第二十五話 借り人

「他の五つの薬科倉やっかそうも大体似たような処理が施されている。ただ」

「『かんの偽造があれば、誰にどの情報が伝わったかは正確に把握出来ない』でありまするか」


 棕若しゅじゃくの背後からその抑揚のない声が聞こえてきて、三人は一様に音源を見た。

 正殿せいでんの上座、この部屋のあるじであることを意味する豪奢な椅子を離れ、大夫たいふが棕若の二歩手前に立っている。てっきり、文輝ぶんきたちの主張はともかく、雑談になど興味を示さないと思っていただけに文輝は驚いた。よく見ればむくの扉が半分開き、そこに先刻部屋を出て行った副官の一人がいる。事態が何か進展した、というのを間接的に知る。大夫が審議の再開を言外に促す。三人は音もなく傍らに寄った御史台ぎょしだいの女官に茶の椀を返し、正面を向いた。大夫は上座に戻らず、文輝たちと同じ高さの床に胡床いすを用意させる。大夫のものと合わせて都合三つの胡床が並べられた。


てい案内官殿。貴官の言う通り、先の爆発は中五条ちゅうごじょう、農薬庫で起きたと確認いたしましたぞ」

「御史台が派兵してくださったので?」

「御史台よりも中城ちゅうじょうに詳しいものがおりまするゆえ、少しばかり人を借りた次第」

「というと?」

大仙たいぜん、これへ」


 大夫が晶矢しょうしの言葉に応え、椋の扉を振り返る。入口に立っていた副官が道を譲り、二人の男が後ろから姿を見せた。文輝はあまり人の顔を覚えるのが得意ではないが、その片方には見覚えがある。間違える筈がない。中科が始まってから二年半、毎日のように見ている顔だ。


進慶しんけい殿」

「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするんじゃない。小戴しょうたい、お前は一応は九品きゅうほんなのだからな」


 進慶――という名の陽黎門ようれいもんの守衛の登場に文輝は動揺する。陽黎門からの報告も上がっていたのだから守衛が出てくるのは想定していたが、まさか顔見知りが出てくるとは思わなかった。自身の目算の甘さを呪いながら、文輝は進慶でない方の男を見る。

 年の頃は二十代半ば。服装は内府のお仕着せで、襟の色からして近衛部このえぶの所属だとわかる。雰囲気や表情からは無骨さを感じさせるから武官上がりだろう、と見当を付けたところで文輝は今朝方、進慶から受けた説教を思い出した。

 近衛部の官吏の中には人数はそれほど多くはないが間諜がいる。間諜は何ものにも姿を変える。雰囲気で惑わされてはならない。本当に大仙が武官上がりなら手のひらは刀剣だこが出来ている筈だ。大夫の招請しょうせいに応じて正殿の中に入ってくる大仙の手のひらをじっと見つめた。

 そしてその奇妙な符合が文輝の中に降りてくる。

 似ている。似すぎているほどに大仙の手のひらの相が今朝の商人を装った間諜のそれに酷似している。文輝が思うに、あれは刀剣だこの中でも暗器使いの相だ。文輝のように直刀ちょくとう、あるいは長槍ちょうそうを使う相でも、晶矢のように短刀、あるいは長弓ちょうきゅうを得手とする相でもない。並の武官で暗器を使うものはいない。戦の中では暗器は何の役にも立たないからだ。だから、大仙は武官上がりだが「特殊な」武官だということになる。

 大仙が今朝会った間諜だ、という直感的な結論をどう裏付ければ証明出来るだろう。刀剣だこだけでは説得力が弱い。香も似ているが、武官が好んで使う香はそれほど多くない。偶然の一言で一刀両断されるだろう。大仙が今朝のかんを持っていれば勝機が残るが、国主の間諜がそんな愚を犯すとは思えない。

 黙礼して胡床に二人が座る。

 この二人を呼び出して大夫が何をしたいのか、を先に考えた。

 右官府うかんふでの事件は調査が進んでいる。晶矢の言った通り、中五条の薬科倉で爆発が起きたのなら人的被害はない、と信じる他ない。幾ら有事で御史台の権限が強まっているとはいえども、調査以上のことを采配する権利を大夫は持っていない。

 となると今から始まるのは右官うかんの背信についての審議だ。

 文輝の運んだ薄紅の中に警邏隊けいらたい戦務班せんむはん通信士つうしんしとう華軍かぐんを糾弾する内容がしたためてあった。先の晶矢の話からも背信の疑いのある通信士が他にも存在することが予想される。それでも、名指しで糾弾されたのは華軍だけだ。だから、大夫は華軍を糸口に順を追って審議を進めていくしかない。それを省きたいのであれば、手は幾つかしかない。内府の権限を行使して右官の人事府である右尚書うしょうしょに任用責任を問う。伝頼鳥てんらいちょうに頼ることは出来ない。鳥を飛ばす通信士に嫌疑がかかっているのだから、どれほど通信効率が悪くとも、てんを使うだろう。

 右官府は今、爆発事件の後処理で上を下への大騒ぎの筈だ。右尚書から伝が出るのを待っていれば陽が落ちる。

 だから。


「大仙殿、中科生ちゅうかせいの審査の後は伝。近衛部というのは存外暇な役職であられますな」


 確信も確証もない。それでも、文輝は先手を打った。大夫が口を開いてしまえば右官の審議は確実に大夫の誘導尋問になる。何も知らない伝の文輝だが、右官としての矜持はある。同輩を守るのもまた武官として必要な心構えだと自身に言い聞かせた。

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