第七章 審議の果て

第二十七話 三重の管理

 西白国さいはくこくでは戸籍の管理は三重に行われている。左官府さかんふ戸部こぶ戸籍班こせきはんが窓口となり、台帳を作成。その台帳を基に中科ちゅうかの登用試験が実施され、内府ないふ典礼部てんれいぶが中科生にかんを発行する。その後は各々の人生が分岐する際に各々が管理される役所へ届け出ると典礼部の官吏が派遣され、環の書き換えが行われた。文輝ぶんきであれば右尚書うしょうしょがそれに当たり、都合三度の環の書き換えを経験した。

 この三種の役所の資料は年に四回すり合わせが行われる為、原則的には同一であるとされる。同一であることを前提に、毎年暮れ月に戸部租税班そぜいはんは徴税額を定め、納税を求める。文輝たちのような官吏は右尚書、または左尚書に徴税資料が送られ、俸禄から天引きされるし、官位を持たない無官ぶかんたちは租税班を訪うか城下にいる顔役たちに委任するかして納税は行われた。今年も残すところわずかひと月。徴税額の計算は既に八割方終わっている頃合いだ。

 その一点においてのみ救われた、と文輝は内心で思う。

 だが、それ以外の点では危機的な状況であることは否定出来ない。戸籍の管理は三重だ。少なくともあと二つ、戸籍簿の写しはある。写しはあるが最後に帳簿の整合性を保ったのはもうふた月以上前の話になる。その間の出生と死亡の届けは戸籍班にしかない。

 加えて、戸籍班の書庫の立地条件が悪い。

 西白国では冬が近づくにつれ偏東風が吹く。今も、正殿の外で吹いているこの風は当然、戸籍班にも東から吹き付けているだろう。戸籍班の書庫は宮南門きゅうなんもんから続く大路に面している。左官府では最も東に位置し、それは同時に風上にあることを意味していた。西白国の冬の空気は乾いている。書簡を保管し、炎上した倉が風に煽られればどうなるかは幾ら文輝が大らかな性格をしているといっても容易く想像出来る。類焼に次ぐ類焼。十三ある書庫の幾つが焼け落ちるのか、工部こうぶ防災班ぼうさいはんがどれだけ有能でもその数を減らすことしか出来まい。

 御史台ぎょしだいに一矢報いようと抗弁していた文輝だが、棕若しゅじゃくの思ってもみない反論に言葉を失った。隣に座る晶矢しょうしにとってもそれは同じだったのだろう。瞠目し、唇を音もなく上下させている。その瞳の奥で何かが目まぐるしく回転しているのが見て取れたが形になるのはまだ先だ。文輝は静かに憤った老翁の背中へ視線を戻す。その向こうに相変わらず表情の変化に乏しい大夫たいふの姿が見えた。


「戸部戸籍班の書庫が火災、というのは冗談にしても性質が悪うござりまするな」

大仙たいぜん、君の口から大夫に報告して差し上げたらどうなのだい? 見てわかるだろう。僕は君たちにこれ以上ないほど憤っているから余計なことまで告げてしまうかもしれないよ」


 左官府全体を把握する権利を持っているのは左府さふと呼ばれる長官で棕若ではない。それでも棕若は左官府の代表として御史台に来た。左官府を守るのにそれが一番合理的だと判断したからだ。そして、一刻ほど前に御史台はその全権を持ち、不審者の捕縛に動いた。なのに第二の事件は起きた。それも棕若が愛してやまない左官府で、だ。憤りは当然のことだった。


「大仙、左尚書令さしょうしょれい殿の言はまことか」

「大変遺憾ながら」

「そなたがおりながら何という失態であるか。状況を詳しく報告せよ」

「ですが、大夫」


 それを今、大仙の口から報告するとなると彼は文輝の推測も棕若の指摘も肯定することになる。そうしてもいいのか、大仙が躊躇っている。それだけでも十分に推論は事実に近づいているが、未だ確定ではない。迷っている大仙の隣で、進慶しんけいが吹っ切れたように笑った。


「大仙殿、認めてしまおう。もう誰の手柄で動乱を鎮めるかという段階は過ぎた。そうですな、大夫?」


 進慶のその発言に一瞬だけ、正殿の中に静寂が満ちる。大きな溜め息がその帳を切って開いた。大夫が今、衰弱しきっているのが伝わる。ようやく表情らしい表情を映して彼は棕若に向き直った。


「左尚書令殿はどこまで事態を把握しておられるのでありまするか」

「この動乱が主上のご出自に関わっている、というところまでかな」

「……つまり、全部お見通しであらるると」

「君たちが『どうしたいか』までは流石にわからないね」


 言葉遊びが続く。右官の造反者が誰か、という問題よりも大きな問題が聞こえた気がして文輝は勢い、立ち上がりそうになる。その隣でごとりと大きな音が鳴った。晶矢が文輝に先んじて立ち上がっている。音源は彼女が座っていた胡床いすだったのだろう。床に胡床が横たわっている。能吏の余裕はもうどこにもない。顔面を蒼白にした晶矢を横目に文輝は大夫へ質問を投げかけた。


「大夫、ご説明いただきたく存じます。一体、この岐崔ぎさいで何が起こっているのです」


 私たちは一体何に巻き込まれているのです。晶矢も問おうとしているその内容を思うと文輝は息が詰まりそうだった。

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