第二十六話 口防戦
二人の黙認に背中を押されて、文輝は言葉を続ける。
「
「君はさっきから何を言ってる。
大仙が文輝の言葉を正面から否定する。否定したいのならばするだけすればいい。文輝は弁舌に長けているわけではないから、自らの言葉で大仙や
棕若ならば
「秘密裏に
「だから何の話だと言っている。君もわからんやつだな」
「大仙殿、貴官とこうして顔を合わすのも何かの縁。そう邪険になさらないでください。考えてみれば簡単な話ではないですか。鳥の飛ばない
今、
大夫が大仙に命じたのは恐らく右尚書への伝であり、薬科倉の件は立ち寄った程度だと考えるのが妥当だ。ということは大仙は今、右尚書からの文を携えている。その文が大夫の手に渡るまでが勝負だ。
棕若の応戦が始まるのを今か今かと待ち侘びる。情報はまだ足りていないのか。気持ちだけが焦った。
「君はどうあっても己れを間諜に仕立て上げたいと見えるな」
大仙が溜め息を漏らす。子守に疲れた、と顔中で表している彼の手前に見えている棕若の背中はまだ動かない。まだ
「事実の指摘にすぎません」
「そうだな、仮に己れが君の言う間諜なのだとして、肯定すれば君は満足するのか?」
「肯定していただけるのであればお聞きしたいことがあります」
「……何だ。聞くだけは聞こう」
多分、大仙が間諜であるという前提のうえで問えるのはこれが最初で最後だ。
何を問うべきかの取捨選択をした。
そして一つの大きな仮定が文輝の中で輝きだす。問うべきはこの一つだ。確信がある。
だから。
「国主様は今朝の段階でこの動乱をご存じだったのですね」
国主の間諜である大仙が態々文輝の登庁時刻を見計らって審査に出向いた、という可能性も残っている。それでも、文輝は自らにそれだけの価値がないことを知っている。
だから。
「貴官が今朝、
そう考えると納得のいくことが幾つかある。
中城で事件が起きているのに
大夫が落ち着き払っているのも、彼に有利な情報を持っているから、だとすれば納得がいく。そしてそのうちの一つは明らかに大仙の存在だ。
そこまではわかる。なのにそこまでしかわからない。今朝、
国主は岐崔の動乱を知っている。知っていて右官府にも左官府にも通達しなかった。それがどういう意味なのか。理解を文輝の頭が拒んでいる。
真実に辿り着けない文輝を嘲笑うかのように大仙が皮肉に笑った。
「君は随分と自らを卑下しているな。九品の子息なのだろう? 矜持はないのか」
「自らを守る為の矜持など何の価値もありません」
「立派な心がけだな。だが、それを聞いて己れがほだされるとでも思ったのか? 君が言っているのはただの空想に過ぎない」
そしてその空想を延々と聞いてやる時間はもう残っていない、と大仙が言外に締め括る。大夫がすっと瞼を伏せた。一歩届かなかった。無力を悔いる文輝の耳にその力強い声が聞こえる。一陣の風が吹いた気がした。
「大夫、僕は君に言わなかったかな? 『君は君の矜持にかけて君の任務を遂行するように』と」
強く厳しい声が
そのことを彼は文輝の前で自ら示した。
内府が左右を蔑ろにするのであれば、抗う。それが棕若の矜持だ。左官だからとか右官だからだとかそんなことはこの際関わりがない。
遺憾の意を呈した棕若の肩へ頃合いを見計らったかのように若草色の小鳥が舞い降りる。それをそっと開封して棕若の戦いが始まった。
棕若の正面に座る大夫はそれでもまだ顔色を変えない。
「左尚書令殿、何のお話かわかりかねまする」
「近衛部の
その言葉に反応したのは大仙一人ではなかった。進慶の顔色が曇る。文輝の位置からは棕若の表情が読めないが、多分、進慶の目には見えているのだろう。
中城に二つある城門の守衛は持ち回りだ。文輝の通る陽黎門だけではなく、棕若が登庁する
この勝負の軍配は老翁に上がっていると。
「左尚書令殿まで空想がお好きとは」
大仙が棕若の余裕を一刀両断しようとする。切り捨てようとした刃は棕若にまで届かず、赤子の手を払うように容易くかわされた。
棕若が怒気を孕んだ声で一喝する。
「戯言はもういい。君が持ち運んでいる重要な情報。右尚書からの調書ともう一つ。そうだね、中城で二つ目の事件が起きた。違うかな?」
場所は今度は左官府だね。
そこまで断定して反論を求める。大夫は落ち着いて問いに問いを返した。
「何の根拠があって申さるるのでございまするか」
「僕の優秀な通信士がたった今、その報告をくれたよ。
さぁ、大夫。選ぶといい。君はどの道を行くのかな。
棕若の堂々たる宣戦布告が正殿に鳴り渡った。
秋の日は落ちるのが早い。正殿の外では空の端に色が滲み始めている。御史台の
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