第二章 濃紅の文

第五話 右官府と左官府

 右官府うかんふには大きく分けて三つの役所がある。主に軍務、警務けいむに当たる兵部ひょうぶ、武官を動員しての土木工事を取り仕切る工部こうぶ、武官の人事を行う右尚書うしょうしょ。この三部門の役所は西白国さいはくこく中城ちゅうじょう右官府において不規則に配置されている。その配置は二年ないし五年の期間をおいて不定期に移転し、首府しゅふ岐崔ぎさいの住人といえど右官府の正確な位置を常に知るものは少ない。将軍位を持たない諸官には各部署の案内所の位置だけしか教えられない。城下の民にはそれすら教えられず、常に城門で守衛に目的地を尋ねるように法で定められていた。

 この法は四代国主こくしゅが首府防衛上の原則となるように定めたもので、右官府では約百年間法に従って不定期な配置転換が繰り返されている。国内の反乱分子、或いは他国の間諜にとって不定期に位置が変わる中城へ潜入するのは危険性が高く、にも関わらず得られる情報は少ない。このこともまた岐崔の安寧を作り出している一つの要因になっていた。

 文輝ぶんき中科ちゅうか三年目で配属された警邏隊は兵部の下部組織の一つで、任務の性質上配置転換が行われても陽黎門ようれいもんにほど近い場所に置かれた。文輝が生まれる以前には警邏隊も右官府の奥まった場所を与えられたことがあったらしいが、現国主の代になってから常に城門の付近に配置されるようになった、と初科しょかの歴学で文輝は学んでいる。

 警邏隊は昼勤ちゅうきん夜勤やきんの二交代だが、下働きの文輝には昼勤の任しか与えられない。市中しちゅう見回りに同道することもない。役所内の掃除、書類の整理や、伝頼鳥てんらいちょう――名前の通り鳥の形をした「まじない」で所定の手順を踏まないと破損する伝令でんれいだ――の開封作業が主な仕事で、大まかに言えば誰にでも出来ることだけしか携わることが出来ない。

 誰にでも出来ることこそ手を抜くなと父から繰り返し教わっていた文輝は昼勤の誰よりも早く登庁とうちょうし、上官たちが登庁するまでには掃除を終える。一年目の厩番うまやばんのときも二年目の衛生班えいせいはんの下働きのときも今も何一つ変わらない。

 既に習慣と化した清掃を終え、文輝が伝頼鳥の宿箱を開く頃に上官たちが登庁してくる。伝頼鳥は鳥の姿をしているが、夜間でも飛行することが出来る。夜間には中城と城下をつなぐ城門が閉ざされる為、夜間警邏の屯所とんしょは城下にあった。夜間の報告のうち重要なものは隊長職にあるものが中城へ出向いて伝達するが、それ以外の軽微なものは伝頼鳥で飛ばされる。その為、伝頼鳥だけは夜間でも中城の中へ入ることが出来た。朝、宿箱を開けると三羽ないし十羽程度が収まっているのが常だが、この日は妙に多く、十五羽の伝頼鳥が届いていた。そのことに小さな違和感を抱きつつ、文輝は伝頼鳥を一羽ずつ手元の籠に移し替え、自席へ戻った。

 警邏隊の執務室、その末席に文輝の机がある。籠を置き、硯箱を取り出そうとしていた文輝の名が不意に呼ばれる。その声に顔を上げると上座で戦務長――事務仕事の総括を担っている――が文輝を手招きしていた。


小戴しょうたい、今日は鳥は後でいい。先にこの文を左官府さかんふへ届けてくれ」


 言って戦務長が一通の文を取り出す。他部署へ送る文は必ず送り手の部署の色――かんの色を薄くしたものだ――で染められた紙を使うことになっている。その濃淡で緊急性を表し、戦務長が今持っている薄紅色は至急であることを意味していた。常ならばもっと薄い、薄桃色であるのが一般的だ。

 急使きゅうしなら機密漏洩の防止や伝達速度の差など幾つかの理由で伝頼鳥を使うことになっている。戦務長の思惑は判然としないが、文輝に文の配達を申付けるからには何らかの理由があるのだろう。それを文輝が知る権利がないにせよ、確認はしなければならない。

 文輝は慌てて上座へと走る。


「戦務長、鳥ではなく私が運ぶのですか?」

「そうだ」

「左官府のどちらへ?」


 左官府は文官府で、西白国のまつりごとを行う機関だ。中城の西半分が左官府に割り当てられ、東側の右官府とは対になっている。左右官府の配置は他国では王府おうふから見て左右であることが殆どで、西白国のように地図上の左右に割り当てられる国はごく僅かだ。岐崔の西側には王陵おうりょうがあり、その外側には河が取り巻いている。事実上、岐崔を西方から攻略することは不可能で防備の心配がない為、西白国では非戦闘員である文官府を西側に配置したという経緯があった。

 首府防衛の矢面やおもてに立つことがない左官たちは安堵からか、慢心からかは判然としないが右官に対して横柄な態度を取ることが少なくはない。だから、中科で二年半も過ごすと何とはなしに左官府に対する不信感が生まれる。

 武官の殆どが国庫こっこから俸禄ほうろくを賜るのに対し、文官は与えられた所領しょりょう徴税ちょうぜいをしなければ収入がない、というのも軋轢あつれきを生んでいる一つの要因だと誰もがわかっている。毎年正月の朝議ちょうぎでも必ずこの体制の是正ぜせいの声が上がるが、左官さかんたちは自ら改革を拒む。下位の文官にはつらくとも、朝議に参席さんせき出来る上流の文官からすれば現状を維持する方がよほど暴利を貪ることが出来るからだ。首府にいる限り、文官たちは武力の暴威に晒されることはない。安全に利が得られるのに自らそれを手放すものなどいる筈もない。文官たちに安寧を与えているのが武官であることを受け入れ、自らを省みることが出来る部署とは交流があるがそうでない部署とは鳥が飛び交うことこそあれど、人の行き来は殆どない。

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