第二十九話 国主の出自

 大夫たいふが今一度大きな溜め息を吐き、そして疲れ切った顔で大仙たいぜんに説明を促した。


左尚書令さしょうしょれい殿にとってはただの確認でありましょうが、事実関係を明らかにせねばなりまするまい。大仙、最初から説明せよ」

「……承知」



 随分と長い間を置いて大仙が首肯する。

 そして彼は嫌悪感を隠しもせずに「君たちの質問に答えよう」と言った。


「その前に。阿程あてい殿。まずは着席しなさい。人の話は立って聞くものではないよ」

「……失礼いたしました」


 棕若しゅじゃく晶矢しょうしを諌める。鬼のような形相で上座の三人を睨み付けていた彼女は棕若の言葉で気勢を折られたのか、渋々胡床いすを整えてそこに着席した。大仙が文輝ぶんきに向けて「れは確かに今朝君と会った。進慶しんけい殿の苦言を半日で活かせる君は確かに九品きゅうほんの子息たる素養がある。そのことだけは称賛に値するだろう」と一息に言う。今までの寡黙さが嘘のようだった。

 彼の隣で進慶が困り顔で肩を竦める。


内府ないふ――というか近衛部このえぶでは工部こうぶ典礼部てんれいぶからの報告を受け、秘密裏に調査を進めていた。かんの偽造は全く考えていなかったからな。その点では左尚書令殿、貴官らの炯眼に恐れ入る」

「十五の緑環りょくかんについては進慶殿もご存じだったのですか?」

「見たことのない環が出入りしていれば気付くさ。数も数えた。それでも、偽造だとは思わなかった。蓋を開けば典礼部の中に密通者がいる、だからな。俺たちにそれを看破せよというのは無理だ。正当な手続きを経た偽物を区別出来るやつがいるなら、衛士えじの枠に収まったりしないさ」


 そう言った進慶の顔には後悔がありありと浮かんでいた。中城ちゅうじょうを守る衛士でありながら、動乱を未然に防ぐことが出来なかったのだから、それも当然だと言える。

 今、中城では二つ目の事件が起きている。これ以上、被害を増やさない為にも、審議を速やかに終え、首謀者を捕えなければならない。

 ただ、その話題に移行するには幾つかの疑問点が残る。

 文輝の不安を晶矢が言葉にした。隣を見れば獰猛な虎のような態度で晶矢が吼える。


「では内府はこの件について何を調査されていたのです」

国主こくしゅ様がお生まれになった地のことだ」


 晶矢の問いには大仙が答えた。

 国主の生い立ちならば軍学舎ぐんがくしゃ初科しょかで習う。先代国主が娶った側室の一人、南方王族出身の朱氏しゅしという美姫が生んだのが今の国主、景祥けいしょうだ。禁裏きんりの中にある後宮こうきゅうで育ったが、朱氏には有力な後ろ盾がなく国主の位を継ぐことなく三公さんこうに降下すると思われていた。巡りあわせにより、主位継承者候補たちが次々と命を落とした為、景祥にお鉢が回ってきて今に至る。西白国さいはくこくの土着の民族である白氏はくしの純血ではない為、景祥は常に朱氏の名を負っている。

 文輝も晶矢もそう理解していた。だから、国主の出自など調べても何にもならない。違和感が生まれ、それが表情に発露する。

 二人の表情が見えている大仙が冷淡に嘲笑った。


「国史の座学など何の意味も持たない、ということだ」

「どういう意味でしょうか」

「主上がお生まれになったのは郭安州かくあんしゅうぼくの屋敷だ。主上は主位を継がれるまで後宮に立ち入ったことは一度もない」

「国史の教本には偽りが記されている、と?」

「この国は比較的血統には寛容だ。それでも、国主の座を得るとなると話が違う。神代しんだいからのしきたり、血筋、育ち。そう言ったものが途端に力を持ってくる。だから、主上の経歴は適当に補正されて初科生しょかせいに伝えられる。粉飾ふんしょくも疑う者がいなければ真実に変わり得るからな」


 実力主義を謳う西白国でも選民思想が残っている。それは九品三公――西白国建国の立役者である十二氏が今も残っていることが雄弁に物語っていた。文輝もまた区別された側の一人でありながら、時折、それを忘れそうになる。それこそが貴族の欺瞞だと知りながら、それでもなお文輝は一人の武官であることを望む。傲慢だと知っている。自己満足だとも知っている。

 それでも。

 ただの傲慢や自己満足で終わってしまいたくはなかったから、文輝は目の前の動乱と戦う道を選んだ。


「国主様は今、お心を痛めておられる。そういうことですね、大仙殿」


 国主が生まれ育ったのが郭安州なら、彼は数年に一度ずつ、故郷が飢饉に喘いでいることを無慈悲に突きつけられた筈だ。私情に流され、偏った救済を行いたいと思ったこともあるだろう。それでも、彼は公正な政を貫いてきた。

 郭安州の州牧しゅうぼくが今年、飢饉ききんしらせを送ってきたのはふた月ほど前のことだろう。西域は秋の訪れが早い。農作は殆ど行われていないが、植物の育成状況は遊牧民たちに大きな影響を与える。家畜たちが冬を越す為に必要な牧草が育っていない。そうなると郭安州の民たちは順次、財産である家畜たちを食糧にするだろう。一年はそれで乗り切れる。だが、郭安州の飢饉はもう二年目だった。家畜を全て失えば、新しい家畜を買う為の資金など当然残るわけがない。

 飢饉は連鎖する。それを乗り切る為には国政の手が必要だ。

 郭安州だけが飢饉なら話はもっと簡単だった。気候変動。天候不順。偶発的な危機だから、義援を送れば助かる。だが、飢饉は西域一体に及んでいた。一州だけを――国主の生まれ育った郭安州だけを手厚く保護することは許されていない。

 国主は心を痛めながら左官たちに「公平な」支援を命じた。

 そういうことかと暗に含ませると大仙の冷笑はいっそう鋭利さを増す。

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