第二十三話 薬科倉

 棕若しゅじゃくの言う通り、文輝ぶんき晶矢しょうしに尋ねたいことが幾つもある。

 その中の一つ、一番訊いてみたかったことを選び、文輝はゆっくりと椀に視線を落とした。


暮春ぼしゅん。お前、どうして爆発事件が起きた場所がどこか、だなんて即断出来たんだ?」


 左尚書さしょうしょの控室。文輝と晶矢はその場所で事件の発生を受けた。左尚書は左官府さかんふでも最も北に位置し、右官府うかんふの様子を窺うことは難しい。文輝が事件の現場を右官府の中央辺り、と見当を付けたが、晶矢は更に詳しい位置がわかっているようだった。

 彼女は工部こうぶの案内官だから右官府の配置についてはこの中の誰よりも詳しい。それでも、晶矢が把握しているのは工部のみのはずだ。右尚書うしょうしょ兵部ひょうぶの配置は素人も同然で、そして右官府は役所ごとの配置が定まっていない。一体何を根拠に彼女が事件現場を断定したのか。


「まさか、お前、右官府全部の配置を覚えてるとかそういう――」

首夏しゅか、おまえはわたしを一体どういう存在だと思っているんだ。おまえの大兄上あにうえでもあるまいし、流石にそれはあり得ん」


 文輝の長兄は今、別の任で岐崔ぎさいを離れているが本来は右官府の区画配置が担当だ。工部造営班ぞうえいはんの最高責任者である彼はこの春の配置転換を終えた後、西白国さいはくこく東部の都市計画指南が必要だという要望に応え赴任した。中城の造営班の方は長兄の副官と通信士つうしんしで切り盛りしている、と次兄が言っていたのを何とはなしに思い出す。

 九品きゅうほんであるてい家の嫡子、晶矢とたい家の嫡子である文輝の長兄は立場上求められているものが似ている。持っている素養と自覚も似通っているから、いずれは晶矢も文輝の長兄のようになるのだと勝手に思っていた。

 いずれ、の定義が「中科ちゅうかが終わったら」あるいは「修科しゅうかが終わったら」ぐらいの認識だった文輝には晶矢の発言が予想外で言葉を失う。同時にその答えに納得をした自分もいた。それもそうだ。三十何年も生きている長兄と十七の晶矢が対等であれば長兄の立場がない。文輝もまた知らず知らずのうちに晶矢を神格化しようとしていたことに気付いて恥じ入る。

 それを態々謝罪する方が彼女の心象を悪くするということにも気づいたから釈明を控え、新たな質問を口にした。


「工部で何の取り決めがあったんだ」


 晶矢の頭の中に中城ちゅうじょうの見取り図が入っていない以上、彼女が事件現場を割り出せる理由は幾つかしかない。工部が何らかの事態を受けて何らかの取り決めを施した。その取り決めの範囲内で事件が起きた。

 そう考えるのが妥当だ、と自分で答えに見当をつける。

 晶矢は「おまえにしては割とまともな切り返しだな」と言って薄く笑った。


「首夏、薬科倉やっかそうが何かはおまえも知っているな?」


 知っている。薬科倉という種々の薬物を管理する施設が工部――ひいては中城だけに限らず、峻険しゅんけんな山々の向こうにある十二州にも必要に応じて設けられていることは軍学舎ぐんがくしゃで学んだ。中科二年目で衛生班えいせいはんの下働きをしていたときに自らの足で兵部の薬科倉を訪ったこともあり、そこでどういった手続きがされるのかも一応は知っている。


「俺が知ってるのは兵部の薬科倉だから工部のはどうなってるか詳しくは知らねぇけど」

「概ね一緒だ。薬科倉には危険度に応じて段階的に分けられた薬物が保管されている。その点に兵部も工部も左右も関係ない」

「そういや、お前言ってたな。薬科倉の場所を尋ねたのに当地に現れなかった緑環りょくかんがどうたら、とか」


 晶矢が左尚書さしょうしょそらんじた薄紅の中身だ。確か、そんなことを言っていたとぼんやり思い出せば彼女は不思議そうに眉を顰める。


「そこまで覚えているのに結論が見えないか。おまえは相変わらず『小戴しょうたい』だな」

「文句なら修科で聞いてやる。だから、さっさと説明しろよ」

「その台詞は修科の入学試験に受かってから聞こうか」

「抜かせ。俺が入学試験に落ちる筈がないだろ」


 可もなく不可もない。その点だけに関しては文輝は自信を持っている。

 修科の入学資格は中科の成績と筆記、実技の試験結果で決まる。九品の子息として生まれた文輝には必要最低限の知性と持って生まれた天性の戦闘能力が備わっている。今更入学試験に怖じる理由はどこにもなかった。

 その自信に裏打ちされた確信で文輝が言葉を返すと晶矢は大きな溜め息を吐く。

 顔中で呆れていると表現しているのに、それでも彼女は説明を拒まなかった。


「薬科倉に関するりつはもう忘れたのか。『そうに用向きのあるもの、すべからく当日中に現地をおとなうべし。日を改め、訪いたきものはその旨案内所で述べよ。この律破りしもの、再び倉に訪うこと許さじ』」

「『またその名と環、内府ないふへ申し送る。監査を受け、降格或いは免職の処分をくるものと心得るべし』、だったか?」

「覚えているのなら最初から思い出せ」


 晶矢が冒頭の三行を諳んじたのがきっかけとなり、思い出したのだと反駁するのは格好がつかなかった。文輝の記憶力とは大体にしてこうだ。今朝も陽黎門ようれいもんの守衛と似たような会話をしたばかりなのを思い出す。

 自らの不徳を顧みて、反省と今後の対策を考えるのも必要だろうが今はそのときではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る