第5話 旅立ち


 すがすがしい青空の下、暗澹たる気分で歩いていると、ほどなくして泉に辿り着いた。

 泉の水はどういうわけか元通り透明に戻っていた。

 泉の前にはすでにあの少女の姿があった。

 少女はやたらとキレのある動きでステップを踏みながら、シュシュシュシュッ! とシャドーボクシングをしていた。


「あ、来たわね! 待ってたわよ勇者さま!」

「おはよう。……あの、勇者って?」

「精霊とのやりとりは見させてもらったわ。フォリドを倒しに行くんでしょ?」

「君はいったい……?」

「あ、自己紹介がまだだったわね。私はサーニャよ。呪術師のサーニャ。フォリド討伐、この私も手伝ってあげる!」


 唐突にフォリド討伐の同行を申し出るサーニャ。


「ジットだ。でもいいのか? ラティナに命じられた俺はともかく、君はそうじゃないだろ? 付き合う義理なんてないんだぜ。危険な旅だし」

「フォリドってのは世界を滅ぼそうとしてるんでしょ? ほっとけないわよそんな奴ら。だから手伝ってあげるわ。同郷のよしみってやつよ」

「君はこの村の住人なの? たしか初対面だよな、俺たち」

「ジットのことは遠巻きに見かけたことならあるわよ。声はかけなかったけど」

「そうなんだ。一声かけてくれればよかったのに」


「ま、いろいろあるのよ。そんなことよりも早く行きましょ! 日が昇ったらしんどいわよ?」

「そうだな。……ってどこへ行けばいいかわからないんだった。ラティナのやつフォリドの場所を伝えずに帰っちゃったからさ」

「じゃあさ、まずはスフィーダの街へ行かない?」

「スフィーダへ?」

「うん。あそこは旅人が多いでしょ? フォリドの情報が手に入るかもしれないし」

「なるほど」


 スフィーダは、トルラ村の北にある。この村の近くでは最も栄えている街だ。

 情報のない今、ベストな選択だと思う。


「そうだなスフィーダを目指そう」

「決まりね。あ、そうだ! 私、お菓子焼いてきたの。おやつに食べようね」

「あ、ああ……」


 楽しそうにはしゃぐサーニャ。まるでピクニックにでも行くかのように。

 それにしても。はあ、一体どんな旅になることやら……。


「きっとすてきな旅になるわよ」


 サーニャの透き通る瞳が俺の瞳を捉える。

 まるでこっちの心を見透かしたかのようなセリフに一瞬ドキリとする。


「そうなるといいな」


 俺たちはスフィーダの街へ向けて旅の第一歩を踏み出したのだった。


◇◇◇


「暑ぢぃ……」


 村を出て数時間。太陽の高さはもうじきピークに達する。降り注ぐ灼熱が体力を容赦なく奪う。

 トルラ村を出発した俺たちは北にあるスフィーダの街を目指してキッカ平原を歩いていた。

 遥か遠い地平線。まるで終わりなどないかのようにどこまでも続く大地。

 疲労により両膝に手をついて息を切らせる俺に。


「なあにジット? もう疲れちゃったの? しんどいならその辺の木陰で休む? 陰に入れば案外涼しいし。それとも私がおぶってあげましょうか? ぷぷぷ……」


 小ばかにしながら俺の顔を覗き込むサーニャ。


「なーに。やっと体が温まってきたところだ。さっさと行こうぜ? おいてくぞサーニャ」


 強がって歩き出す。

 はあ、しんど……。

 汗が額からほおへ伝っていき、あごの先端から地面へポトリと滴り落ちる。

 そんな俺とは対照的にまるで涼しい顔のサーニャ。華奢な見た目とは裏腹にすさまじい体力だ。よく見ると息ひとつ切らせていない。


「にしても、この辺りは平和だよなあ」


 周囲には脅威になりそうな生物は見当たらない。そもそも生き物自体あまりいないからな、この平原。


「このへんには魔物もいないしね。脱水症状や熱中症にだけ気を付けてれば大丈夫よ。ま、仮に魔物がいたとしても私に恐れをなして姿をみせないでしょうけど!」


 自信満々に胸を張って力強く闊歩するサーニャ。


「戦いか。俺は自信ないな。あと武器もない」


 あったところで扱い方がわかんないけど。

 でも丸腰じゃ心が落ち着かないしスフィーダに着いたら早めに武器屋へいこう。


「大丈夫よジット。村一番の呪術師であるこの私がついてるんだから。心配することなんて何もないわよ」

「それは心強いな。魔物が出たら全部サーニャにまかせるぜ」

「ふっ、お安い御用よ。どんどんまかせてくれてかまわないわ。なぁんだったらフォリドも全部私が倒してあげましょうか?」

「マジでそうして欲しい」


 長い黒髪を風になびかせ、ふんぞり返って平原を歩いてゆくサーニャ。

 なんとも頼もしいことだ。


「まあ、そもそも魔物になんてそうそう出会えるものじゃないんだけどね」

「そうなのか?」

「数百年前まではかなり多かったらしいけど、今はだいぶ減ってるのよ」


 言われてみれば村で魔物が出たなんて話、聞いたことないな。


「じゃあ、魔物との戦闘なんて、そうそう起こりっこないわけだ」

「そうね。まずないわ」

「そっか。それを聞いて安心したよ。実は俺、遠出したことなんてほとんどなくてさ。いつ魔物と戦闘になるかって、内心ビクビクしてたんだよ」

「あら、ジットってば意外と心配性なのね。魔物なんてまず出ないから大丈夫よ。もう世界中探したってそんなにいないんだから。出会えたらむしろラッキーよ」

「そ、そっか! ラッキーなのか。なあんだ安心した。ラッキーなんてなかなか起こらないよな!」

「起こらない起こらない。だってポンポン起こったら、それ、もうラッキーじゃないから。ただの普通だから!」

「ははは、そりゃそうだ。じゃ、絶対出ないよな。魔物なんて」

「出てたまるかよ! むしろ探しに行っても見つからないレベルだから! それがこんな平原に出ると思う? もしこんなとこで出たらそれはもう奇跡だから!」

「奇跡かよ! 奇跡なんか起こるわけないよな!」

「起こらない起こらない! だって起こらないから奇跡なんだし!」

「だよな! あ~残念だわ~。出たら素手でやってやるのに~。俺の徒手滅殺鬼炎拳見せつけてやるのに~。はあ~400戦無敗の勇姿見せたかったわ~」


 その時だった。近くの草むらが、がさがさと音を立てて揺れ出した……。


「な、なんだ……? あの草むら、やけに激しく揺れてるぞ……」

「風じゃないの?」

「か、風か? 風……だよな」

「うん、風よ風。ジットってば大げさなんだから」

「だ、だよな!? 風だよな……。なんだ風か、焦ったー」


 しかし、草むらの揺れは治まるどころか次第に激しくなっていく……!


『がさがさ……ッ! がさがさ……ッ!』


「お、おいサーニャ!」

「元気な草むらねぇ」


 のんきに草むらをじぃーと観察するサーニャ。


「あれは風じゃない! な、何かいるって、絶対!」


 目の前の異常事態にさっきまでの余裕は消え去り、一気に緊張が押し寄せる。

 く、くそっ……! で、出るなよ……絶対出るなよ!

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