第四章 問答の回廊

第十三話 通信士

 文輝ぶんきが初めてとう華軍かぐんに出会ったのは半年前のことだ。

 中科ちゅうか三年目の辞令が下りて警邏隊けいらたい戦務班せんむはんに登庁したその朝に戦務長せんむちょうから通信士つうしんしの一人として紹介された。通信士だというだけでも畏敬の念を抱くのに華軍はまだ二十代前半だという。中科生ちゅうかせい修科生しゅうかせいを除けば戦務班では一番年が近い。自然、文輝は彼と言葉を交わす機会が多くなった。

 通信士というのは西白国さいはくこくでも特別な職の一つであり、国府こくふ、地方府、九品きゅうほん三公さんこう――王族から臣籍しんせき降下こうかした貴族三氏の総称であり、九品といえども三公に謁見するには煩雑な手続きが必要だった――のそれぞれに配置される。官吏として必要最低限の教養、技術を持ち合わせているのが大前提で、後天的に習得することが不可能な「まじない」の才が求められることから、出身は貴賤きせんを問わない。地方出身者が国官へ昇進出来る数少ない職位であるがゆえに、内府ないふ典礼部てんれいぶと並んで試験の出願率が桁違いだった。

 二十代で地方府の下級官吏。三十代で州都しゅうとの上級官吏。四十代でようやく国府に配属されはじめるのが一般的な通信士の生涯で、国府にいる間に九品三公のいずれかの目に留まればその家筋の通信士としての道が開けるが、僅か十二のその枠を争うのは職位を得るより余程困難であることは自明の理だった。

 華軍のように二十代前半で国府の配属になった例は僅かしかなく、英才中の英才であることは疑うまでもない。通信士は二年に一度、御史台ぎょしだいの査定を受けることが義務付けられており、一度でも不合格の結果を残せば二度と官吏としては登用されないことになっている。文輝が物心付いた頃からずっとたい家に仕えている老通信士が査定の度にやつれていることからも、その苦しさがいかばかりのものか、何とはなしに理解していた。

 通信士であるというのはそれだけの重責を負う。軽挙妄動を慎むのは当然のこと、官吏としての規範であることも求められる。文輝は半年しか華軍のことを知らない。それでも、戦務班の他の官吏を見ていれば華軍が信頼に値するかどうかはわかる。華軍は紛れもない英才で、武官としての徳も矜持もきちんと持ち合わせていた。

 その、華軍に造反の嫌疑がかけられている。りゅう校尉こうい――文輝の上官である警邏隊の戦務長もそれを承知の上で文輝をてんとして左官府さかんふへの牽制に使った。

 そんなことを唐突に言われて混乱しないものがいるとしたら、それはきっと九品三公の当主だけなのではないだろうか。彼らにしてもそれなりには困惑するだろう。実際、九品の六位孫そん家当主である棕若しゅじゃくは文輝の運んだ薄紅の文に目を通して顔色を変えた。顔色を変えたが、その動揺に振り回され、狼狽ろうばいすることはなかった。十七の文輝にそれだけの才覚はない。経験の差だ、と心中で言い訳をする。

 言い訳をしながら、文輝は自らの肩にとまった猩々緋しょうじょうひの紋の小鳥の処遇を必死で考えた。この伝頼鳥てんらいちょうの中身が何であるかは今の文輝には推し量れない。誰の主張が真実なのか、判断するだけの材料もないのもまた事実だ。

 それでも、文輝は選ばなくてはならない。

 文輝の前方で晶矢しょうしが彼女に課された問いへの結論を今もまだ探しあぐねている。文輝の知るもう一人の英才中の英才ですら棕若の問いに即答することが出来ない。英才も人なのだ。文輝と同じように生きて、苦難に立ち向かうときもある。全てを容易く乗り越えてきたわけではない。晶矢の苦難を目の当たりにして、それが逆に文輝を励ました。

 戦務長――劉校尉の主張の通りなら警邏隊の英才――華軍は反逆者だ。戦務長がそれを文にしたためたところで華軍がそれをそのまま飛ばす筈がない。だが、安易に棕若が抱いている嫌疑を否定する内容の鳥を飛ばすのは逆に華軍への不信感を募らせるだけだろう。今文輝の肩にとまっている鳥は偽りだと一刀両断されて終わる。英才の華軍にその未来が読めていない筈がない。では鳥は何の為に飛んできたのか。次は左官府で事件を起こす、という脅迫文なら文輝に宛てる必要はどこにもない。棕若に宛てた方が余程効率的だ。

 だから。

 棕若の言う「伝頼鳥を読み解くことで嫌疑が確信に変わる」ような内容がしたためられている確率は限りなく低い。もしかしたら英才の気の緩みで華軍は彼の落ち度を明らかにしてしまうのかもしれない。

 それでも。

 戦務長と通信士、そのどちらの言葉を信ずるのが武官としての規範であるかは問うまでもない。火のないところに煙は立たないという。華軍には何らかの落ち度があるのだろう。或いは戦務長の杞憂きゆうである可能性も幾らかは残っている。

 どちらにせよ、棕若は右官府うかんふを疑っている。晶矢が左官府を疑っているのと根源は同じだ。自分に非がないと思いたい。責めを負うのが自らでない結論を選びたい。どちらも同じ目的の為に違う言葉を紡いでいる。

 責任を押し付け合って、現実から目を背け、結論を出さずに堂々巡りをするだけの無駄な時間が残っているのか、と自問する。答えは否だ。

 だから、文輝は脂汗あぶらあせの滲んだ手のひらをゆっくりと解き、無礼を承知で顔を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る