第二十四話 魚釣り

 薬科倉やっかそうに関するりつ遵守じゅんしゅされているとすれば、工部こうぶ案内所で薬科倉の場所を尋ね、当地へ足を運ばなかった十五名はそれだけで処分の対象になる。それもまた彼らが律令りつりょうを把握していない「かんの偽造者」であることを裏付けた。まともな文官が律令を知らぬ筈がない。


「薬科倉の管理官の一人が最初に違和感を覚えたのが七日前だ。人数で言えば三つめの緑環りょくかんにあたる」

「その管理官以外は何も気づかなかったのか?」

「結論を急ぐな、首夏しゅか。無論、他の管理官も気付いていた。気付いていたから自部署の通信士つうしんし総務班そうむはん伝頼鳥てんらいちょうを飛ばせた。だが」

「だが?」

「総務班に鳥は一羽も届いていない。結局返答が来ないのに焦れた管理官が直接総務班に文を運んで事態が発覚した」


 伝頼鳥による通信はこの国のどんな伝達手段よりも優れている。即時性、確実性、追尾性。どれをとっても伝頼鳥による通信に勝るものはない。

 転送中の伝頼鳥を第三者が捕獲することも出来ない。

 鳥が届かなかった理由を最大限好意的に解釈したとしても、総務班の通信士が見落としていたか、或いは最初から鳥が飛んでいなかったかぐらいしか思いつかない。

 思いつかないことに文輝ぶんきは一抹の不安を抱く。


「なぁ暮春ぼしゅん、それってまずくないか?」

「そうだな大事件だ。総務班の通信士が反逆者に加担している、という状況証拠が揃ってしまったわけだからな」

「薬科倉の通信士は大丈夫なのか?」

「最初から鳥を飛ばさなかった通信士もいる、というふうにわたしの上官は判断した」


 だから、晶矢しょうしは上官の命で伝達効率の劣るてんとして左官府へ遣わされた。多分、文輝が伝として遣わされたのも同じものに起因しているだろう。

 その筋道が見えたとき、文輝は思い出してしまった。

 文輝の運んだ薄紅に戦務班せんむはんの通信士を糾弾する中身が記されていたことを。

 その事実を思い出し、硬直した文輝の代わりに棕若しゅじゃくが興味深そうな顔で話の続きを促した。


阿程あてい殿、結論を聞こう。十五の緑環に場所を尋ねられた薬科倉は幾つあったのだい?」

「工部だけで四つ。一昨日兵部ひょうぶから来た伝の話が正しければ更にもう二つあるそうだ。上官たちが協議して昨日のうちにその六つの薬科倉には防災班ぼうさいはんが特別な処理を施した」


 だから、どの薬科倉で事件が起きたとしても被害は最小限で食い止められる。また、六つの倉の位置は程よく離れているから、左尚書さしょうしょの控室にいてもどの薬科倉で事件が起きたのか把握することも出来る。

 そんなことを晶矢は訥々とつとつと答えた。


「薬科倉への案内は今も続けているのかな?」

「三日前に打ち切り、現時点では誰にも薬科倉への案内は出来ないことになっている」

「通常の業務に差し障りがある、という反論はどう説き伏せたのだい?」

「通常の業務で薬科倉を使用するものはこの春の配置転換で既に場所を覚えている筈だ。そう出来ないものは能力が不足している。というのを薄紙に何重にも包んで柔らかくした表現で伝えた」

「その薄紙は時々破れているんだろう?」

「時と場合と相手による」


 不敵に笑う晶矢に、彼女であれば本当に時と場合と相手によれば全く歯に衣着せない物言いをしたのだろうと想像出来て文輝は焦燥と不安を握りしめていた手のひらからそっと力を抜いた。


「それで? 君の私見でいい。爆発事件が起きたのはどこの薬科倉なのだい?」

右官府うかんふの中央、中五条ちゅうごじょう農務班のうむはん農薬庫で間違いない」

「規模は?」

「農薬庫だから薬科倉の中でも大きな部類だ。ただ、本来そこで備蓄している農薬は全て別の薬科倉に移動させてある。爆発炎上が起きても人的災害は発生しないが、一応派手に爆発するように仕掛けてあった」

「なるほど、魚釣りというわけだ」


 右官府の次の配置転換の時期は明確にされていないが、年明け頃だという風説が飛び交っている。不審者に狙われている、というだけではその時期を早めることは出来ないし、何より担当官である文輝の長兄がまだ遠方に赴任中だ。赴任先から彼が決裁することはまずないだろう。

 その前提条件の上で工部と兵部が取り得る最上の選択が、備蓄している薬物を一時的に移動させ、相手の標的として残しておくという措置だった。

 工部上層部の判断通りに事件が起きた以上、嫌疑は限りなく確証に近づいた。だから、晶矢は実権のある伝として振る舞っている。

 それは文輝も理解した。

 それでも、ぼんやりと思う。人的被害が出ないのは不幸中の幸いだ。事件現場には防災班が駆けつけ、事後処理をしているだろう。

 それでも。

 この場所でこんなにもゆったりと言葉を交わしていていいのかだけがわからない。棕若は将軍位を得るには必要な経験だと言う。文輝の思う将軍位と棕若の言う「本当の」将軍位の間に何らかの落差があるとしか考えられないが、それはまだ文輝の中に答えとして存在しない。

 晶矢はどうなのだろう。相変わらずぼんやりとした頭で同輩を見た。

 相変わらず凛として取り乱すこともなく、整然と言葉を紡いでいる。ただ、よく見ると眦の端に憤りが宿っていた。その理由が文輝と同じものなのかはわからない。わからないが彼女も彼女なりに現状を打破しようともがいている。それだけがわかれば今は納得していられるような気がした。

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