第一章 陽黎門の守衛

第一話 始まりの朝

 風が吹いている。

 大陸の西半分を覆う広大な砂原から吹く偏西風が季節の移り変わりを告げる。西白国さいはくこくに今年も春がやってきた。それは同時に国官の徴用試験が始まることを意味しており、文輝ぶんきは柄にもなく緊張していた。

 今年二十歳になる文輝には二度目の徴用試験だが、受験者の多くは十五歳になったばかりの少年少女だ。彼らには不合格という結果はない。必ず文武いずれかの役所に合格し、これから三年間を見習いの官吏として過ごす。この一度目の徴用試験は西白国では中科ちゅうかと呼ばれる。二度目以降は二十歳から二十五まで都合五度の受験を許されているが、その門は狭く、厳しい。

 文輝も十五の年に一度目の試験を受け、首府・岐崔ぎさいで右官府の厩番の職を得た。そこに至ったのが実力ではなく家柄と親類の身分、それから首府の軍学舎での成績――これは文輝が自ら得たものだから唯一実力だと言えるだろう――に大いに影響された結果であろうことぐらいは知っている。文輝の生まれたたい家は西白国では九品きゅうほんと呼ばれる名家であり、七つの頃から軍学舎の初科しょかに通わせてもらった。その縁故があるから徴用試験で雑役ではあるが実務を与えられた。

 ただ、そこから毎年順調に昇進し、中科三年目の春には市中見回りの警邏隊の下働きにまでなったのは文輝の素養だろう。同じ条件でもまだ庁内の雑務をこなすのが精一杯だというものも決して少なくはない。

 十八で徴用を終えた者はそのまま官吏として残るのも、退官して市民として暮らすのもどちらも認められている。割合で言えば約六割が退官を選び、市井へ戻っていくが戴家程度の家柄になると高等学舎である修科しゅうかに進学し、より高度な知識と経験を積むのが普通で、文輝の二人の兄もそうした。今では彼らは学歴と戦歴から高官に任じられている。

 文輝も当然同じ道を辿ると自身を含め親族の誰もが認識していた。

 文輝に岐路が示されたのは中科も残すところ半年となった秋の終わりのことだ。

 岐崔は四方を峻烈な山々に囲まれた天然の要害で、四季と呼ぶには些か変化に乏しいが、雨季や乾季と呼ぶには表情豊かな気候を持つ。天険から放射状に六条の河が流れ、その源である岐崔の周囲は巨大な堀のようになっていた。西側の峰を越えた向こうは砂に覆われた荒野があり、春にはそちらから偏西風が吹く。秋には東側の峰の向こうから湿った風が吹きおろし雪を降らせる為、夏季には水、冬季には雪で岐崔は守られていた。

 初代国主が岐崔を首府と定めてから百六十年の歳月が流れたが、未だかつて遷都されたこともそのような提案が挙がったこともない。誰かから聞いたわけではないが、岐崔は山頂に浮かぶ安寧の地だと文輝は認識していた。その中で暮らす自らの幸福の意味も知らない。

 その認識が甘いのだということを痛切に突きつける事態が起きた。

 十七の秋だ。その年の冬は例年より東海の水温が高く、大雪になる、と天文博士が伝えた通り霜降そうこうを過ぎた頃から雪がちらつき始めた。

 これでは立冬りっとうが来る前に本格的な冬支度をしなければならない。燃料や食料の備蓄が始まり、市場は俄かに盛況を見せた。文輝の暮らす戴家でも下男たちが必死に飛び回っているのを横目に出仕する。

 岐崔の城下はどの道も石畳になっているから雪が降ったあとは足元が滑りやすくなる。文輝の今の上官は南方出身で雪を知らず、国官に昇進したばかりの頃は冬の警邏の任務に当たるのが酷く億劫だったらしい。十七年間、岐崔で暮らした文輝にはその苦労は分からないが、地方出身者は口を揃えて「お前も地方に飛ばされればわかる」と言うので何とはなしに国内のことながら距離感を抱いていた。

 長靴の向こうに新雪の柔らかさを感じながら表通りを抜けて警邏隊の本部のある中城ちゅうじょうを目指す。岐崔の城郭は二重構造になっており、国主の住居と役所を取り囲んだ城壁の中を中城、その周囲にある諸官の屋敷や市場などを城下と呼んで区別していた。文輝の生まれ育った戴家の屋敷も当然城下にある。城下と中城が通じる門は二つしかなく、城下の住人はそのどちらかをくぐらなければ中城に立ち入ることは出来ない。中科三年目で文輝は中城の東門である陽黎門ようれいもんの守衛と雑談が出来るほど親しくなった。下働きは朝と夕方の雑務が中心で日中の仕事は少ない。自然、文輝は朝早くに門をくぐる。三交代の守衛たちはそれでも文輝よりはずっと位が高い。その日も目礼し、通り過ぎようとしたが、中城の中から出てきた「誰か」と肩がぶつかった。

 文輝は下働きではあるが武官だ。肩がぶつかったぐらいで体勢を崩すことはない。ぶつかった相手の方が一歩よろける。陽黎門――武官の最高府である右官府の正門だ――の中から出てくる、ということは相手も官位を持っているだろう。無官ぶかんが右官府に立ち入ることは出来ない。だのに相手はよろけた。僅かな違和を覚えたが文輝はその場で拱手し膝を付いた。自然とそう出来るだけの教養を初科で叩きこまれていたからだ。


「失礼いたしました」


 足元に気を取られておりましたので、という弁解の部分は胸中に留める。下働きとは言えども文輝も国官だ。相手に応じた釈明が出来る、という渡世術を身に着けていなければ将来の可能性はない。西白国において武官の社会は本人の素養と武功による結果で成り立っている。家柄や縁故も素養の一部に含まれている為、厳密には実力主義の社会であるとは言えないが、西白国ほど武官の権力が明確である国は殆どない。

 文輝がぶつかった相手が武官ならば言い訳は許されない。徴用中の文輝からすれば九割以上が目上に当たるからだ。逆に言えば武官以外であれば釈明をする権利がある。接触事故は双方の不注意によって引き起こされた結果だ。文官や民間人が相手ならお互いが有責になる。

 そんな打算的なことを考えながら、膝をついたまま文輝は相手の様子を確かめた。

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