05話.[支えられている]

「なるほどね」


 放課後はいつも通り図書室にいた。

 目の前には廣瀬さん、私の話を聞いても顔色ひとつ変えずにそのままで。

 だからこそ怖いというのが正直なところだ。


「ごめん、だから柏田くんは廣瀬さんが支えてあげて」


 私ではなにもできない、一緒にいてもあれだもん。

 ただ逃げようとしているだけなのは変わらないけど、少なくとも逆効果にはならない。


「わかったわ」

「うん、ありがとう」


 私と関わったばっかりに初めてを失ったということになる。

 ま、廣瀬さん曰くではあるから本当のところはわからないけど。


「……怒らないの?」

「あなたも被害者みたいなものでしょう? ある男の子といたからってそんなことをされるって訳がわからないじゃない。それにあなたはその子と仲良くしたかったのではなく、知に興味があったのでしょう?」

「だってさ、廣瀬さんは柏田くんに興味があったんじゃ……」

「え? そんなこと思っていたの? 付いていっていたのはそういうことじゃないわよ、知はひとりだと上手く話せないこともあるかもしれないから最初はサポートをしてあげようと考えていただけ」


 そうかな? 最初から結構大胆に行動していたと思うけど……。

 いいと言っても送ろうとしたこととか、すぐに私のところに来ようとしたりとか。


「気にしなくていいわよ、あなたは知といたいのでしょう?」

「でも、迷惑って……」

「あなたの意思でそんなことを言うとは考えていないわ」


 それでも最低なことを言ったことには変わらないんだ。

 それにそもそもまた会い始めていたら巻き込むことになる。


「私はさ、一緒にいても負担をかけることにしかならなかったから」

「まあ、そこはあなたの自由だから」

「うん、だから廣瀬さんがいてあげてよ」


 いい感じだと思ったのにな。

 あの後、真夕が来ていなかったら名前で呼ばせてもらおうとか考えていたのに。

 前と違って手に触れてほしいと自分から言ってくれたのに……。


「うぅ……」

「ふふ、一緒にいたいんじゃない」

「そりゃいたいよぉ……」


 どちらが年上なのかがわからなくなる。

 廣瀬さんは優しい笑みを浮かべてくれて、しかもそのうえで頭を撫でてくれた。

 こんなことをしてもらえる資格がないと考えつつも、勝手に満たされている自分もいて。


「あ、君が知くんの幼馴染さん?」

「ええ、廣瀬一美よ」

「私は――」

「知っているわ、能木真夕でしょう?」

「うんそう!」


 ふたりが話している間に慌ててしゃがんで涙を拭く。

 泣いている場合じゃない、泣きたいのは寧ろ柏田くんだろう。


「それで? あなたはなんでここに来たの?」

「私も図書委員なんだからおかしくないでしょ?」

「確かにおかしくはないわね」


 真夕はこちら側に来て横の椅子に座った。

 しかも仲のいい同性同士がするみたいに寄りかかってくる。

 逃げたかったけどできない、拒めばなにをされるのかがわからないから動けなかった。


「んー、なにをそんなに怖がってるの? もうしてないよね?」

「違うよ、しっかり支えておかないと倒れちゃうでしょ」

「だからってそんな顔するんだ」


 どんな顔なのかわからないよ。

 鏡で見せながらこんな顔だと言ってくれないと無理。


「で、猫に圧をかけるために来たの?」

「違うよ、君に興味があっただけ」

「私に? いいわよ、それならこっちで話しましょう」


 強いなあ、どうしたらああして向かい合えるんだろ。

 これまでの私は対象にされないために従ってきただけなのかもしれない。

 夜遅くに送れと言われてもそうしてきたのはいまに繋がっている。

 わかっていたんだ、言うことを聞かなければそうなるということを。


「ところでさ、君は知くんが好きだったの?」

「友達として好きよ」

「そうなんだー」

「なにが言いたいわけ?」

「いやー、誰が誰を好きになろうと自由だから」


 そうだ、誰かを好きになるということは個人の自由。

 その相手に過激なことをして迷惑をかけてしまっているのなら話は別だけど。


「でも、あなたは猫のそれを邪魔したじゃない」

「それは猫が悪いでしょ」

「自力で振り向かせようと努力をすればいいじゃない」

「あのさあ、相手が自分の意思でその子のところに行っていたらどうにもならないでしょ?」

「だからその子を苛めるの? そんなの自分が虚しくなるだけじゃない、寧ろ心配してあなたの好きな相手がより近づくだけよ、そんなこともわからないの?」

「は? さっきから調子に乗ってない?」

「乗ってないわ、事実を指摘されたらすぐそうなるのよねえ」


 煽っちゃ駄目だ、そんなことをしたら次は彼女が対象にされる。

 私の方はもう終わったことだ、例え柏田くんのためだとしても良くない。


「猫、真夕の気になっている男の子は?」

「お、同じクラスの藤原圭佑くん」

「わかったわ、いまから連れてくるから少し待っていてちょうだい」


 え、もう時間もそこそこ経過しているしいないと思うけどと考えていたのが5分前。


「あ、真夕ここにいたんだ」

「圭佑君……」


 後からしっかり廣瀬さんも入ってきた。


「藤原先輩、猫のことどう思っています?」

「小島さんのこと? 俺はただ不安になるから声をかけさせてもらっていたんだよ」


 私ってそんなに不安になる存在なの?

 ひとりじゃなにもできないと思われているのかな……。


「好きじゃないんですね?」

「そもそも小島さんは柏田君のことが気になっているようだから」

「ありがとうございました、真夕先輩を連れて帰ってください」

「わ、わかった」


 真夕も流石に彼がいたから自由にはできなかったようで、帰っていった。

 私は廣瀬さんに頭を下げておくことにする、年下に頼らなければならない年上なんてださすぎる……。


「顔を上げなさい」

「うぅ、ごめんねぇ」

「大丈夫よ、あ、いまから知の家に行きましょう」

「え、それは……」

「大丈夫、なにかあっても私が守ってあげるから」


 自分が弱々な男の子だったら確実にいまので恋に落ちていた。

 格好良すぎる、そりゃ彼女といられれば柏田くんみたいな感じになるよなって。


「ふふ、それでも律儀に守るのね」

「うん、こればかりはちゃんとやらないと」


 でも、拒絶されたらどうする?

 私はそれをしてしまった存在で、いまさら言わされましたなんて口にしたところで信じてもらえないよ。


「や、やっぱりいいや」

「駄目よ、こういうのは早く修復しておいた方がいいわ」

「ひとりじゃ……」

「私もいてあげるから」


 そもそも、彼女がいてくれないと彼の家を知らない。

 そもそも、彼女がいてくれなければ家にすら入れてくれないだろう。

 いまさらやっぱり仲良くしてほしいなんて都合が良すぎる。


「ここ……?」

「ええ、押すわよ」


 出てきてくれたのは彼本人。

 私はさっと廣瀬さんの後ろに隠れてしまった。


「入って……ください」

「猫、行くわよ」

「うん……」


 もう冷静に中とかを見ていられる余裕はない。

 中に入っても私はまだ彼女を盾にするように存在していた。


「どうぞ」

「……ありがとう」

「一美も」

「ええ、ありがとう」


 あ……温かい紅茶だ、なんか安心する。


「それで……今日はなんで、来たんですか?」

「あ……、あっ……」


 言葉が上手く出てくれない。

 だって結局謝ったところで自分を慰めるためだけのものになってしまうから。


「ごたごたが解決したわ」

「……どういうこと?」

「今日真夕先輩と話し合ったの、それでまた一緒にいていいということになったわ、もし私の早とちりだったとしてもなにかをしてきたら私がなんとかするから安心してふたりは一緒にいなさい」


 彼女は「あと必要なのはあなた達が話し合うことよ」と残して出ていってしまった。

 もうこれで代弁してくれる存在もいない、私としてはひゅんと心臓が縮む感じだった。


「あの……シロクロウさんに会いたいです」


 体感的に30分ぐらいが経過した頃、柏田くんは唐突にそう言った。

 特に拒む必要もなかったのと、単純にここから逃げたい思いでそれを了承。


「ごめん……」

「いえ……、僕の方こそごめんなさ――」

「なんで!? 柏田くんは完全完璧に被害者でしょ!」


 このタイミングで涙を流すなんて卑怯者のすることだ。

 でも、残念ながら止まらなかった、どんなに強く閉じても止まることはなく。


「ふぅ……、きみは廣瀬さんといた方がいいよ、あんなに格好いい子は他にあんまりいないよ」


 誰かのために動ける人間は素直に格好いいと思う。

 しかもそのうえで美人で、家族以外で1番の理解者で、適度な距離感を保ってくれる存在。

 それはもう安心することだろう、なにか上手くいかないことがあっても彼女がいてくれればって考えて積極的に行動することもできるかもしれない。

 なのに彼は余計な人間を気にしてその子との時間を減らしてしまっている。


「今日はシロクロウを見せるために仕方がなくだよ、明日からは私なんて忘れて生活して」


 私といても面倒くさいことにしかならないとわかってしまったいま、そんなことはないとは言えない。

 だってそうしたら嘘つきになってしまう、私と一緒のルートを辿る必要はないのだ。


「ただいま」

「……お邪魔します」


 今日も母はどうやらいないようだ、本当にじっとしておくのが嫌いな人間のようだ。


「シロクロウ、ただいま」


 今日は真っ直ぐに彼の方に近づいて体を擦り付け始めた。

 彼もしゃがんで、そんなシロクロウの頭を撫でていた――までは良かったんだけど。


「え……」


 何故か静かに涙を流してしまっていたから驚いた。

 シロクロウもなにかを察したのか彼の手をぺろぺろと撫でている。

 こっちはと言うと、飲み物だけ一方的に準備してからリビングから逃げたという感じ。


「ただいまー!」

「お、おかえり」

「うん? どうしてそんな顔をしているの?」


 母は黙ったままのこちらをスルーしてリビングに突撃してしまった。

 お互いに慌てたような声が聞こえてくる、こっちは外に逃げるしかできなかった。


「猫」

「え……」

「そんな顔をしないでよ」


 外に出て真夕がすぐそこにいたら誰だって驚く。

 あんなことをされた後でなければ私だってこんな反応をしなくて済んだのに。


「ごめん、謝って済むことじゃないけど謝らせてほしい」

「私にはいいから柏田くんに謝ってあげなよ」

「そうだね、だからここに来たんだよ」


 全部ばればれじゃん……。

 なんにも関係ないことにするために自宅からも距離を作った。

 あの涙の理由はなんだろう、私と関わらなければ良かったって涙かな。


「はぁ……」


 あのすっ転んだ方の公園まで来ていた。

 そこそこ錆びついたブランコに乗って時間をつぶす。

 もちろん一緒にいたいけどこれじゃあね。

 いままで通りであればあまり迷惑をかけない範囲でアピールできたんだけど、デメリットしかないってわかったいま、居残る物好きな人間でもないだろう。

 ただ一緒にいたというだけで勝手に異性にファーストキスを奪われたら精神が死ぬ。

 相手の顔が整っているからいいとかそういうことじゃない、謝って済むことじゃない。

 とはいえ、責任も取らずに逃げようとするのもまた問題で。


「小島……さん?」

「あ……」

「こんなところでどうしたの? 危ないよ」


 こんなときでも藤原くんはいつも通りだった。

 彼のせいとも言えないから挨拶をして立ち上がる。


「ちょっとお散歩をしてたんだ、それじゃあね」

「嘘だよね、目元が赤くなってるよ」

「大丈夫だから……」


 自分勝手なことこのうえない。

 なんで自分が被害者みたいに泣いているのか。

 彼を傷つけてしまったのに、せっかく廣瀬さんが協力してくれたのに逃げてきてさ。


「それでも家まで――あ、どうやら必要ないみたいだね」


 そうだ、送ってもらわなくてもひとりで帰れる。

 それでも一応心配してくれてありがとうと言おうとしたときだった。


「わっ!?」

「なにやっているんですか!」


 急に手を握られたことと、急に大声を出されて固まるしかできない。

 それをしていたのは、したのは先程まで泣いていた柏田くんだった。

 藤原くんは彼に頼んだ的なことを言って反対方向へと歩いていく。


「帰りましょう」

「うん……」

「もう2度とこんなことをしないでください」

「うん……」


 可愛い顔をしているのに力が凄く強かった。

 従わなければそれこそ折られてしまうんじゃないかってぐらい。

 だから逃げることもできず家まで連れて行かれて。


「来週の月曜日からまたよろしくお願いします」

「駄目だよそんなの、私なんかといるべきじゃない」


 お礼を言って扉を閉める。

 鍵もちゃんと閉めて、リビングにいたシロクロウに顔を埋めた。

 彼のときのような優しさは見せてくれなかったものの、暴れたりはしなかった。




 土曜日は1日のほとんどをベッドの上で過ごした。

 日曜日は流石にそんなことできなかったから、勉強をして過ごした。

 1日1日前に進んでいるということは期末考査がやってくるということ。

 あとはあれだ、今年ももう終わろうとしているということだ。


「猫先輩、おはようございます」

「え、な、なんで……」

「月曜日からよろしくお願いしますって言いましたよね?」


 だからって家の前で待っているなんて聞いてない。

 なにを考えているんだ彼は、なんでこんな無駄なことをする。

 メリットなんかシロクロウを触れることぐらいしかないのになんで。


「駄目だよ……」

「猫先輩といられないことの方が嫌なので」

「駄目だって……」


 後ずさってもすぐに終わりはきた。

 押して開くようなドアじゃないからなにも変わらない。


「行きましょう」

「あ……」

「いいですよね?」


 こっちの手なんか握ったって手が温かくなるだけなのに。

 結局、あの涙はなんだったんだろう。

 金曜日の彼とは違って、余裕があるのがわかる。

 対するこちらはたじたじ、どちらが年上なのかという話だ。


「……嫌になったんじゃないの?」

「嫌になっていませんよ? 僕が後悔しているのは猫先輩のために僕自身が動いてあげられなかったことです、それだけは嫌かもしれませんね」

「……この先も嫌なことがあるかもよ?」


 いや、あるかもではなく確実にある、それだけははっきりわかる。

 後でいるべきじゃなかったなんて言われても嫌だから言質を取る感じにしないと不安だった。


「誰といてもそういうことからは逃げられませんよ」

「金曜日は泣いていたのに……」

「シロクロウさんの優しさが沁みまして」

「なんであそこにいるってわかったの?」

「能木先輩から教えてもらいました」


 真夕は彼に謝罪をするために残っていたんじゃ……。

 もしかして追ってきたのかな? そうでもなければ教えることはできないよね?


「驚きましたよ、いつの間にかいなくなっていたんですから」

「あそこから逃げたくて……」

「それよりも驚いたのは藤原先輩といたことですけどねっ」

「そういうのじゃない、違うよ……」

「わかっていますよ、一美から全部聞きましたから」


 今回はそれで酷い目に遭った。

 でも、藤原くんの中にあったのは彼と同じやつ。

 私がもっとしっかりしていればこんなことにはならなかったのに。


「ごめん、私のせいでキス……」

「いえ、あれは僕の判断が遅かったせいでもありますから」


 いきなり異性を、しかも先輩を押しやるなんて無理だ。

 仮に同性であったとしても無理、そんな勇気はないから責められない。


「手、離して」

「わかりました」


 みんなの優しさに支えられている。

 だからこそ余計に惨めな気持ちになったのだった。

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