第六話 伝頼鳥

 文輝ぶんきもまた武官であるがゆえに左官府さかんふには幾ばくかの苦手意識がある。

 どこの部署だろうかと身構えた文輝に戦務長せんむちょうは大らかに笑った。


小戴しょうたい、安心しろ。左尚書さしょうしょだ」


 左尚書というのは左官さかんの人事を担当する役所で、その雰囲気は右尚書うしょうしょと似ている。評価対象の性質は正反対だが、どちらも官吏の任用を行うことから何かしら通ずるものがあるのだろう。ともすれば人の運命を左右する役所であるが為に担当官がより傲慢になりがちだが、尚書しょうしょの長官である尚書令しょうしょれいは左右官府共に内府ないふの下部組織の一つ、御史台ぎょしだいによって厳しく審査される。御史台は王令おうれいによって任命され、まいないを受けたものは一族郎党が厳刑に処されることもあって西白国さいはくこくの役所の中でも最も王意おうしを汲んでいる役所とされた。

 その王意を汲んだ任用によって現在左尚書令を務めているのは文輝もよく知る人物で、九品きゅうほんの一つ、そん家当主である棕若しゅじゃくという老翁ろうおうだ。左官にしておくには惜しい骨のある好々爺こうこうやで文輝は彼のことを実の祖父と同様に慕っている。

 棕若――文輝は敬愛の意を込めて幼い頃から孫翁そんおうと呼んでいる――の人徳の影響なのだろう。左尚書の官吏は文官だが武官に対してある程度の理解がある。ふみを持っていく相手が誰であっても不快な思いはするまい。

 宛先を尋ねると「焦るな。まぁ待て」と戦務長は彼の執務机の脇から折り畳みの胡床いすを取り出した。女官にょかん見習いの後輩が上座の話の着地点を察し、黙って離席する。文輝が立っていても話は何も進まないだろう。諦めて胡床を受け取って広げる。そこに腰を下ろしてもなお落ち着かない思いが文輝の中で巡っていた。後輩が二人分の茶を持って帰ってきたのはそれから間もなかった。彼女は中科ちゅうか二年で、一年目から警邏隊けいらたいに配属されており、内部の事情には詳しい。右官府うかんふでは連続して同じ部署に配属されることはまれだが、おそらく彼女は来年もここにいるだろうという確信にも似た思いがある。それほどまでに彼女は警邏隊の戦務班せんむはんに馴染んでいた。

 裏表のなく、年頃の少女らしい可憐さを持った彼女の表情には戸惑いが浮かんでいる。そのことに幾ばくかの罪悪感を覚えながら、それでも文輝は不安を持て余していた。


「小戴殿、今朝はどうかしたのですか?」

伶世れいせい、お前は何も感じないのか?」

中城ちゅうじょうが少しざわついているような気もいたしますが、私には難しいことはわかりません」


 中科生ちゅうかせいに出来ることなど何もない、と伶世は言う。戦務長は笑って「伶世の方が分を弁えているな」と文輝の不安を一笑に付した。伶世の持ってきた茶を飲む顔には一点の曇りもない。違和感も不安も消えなかったが、文輝は引き時を悟った。

 岐崔ぎさいでは伝頼鳥てんらいちょうを作ることが出来るものは限られている。通信士つうしんしの役職にあるものだけが鳥を作る資格があり、どの役所にも必ずこの職がある。警邏隊にも通信士がおり、戦務長が待てと言っているのは彼が現在、先方――左尚書からの返答を待っているからなのだろう。

 伝頼鳥の届く範囲に制限はない。城下は勿論、中城、王府おうふ禁裏きんり、それから地方府。どこまででも相手が存在する限り辿り着く。通信士には送った鳥がいつ、誰が開封したかまでわかる。だから岐崔には急使きゅうしの種類によっては鳥を使うようにと定めたりょうすらある。強制力を持つりつとは違い、令は担当者の判断に委ねられている部分があり、必ずしも守る必要はない。場合によっては、鳥によって面会の約束を取り付けるように指示する令もある。先方からの返答を即時必要とする場合がそれに該当するが、人が文を運ぶ以上、強制力は鳥の比ではないことは鳥を送る側は勿論、受け取る側も理解する――というより寧ろ、せざるを得ない。

 今がその特別な場合だ、というのは言われずともわかる。だからこそ、その状況が何かが起こっている、という不安を後押ししていた。伶世の持ってきた茶の味もわからないほど緊張している文輝を安堵させるように戦務長が笑う。


「小戴、案ずるな。お前が心配しているようなことは何もない。お前は何も考えずに左尚書に行って帰ってくればいい」

「わかっています。上官の命に背くほど私は身勝手ではありません」


 今の文輝には懸案けねんをすることすら許されていない。文輝に出来るのはただ命令に従うことだけだ。その代わりにどんな結果が出ても責を負うこともない。嘆息して現実と向き合う。伶世の持ってきた茶の程よい苦みが少しずつわかるようになってきた。この茶が彼女の将来が明るいことを雄弁に物語っている。それは多分右官府の財産だ。

 通信士が左尚書からの返答を持ってきたのはそれから四半刻しはんこくほどした頃のことだ。彼が持っている若草色の薄紙は伝頼鳥を復号ふくごうしたもので、左官府から届いたのだということを意味している。


校尉こうい、孫尚書令殿が直接会ってくださるそうです」

「小戴、たい家の名は伊達ではないな」

「岐崔には家格かかくを無視される方はおられないでしょう」


 戦務長――りゅう校尉こういが唯一その存在であると文輝は思ってきた。九品きゅうほんの三男である文輝は上手く使えば価値のある駒になる。だのに彼は今まで文輝を他の中科生と同じように扱ってきた。公平性に富んだ性格をしているのか、と認識していたがそれがただの願望だったことを文輝は今知る。戦務長は文輝を使う場面を精査していただけで、駒の価値の認識は他の武官と何も変わらなかった。その事実を知って傷つかないぐらいには文輝も世間ずれしている。

 九品と一括りにしてもその中には家格がある。戴家は三位、孫家は六位だ。たとえ文輝が中科生だといえども戴家の子息であるという事実は消えない。文輝を蔑ろにするのは戴家を侮るに等しい。だから、文輝をてんとして使うという宣言をこちらから示した以上、棕若は文輝の来訪を受け入れるしかなかった。 

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