第三話 国主の間諜

 外見だけは父方の祖父に似てある程度の魅力のある文輝ぶんきだったが、性格は母そのもので他人を出し抜いてまで出世しようという欲がない。自分の手が届く範囲のこうでいいと文輝自身も周囲も認識しているから、世間からは時折純朴などという評価をもらう。

 その最たる例が今だ。

 守衛が見抜いた何をかは文輝の目には映らなかった。

 彼が何を暗示しているのか全く見当も付かない。自らの暗愚あんぐを恥じ、それでも守衛が呼び止めたからには文輝に答えを知る権利があるのだと判じ、問う。

 守衛は正直はほどほどにしておくのだな、と笑ったがそれでも回答をくれた。


小戴しょうたい、あれは国主こくしゅ様の間諜かんちょうだ」


 その思ってもみない答えを文輝は瞬間理解することが出来なかった。

 この世界で暮らすものは皆、かんを持つ。

 環に刻まれる色は六色だ。武官の赤、文官の緑、商人の青、工匠の黄、農夫の黒、そして流民るみんの白。それ以外は決してあり得ない。

 それでも、その六職以外の職があることは初科しょかで習うから知識として知っている。知っているだけで理解はしていなかった。

 間諜の環があるとすれば何色だろう、と考えて馬鹿な発想だと胸中で打ち消す。そんな色があれば間諜という存在の意味が成り立たないからだ。環はときに金銭の代わりとしても使われる。関所を通るにも当然必要だ。その環で誰の目にも間諜だと察せられて何を秘密裏に知ることが出来るだろう。そこまで考えて、間諜の職色など到底存在し得ない、ということにようやく気付く。

 ということはあの綾織あやおりの青の環には偽りがある。守衛はそれを見抜いた。それが守衛の職務だから当然と言えば当然だが、文輝には雲上の出来ごとのように思える。


「小戴、お前もいつかは将軍位をもらうのだろう? 貴重な発見が出来てよかったではないか」


 守衛は次の正月が来れば四十を超えると世間話で聞いた。四十で守衛の職を受けるのがやっとだと彼自身が言っていた通り、この年から内府ないふの上級職である典礼官てんれいかんを目指すのは事実上不可能だ。守衛の環に埋まっている貴石きせきは文輝のものよりずっと小さく安価な紫水晶むらさきすいしょうで何の後ろ盾もないことを意味している。東部氏族しぞくの出身で首府しゅふの守衛が務められるのならば十二分だと彼は言ったが文輝には彼の小さな強がりにしか聞こえなかったことをよく覚えている。

 同情をするのは容易い。生まれたのが九品きゅうほんの家だったというだけで文輝は大粒の青玉せいぎょくを授かっている。文輝がその貴石の価値の通り、戴の本家を継ぐ可能性は限りなく低いが、このまま順当に行けば分家が認められ、安定した将来が待っている。それを引き合いに出して上からものを言うのは簡単だ。恵まれているのは事実なのだから誰にでも出来る。

 それでも、安易にそうしないだけの矜持を文輝は両親から教わった。

 驕るものは決して久しくない。九品が名家足り得るのは自らの足もとを支える諸官しょかんがあってこそだときちんと教育されている。

 だから、文輝は敢えて問うた。


「どうやって区別しておられるのですか?」


 自ら思考し、解に辿り着く努力をしたが、今の文輝には間諜の環がないことを知るのが限界だ。先達の知識、経験則を知るのには価値がある。自分の目に映るものだけしか信じられないようでは文輝の将来は暗いままだ。

 守衛は問うた文輝に苦笑しながら、それでも一応は答えをくれる。


「仕立て屋の手に刀剣だこは出来んだろう」


 環を取り出して示させたのは手のひらを垣間見る為だ、と暗に言われ、文輝は守衛が何を観察していたかを知る。本物の服飾商人ならば手のひらにたこなどある筈もない。あるのは利き手の指先の針たこぐらいのものだ。

 それに気付かなかった愚を認めたが、可能性と戦いたかった文輝は反論を口にする。


「護身術を学んでいるのかもしれません」


 その反論がこの上なく蛇足で、墓穴を掘ったと気付いたのは守衛が溜め息を吐いた瞬間だった。浅慮だ。もっと熟考してから言葉を吐かなければならない。それを痛感したが既に遅い。守衛は初科で習う常識を呆れたように説いた。


「小戴、岐崔ぎさいの商人に課せられたりつは覚えているか?」

「……『しょう、もってこれに佩刀はいとうを禁ず。しゅ欲すればどんのみを許す。また武に学ばんと欲すもの、兵部ひょうぶきょ求むるべし』ですね」


 商人が刀剣を持つことは許されていない。護身術を学びたいのならば鈍器どんき――棒術ぼうじゅつのみを認める。棒術以外の武術を学ぼうとするものは右官府うかんふ兵部――軍部の管理をしている役所だ――の許可を得て、武官の誰かの指導を受けなければならない、という軍学舎ぐんがくしゃに通う十の子供でも知っている常識を改めて認識させられて文輝は穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。

 更に守衛は言う。


「小戴、お前は本当に何も気づかなかったのか?」


 だとしたらお前には将たる才がない。そこまで言われると羞恥と後悔は焦燥に変わる。

 文輝は必死に先ほどのやり取りを思い出した。

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