第22話 子供のころの夢


 勝負(?)に勝ったサーニャが嬉しそうに声を上げる。


「やったやったー! 勝ったわよみんな!」


 ……いや。


「様子がおかしい!」

「えっ……?」


 お兄さんの表情がおかしい。

 あれが……負けた者のする顔か? 負けた者にあんな顔ができるか? ――できない。

 サーニャはお兄さんを見つめて微動だにしない。サーニャは目が離せない。いましがた自身が倒したはずのあの顔から。

 それは、酷く穏やかな顔だった。


「な……」


 そうサーニャが漏らすと同時だった。

 拍動。


「な、なんだろう。この音……?」


 鼓動が鍛冶屋を支配する。

 ――と!

 お兄さんの筋肉が一回り膨張する。


「ば、バカな! すでに人間の限界レベルのはずだわ……! なんでさらに肥大するの!?」


 それは、まるでこの世のすべての筋肉が濃縮したかのような、そんな錯覚を覚えるほどの規格外の巨体。

 これは、人間の限界を優に超えている――!!


『お、お兄さん!? 無茶だ! みんな止めよう!』

『……相変わらずの筋肉バカだな』

『ま、そうなるよね』


「……もう。ここで終わろう」


 とても、静かだった。その声はとても静かだった。その声にはまるで感情がない。なのにすべての感情があった。

 サーニャの表情がまざまざとゆがんでゆく。

 そこから読み取れる感情が何なのかわからない。

 恐怖? 焦燥? 後悔? 諦め? 畏怖?

 そのどれともつかぬ顔を……いや、あるいはそのすべてなのかもしれない。

 いまやサーニャは瞬きも呼吸も忘れ、ただ立ち尽くすだけ。


「俺という存在すべて。その過去も未来もここに捧げよう。今、この瞬間……。この瞬間だけにすべてを……」


 あり得ないことが起きた。それは奇跡なのか。あるいは悪夢か。

 限界を超えたお兄さんの筋肉が、――もう一段加速する。それはもはやパンプなどという領域では断じてない。


『な!? お兄さん!?』

『お、おいバカ野郎!! それはいくらお前でも……』

『あ、あっちゃー……。そこまで行っちゃうわけね……』


「う……ぁ…………」


 声にならない声を上げたサーニャの額から、大粒の脂汗が落ちる。あごから滴った汗が床に触れると同時――。


「10万だあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!」

「いやああああああああああああああああーーーーーーーーーーー!!!!!」


 なぜかはじけ飛ぶサーニャの三つ編み。

 そして宙を回転して鍛冶屋の床に倒れこむ。


「がはっ……」


 普段の黒髪ロングに戻ったサーニャがガクリと脱力し、死んだ。


「だって! どうする? ジット」


 死んだかと思ったサーニャがうつぶせのまま、顔だけこちらに向ける。


「あ……えっと……。あ、ああ! グラフカリバー、買わせてもらうぜ!」


 革袋を見ると銀貨が8枚しかない。


「あっれ? おかしいな。もうこんなに減ってる。悪いサーニャ、ちょっと貸してくれ」

「んっもう! しょうがないわねえ。トゴよ」

「ボリすぎだ」


 俺は足りない2枚の銀貨をサーニャから借りてお兄さんに渡す。

 そしてお兄さんからグラフカリバーを受け取り、さっそく背中に背負う。


「これでそのグラフカリバーはあんたのもんだ。打った俺が言うのもなんだが、そこまでの代物はそうそう手に入らねえぜ。大事に使ってくんな」

「さあて、あとはフォリドを倒してお兄さんを世界一の鍛冶師にすれば任務完了ね!」

「世界一の鍛冶師か……」


 そう言うと暗い顔をしてうつむくお兄さん。


「……子供のころ、そんな夢を持っていた気もするな。『世界一の剣を打ってやるぜ!』つってよく肉離れしてたもんだ。まだそんな熱があった頃だよ。そのグラフカリバーを打ったのは。それが今じゃあロクに獲物を鍛えない日々。そういやグラフタイトなんてもう長いこと打ってねえな……。……どこかで自分にあきらめていたのかもな。……ふ。鍛え直すか。俺自身を」

「じゃあ今日から始めることをおすすめするわ。その熱が冷めないうちにね。だって鉄と夢は熱いうちに打てって言うじゃない?」

「はじめて聞いたぞ」


 俺たちのやり取りを見てお兄さんがニヤリと笑う。


「やれやれ。大人ってのは忘れっぽくて困る。自分の夢すら忘れちまうんだからな。その剣は俺にとって夢そのものだ。……託したぜ。あんたたちにな」

「いい夢見させてあげるわよ?」

「ふっ。期待していいんだな?」

「もちろんよ! それともこの天才呪術師のサーニャ様が悪党なんかに後れを取るとでも?」

「サーニャか。あんたみたいに芯の強えのが負けるなんて、想像できねえぜ。俺はメイルスだ」

「そう、メイルスさん。その名前、いずれ世界にとどろくわよ! 私たちが世界を救ったらね!」

「ふっ。……期待しておくぜ。天才呪術師さんよ。そしてお仲間さんたちも。気を付けてな。……死ぬんじゃねえぜ」


 メイルスさんは俺たちを見てニヤリと笑った。


「もっちろんよ! サクッと倒してすぐに帰ってくるんだから!」


 サーニャが親指を立てる。

 グラフカリバーというすごそうな剣を手に入れた俺たちは、メイルスさんに別れを告げて店を後にした。


「よかったね。ジットの武器が手に入って! ねえ、もう結構遅い時間だよね。街の東通りが宿街だからそこで休まない?」

「そうだな。じゃ、東通りへ行こうぜ」


 その日俺たちは街の宿屋で一泊した。


 ――そして夜が明けた!


 早朝、宿屋の前にて。


「なあ、今日はどうする?」

「うーん、情報収集するにはまだ人がまばらだね。あ、そうだ! ねえねえ、せっかく武器も手に入ったんだし、ためし斬りしてみない? ボク、少しなら教えられるよ」

「ほんとか? じゃあさっそく」


 俺は背負ったグラフカリバーに手をかけた。


「さすがに街中じゃあ危険だから場所を移そ!」

「それもそうか。この辺で安全に練習できそうな場所ってあるかな?」


 サーニャがひらめいたという顔をする。


「ねえねえ、じゃあミーヌの森に行ってみない? あそこなら街からも近いし。練習がてら、ついでにサロの実もとってきましょうよ」

「あ、賛成! レイナさんに渡してはちみつミルクに乗せてもらわないと!」

「よし。じゃあミーヌの森へ行こうぜ」


 俺たちはミーヌの森を目指して早朝の街中をテクテクと歩いた。

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