第三十話 静かなる憤怒
そのことを理解した
「
静かに激した口調で棕若が問う。
「
「なるほど、
戸籍簿は三重に保管されている。その中で出生と死亡の届けの記録が詳細に残るのは
その、戸籍班の台帳は十三ある書庫で六十年間保存される。
大仙が無表情でそれを肯定する。
「
「出自の隠蔽、にしては仰々しすぎるね。各部の密通者の調査を遅らせるつもりかな?」
「
「そこで
「左様。大仙、調書をこれへ」
大夫は調書を大仙から受け取ると、慣れた手つきで広げ、ざっと目を通す。
「左尚書令殿、
およそ二十に至る名が読み上げられ、締め括りに入る。その最後の名だけは決して聞き違えることなどあり得なかった。
「
「馬鹿な! 華軍殿が一体何をしたと言うのです」
文輝が陶華軍と出会ったのは
一体何の罪状が論っているのかと思わず声にして叫んでしまったあとで、文輝はこの場が御史台であることを思い出し、ばつの悪い思いをした。それでも出した声は二度と取り戻せない。後悔もあったが、文輝は自らの主張を貫くことを選んだ。
「
「しかし、
「小戴殿、僕は『聞こう』と言っているのだけれど?」
「いいえ、右尚書の調書は誤りです。華軍殿に罪を擦り付けたい誰かが偽りの調書を作成したとしか考えられません」
「黙るんだ、小戴殿」
「孫翁!」
棕若もまた憤っているのは理解している。大夫が読み上げた調書に偽りがなければ、密通者は偽造された
それでも、文輝は文輝の運命を切り開く手を貸してくれた先達を切り捨てることが出来なかった。上官も同僚も同じように信じている。左尚書で口にしたその言葉は今も文輝の中で生きていた。戦務長が何の意図を持って動乱に加担したのかはわからない。華軍が本当に清廉潔白なのかもわからない。
ただ、一つだけわかることがある。
それは文輝が二人を信じたいと思っている、ということだ。
棕若にはそれが見えている。だから、彼の意図に従わない文輝を排除しようとするには至っていない。文輝も頭に血が上っているがそれに気付かないほどは愚昧ではなかった。
だから、だろう。
「孫翁、誰が何と言おうと俺は俺の直感を信じます。華軍殿は決して意味なく国を裏切るような方ではありません。万に一つ華軍殿に
「僕は君の気持ちまでも否定したいのではないよ。ただ、否定するにはその前提となる事由が必要だ。大夫の話を最後まで聞こう。君が真実陶華軍を信じられるのだと言うのなら、それぐらいの覚悟が必要だとは思わないかな?」
幼子に説いて聞かせるように穏やかに棕若が言う。その正論中の正論に論破され、文輝は反論の言葉を失った。血が上っていた頭が少し冷える。否定は許されている。それだけが文輝の希望だった。
「大変失礼をいたしました。大夫、続きをお願いいたします」
不本意ながらそう謝罪すれば場の空気はまた緊張感を帯びる。
大夫は「よろしいか」と前置いて華軍の罪状を読み上げ始めた。
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