第二十八話 三つ目の事件

「それはれの知るところではない」


 感情論は後に回せ、と一刀両断された。文輝ぶんきは口を噤む。

 代わりに晶矢しょうしが問いを発した。


大仙たいぜん殿、私からも尋ねたいことがございます」

「何だ、阿程あてい

「事件は二つ目で終わりでしょうか?」


 晶矢の言葉には何らかの確信が含まれている。それを鋭く見抜いた大仙は不機嫌を露わにして舌打ちをした。


「察しのいい子どもは好かん」

暮春ぼしゅん、何か根拠はあるのか?」

首夏しゅか、考えてもみろ。この一件、最初から最後まで郭安州かくあんしゅうが関わっているだろう?」


 晶矢の返答の通り、かんの偽造の発端は郭安州。国主こくしゅの本来の出生地もまた郭安州。州牧しゅうぼくと連絡が取れなくなっているのもまた郭安州。

 こうなってくると郭安州に何か特別な事由があると考えるのが自然だ、と彼女は言っている。

 文輝がその答えを推察するより早く、進慶しんけいが苦笑いで新しい助言をくれた。


小戴しょうたいりゅう子賢しけんという官吏は戸籍簿のどこにもいない、というのが俺たちの調査の結果だ」


 進慶の言葉に文輝は目を剥く。上官の存在そのものが偽りである、と言われて驚かないものがいれば、それはもう並大抵の神経ではない。

 軍部において上官の存在は絶対だ。その、絶対的指針を根本から否定されるのは武官にとってこのうえない自己否定につながる。

 動揺を抑えながら、文輝は進慶の言葉と向き合った。


戦務長せんむちょうがですか? しかし、彼は校尉こうい位階いかいを持っています。環を偽るのは――」


 罪だ、と言おうとして棕若しゅじゃくと晶矢の上奏じょうそうを思い出した。

 典礼部てんれいぶに造反者がおり、それが何食わぬ顔で環を偽造している。そういう結論に達した筈だ。

 でも、だが、いや。何度も否定の言葉を胸中で繰り返す。

 文輝の困惑を受け取って進慶は切なげに眉を顰めた。


「典礼部の腐敗が昨今急に始まったものではなかったのだとしたらどうだ」


 中城ちゅうじょうの腐敗は何年も前から始まっていて――戦務長の環が偽りなのだとしたら彼の警邏隊けいらたい着任の前後から手繰って調べる必要がある。結果次第では警邏隊以前の経歴すら調査しなければならないかもしれないが、それはもう御史台ぎょしだい近衛部このえぶで始めているのだろう。

 結論は内府ないふが出す。

 だから文輝はこれ以上そこに拘泥することを許されていないことを知った。

 それほど長く、国家の中枢に関わる官吏がそれと知られぬように国を欺き続けてきたのだとしたら、この先に待つ未来は多くの選択肢を持たない。


「進慶殿はこの国がもう終焉を迎える、と仰りたいのでしょうか」

「言葉を飾らないのであればそういうことになる」

「国主様はそれをよしとされたのですか」


 もしそうなのだとしたら、文輝たち官吏は国主の意を汲むべきだ。国がほろぼうとしていて、その首長が結論を受け入れているのなら、文輝たちが身勝手に抗うのは無為に傷口を広げるだけだ。無官むかんの民たちにその痛みを味わわせるだけの価値はどこにもない。

 文輝の不躾な問いに進慶はそっと瞼を伏せ、小さな声で返す。彼はもう国主の出した結論を受け入れている証左だ。


「国主様はご自身が試されている、と感じておられるのだろうよ」


 大仙の話が真実なら、国主は岐崔ぎさいの外で育った。中城に守られ、中城を守る岐崔の「当然」を彼は後天的に学んだのだ。岐崔しか知らない文輝にはその苦労は到底推し量ることが出来ない。


「どなたに、でしょうか」


 咄嗟とっさに問う。今朝、進慶に物事を尋ねるときには熟考してからにしろと言い含められたことが想起されて瞬間、後悔する。それでも、文輝は問いを引っ込める気にはなれなかった。

 複雑な胸中が表情に出ていたのだろう。進慶は苦笑を崩さずに答えをくれた。多分、これが彼のくれる最後の問いだという直感がある。


「質問ばかりだな、小戴。でも敢えて答えよう。『陛下』にだろうな」

「まさか」

「さぁ。それを信じるかどうかはお前の自由だ」


 進慶の言っている「陛下」というのは神代しんだいの時代の登場人物だ。かつてこの世界が一つの大陸だった頃、世界は大いなる五柱の神によって統治されていたとされる。そのうち、西白国さいはくこくのある辺りを治めていたのが「白帝はくてい」という神で、武勇に秀でていた。白帝は四千年の長きに渡ってこの地を守護し、そのときどきの権力者を庇護している。西白国を建国した初代国主も白帝の庇護を得て統治者としての後ろ盾を得た。それから百六十年の間、国主の一族が統治者として認められており、この国では白帝のみを皇帝と認め「陛下」と呼んで慣れ親しんでいる。国主というのは白帝の権力を借りた存在であり、決して皇帝を称することはなかった。

 その、神話の世界に生きている「陛下」に試されている、と国主が思っている。純血の白氏ではない。ただそれだけの理由で彼はもう三十年も疑念と戦ってきた。当代の国主が――朱氏しゅし景祥けいしょうがどんな形であれ、それに幕を引きたいと思っているのを頭ごなしに否定出来るような存在はこの国にはいない。もしいるのだとしたら、それこそ「陛下」だけだ。


「劉子賢はそれを利用しようとしている」


 束の間、呆然とした正殿せいでんの中に大仙の声が低く響く。国主の痛みに思いを馳せていた文輝はその声を聞いて我に返る。国主はどちらに転んでもいいと思っている。だからこの場にいる誰もが結論を出せない。それでも、事態は刻々と動いているのだから、傍観者であることは許されないだろう。

 文輝たち官吏もまた「陛下」に試されている。

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