感覚を得た。


大夫たいふ――」

「お待ちください、大夫」


 思わず立ち上がり、叫ぼうとした。文輝に先んじて冷徹な声が正殿の中に響く。外はもう薄紫の色合いを纏っていた。時間がない。なのにまだ言葉遊びや責任転嫁が続いている。文輝の直感が告げる。これ以上、ここで時を失してはならない。

 声の主――晶矢しょうしは先ほどまでの激昂を抑え、侮蔑の眼差しも顕わに今度は静かに胡床いすから立ち上がった。


「大夫は『まじない』の才の意味するところをご存じではないのですか?」


 侮蔑の眼差しで晶矢が大夫に問う。大夫は不愉快そうにそれを受け止め、溜め息と共に返答を口にした。


「『陛下』から唯一、主上に対抗し得る術として授かる天賦の才、と認識しておりまするが?」


 それは実に模範的な回答だった。

 西の大地を守護する白帝はくてい。その白帝から権力を間借りする国主こくしゅ。国主の専横せんおうが行われない為に白帝はくびきを打ち込んだ。その楔が「まじない」の才を持つ民の存在だ。国主の一族と九品きゅうほんには決して「まじない」の才を持つものは生まれないのがその証拠だった。

 つまり、「まじない」の才を持つ華軍はこの国における至上の存在である白帝から祝福を受けていると考えられる。何かが起きたとき、白帝の楔である彼らは国主と対峙する武器を持っている、ということだ。


「では、大夫は罪科の読替と『陛下』に下賜かしされた才のどちらが重要である、とお考えなのですか?」

「何が仰りたいのでありまするか」

「私はただ、『陛下』が存在を認めた『選ばれた存在』である陶華軍を先入観のみで裁くのは愚かしいと申し上げているだけでございます」

「貴官も右尚書うしょうしょの調書は偽りである、と仰りたいのでありまするか」

「いいえ。右尚書がそう調べたのでありますれば、陶華軍には何らかの後ろ暗い傷があるのでしょう。ですが、罪科だけを理由に彼を捕縛するのは事実上不可能だと申し上げております」


 そんなことをしたら、今度は御史台ぎょしだいの権威が失墜する。言外にそう含ませて晶矢は言葉を切った。大夫が怪訝な面持ちで彼女に問う。

 

「では貴官ならどうする、と?」


 その問いには答えず、晶矢が不意に振り向き文輝に言った。

 いつの間にか生来の晶矢らしい不敵さが戻っていた。多分、彼女は腹を括ったのだ。御史台の思うがままに動くのではなく、自らの意思でこの動乱を乗り切る。だから、晶矢は文輝に問う。


首夏しゅか、お前ならどうする」


 左尚書で問われたのとは少し違う形だったが、本質は多分変わっていない。

 その既視感を覚える問いに気勢を折られた文輝は苦笑で応じる。


「どうする。って、俺に訊くか、そこ」

「信じているのだろう? 警邏隊けいらたい戦務班せんむはんの執務室にいない通信士つううしんしを。ならば覚悟を示せ」

「お前なぁ。覚悟ってのはそうほいほい軽々しく口に出すもんじゃねぇだろうが」

「有事に示せない覚悟ならば棄てろ。わたしもおまえも感傷を許された立場ではないだろう」

「まぁ、そうだが」

「心当たりはないのか。陶華軍が今、どこで何をしているか。りゅう子賢しけんの方でもいい。信じているのならおまえがその決意で最後まで守ってみせろ」


 それが出来ない程度の中途半端な覚悟しか持っていないのなら、御史台の調べに抗うのは無理だ。今すぐ先の非礼を詫び、媚び諂い大夫へ許しを請え。今ならまだ間に合う。

 言葉の行間を読むと半ば脅迫じみた内容が含められていた。

 文輝は晶矢の苛烈かれつさに舌を巻きながら、それでも自分がどうしたいかを見失うことはなかった。上官も同僚も信じている。華軍は自分を信じろと言った。だから、今なすべきことは何も変わらない。

 息を吸った。正殿の静謐せいひつな空気が肺腑に満ちる。血が上っていた頭が少し冷えて思考が巡り始めた。岐崔ぎさいは広い。その中へ闇雲に駆け出して行っても二人を見つけることは出来ないだろう。見当を付けなければならない。

 そこまで考えて文輝は思った以上に二人のことを知らないことに気付いた。

 世間話をしなかったわけではない。くだらない雑談なら幾つも交わした。それでも、二人の本質に触れる話はそれほど多くなかったのだと知る。

 その少ない本質を脳裏で瞬かせながら、今日の出来事を朝から順に思い出す。

 そして。


白帝廟はくていびょう


 ある施設の名前が直感を刺激した。白帝廟というのは名前の通り、白帝――「陛下」を祀った廟で西白国さいはくこく中に数え切れないほどある。岐崔の中だけに限ったとしても両手の指ではとても足りない。通信士は月に一度か二度、「陛下」への忠義を自ら確かめる為に白帝廟へ赴く、といつか華軍が言っていたが、彼の言う白帝廟がどの白帝廟なのかはわからない。

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