第4話 少女との約束


「お。遅かったな。早く食べないと冷めちまうぞ」


 食卓の椅子に座っている親父が俺の姿を見るなり一声かけるとスープを口に運んだ。


「ああ。いただきます」


 テーブルの上に並ぶ温かい食事。

 明日からしばらくこの食事ともお別れか。

 そう思うと少しだけ寂しさがこみ上げてくる。

 そうだ。今日の事を話しておかないと。それに明日には旅立つことも。


「あのさ。話があるんだ。実は今日……」


 二人に今日起こった諸々の出来事を説明した。


「……ということなんだ」

「いつ発つんだ」


 俺が話し終えるやいなや質問する親父。


「明日の朝には出ようと思う」

「まあ、そんな急に……」


 心配そうな顔のお袋。


「危険な旅になるぞ。覚悟はできているのか?」

「正直、覚悟なんてできてないよ。でも俺が行かなきゃならないらしいんだ。しょうがないさ」

「そうか……。もうお前も十六になるのか。早いものだ。……ジット。お前の人生はお前のものだ。自分で選んだ道を進むといい。後悔のないようにな」


 そう言うと親父は、もう多くを語らなかった。


「でもそんな危険な旅に出るなんて……。私は心配だよ」

「大丈夫さ。無理はしない。それでさ、唐突で悪いんだけどしばらくの間生活できるだけの路銀を工面してくれないかな。あと武器を買いたいからできたらそのお金も」


 俺が言い終わるとなぜか酷い沈黙が食卓を支配した。


「あの……親父?」


 親父は椅子に座ったまま石造のように固まってピクリとも動かない。


「明日には旅立つから路銀を……」


 喋ってる途中で親父の体がプルプルと震えだす。そして。


「ごほおおおおおおおお!」


 突然激しく咳き込み出す親父。


「お、お父さん! 大丈夫!?」


 慌てた顔のお袋が親父に駆け寄る。

 お袋に背中を撫でられて徐々に落ち着きを取り戻す親父。


「お、親父? 大丈夫か?」

「あ、ああ。大丈夫だ。気にするな」

「そうか。それで金の事なんだけど」

「ごっはああああああああああ!」

「お、お父さん!? 大変! お父さんが! お父さんがっ!」


 蒼白な顔でやたらとパワフルに咳き込み続ける親父。


「お、おい大丈夫かよ親父!」

「あ、ああ。大丈夫だ。なんてことないさ」


 青ざめた顔でうつむく親父が両手を組んで静かに空のスープカップを見つめる。


「そうか。じゃあ、金の事なん――」

「ごへあぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「お、お父さん! 大変だよお! お父さんが! お父さんがーーーーーッ!」


 親父の特殊な咳はしばらくの間止むことがなかった。


「大丈夫かい? お父さん」


 お袋が心配そうに親父の顔を覗き込む。


「ああ、だいぶ治まったようだ。心配かけて悪かった……」

「いいのよそんなこと! でもまだ顔色が悪いねえ……」

「はは。大丈夫さ。こんなもの気にするほどのことじゃない」


 蒼白な親父が焦点の定まらない目をお袋に向ける。


「じゃあさ、金の――」

「さあ! 明日は早いんだろうジット? 今日は早めに寝ておしまいなさい」


 俺の会話を遮り、すかさず就寝を促すお袋。


「でも、か――」

「そうだぞジット。夜更かしは健康の大敵だ。お前が倒れてしまったら、世界の平和は誰が守る? お前には大事な使命がある。わかるな? 無理は絶対にしちゃいかん! 絶対にだっ!」

「そうよ、ジット。お父さんの言う通りだよ。ああ、なんて優しいんだろうねえ、うちのお父さんは! 立派だよお!」

「……」


 俺が無言で佇む中、二人はやたらと手際よく後片付けを済ませた。

 俺、まだ一口も食べてなかったのに。

 そしてやたらとしつこく就寝を促してくる。


「さ、もう夜も遅いよ。寝てしまいましょうか」

「そうだな。夜更かしは健康の大敵だからな。はっはっは」


 徐々に血色の戻ってきた親父の顔。


「で、金は?」

「ごほおおおおおおあああああああああっ!」

「お、お父さーーーーーーーーーーーん!」

「……」


 過去最大級でむせ返る我が父ガット。

 平皿が振動するほどに叫び倒す我が母サビィ。

 俺はその光景に絶望すると音もなく食卓を後にして自室へと戻った。

 そしてベッドにもぐり込み、少し、泣いた。


 そして夜が明けた――!


 自宅の前で両親と向かい合う。

 天気は快晴。曇りのほうが嬉しかったんだけどな。ここいらは日中はかなり暑くなるし。しかし、気分は悪くない。


「じゃ、行ってくるから」

「ああ。気をつけてな。頑張りすぎて死ぬんじゃないぞ」

「ご飯をちゃんと食べるんだよ。夜は意外と冷えるから風邪ひかないように気を付けてね」


 二人は少し名残惜しそうな雰囲気で見送りの言葉をくれた。


「親父、お袋」


 俺は二人の顔をじっと見つめた。

 そんな俺の様子を見て親父が口を開く。


「なあに俺たちなら大丈夫さ。自分の子供に心配されるほど、もうろくしちゃおらんよ。気にしないで行ってこい」

「いつも心から応援してるよ。がんばってね」

「あの……」


 ……。


「餞別ください」

「ごっほおおおおあああああっーーーーーーーーー!」

「ああっ! お父さん! 大丈夫!?」

「あの……ちょっとでいいんで……」

「ごげばああああああああああああああああっ!?」


 親父は何をされたわけでもないのに急にもんどりうって宙を一回転したのち、その場にしたたかに倒れこんだ。たぶん背中を強打した。

 そして、「ぐはっ!」と一言残すと首をガクリと脱力し、目を閉じた。


「お父ーーーーーーさーーーーーーーーーーーん!」


 お袋の絶叫が周囲の木々を振動させ、あたりには無数の葉がひらひらと舞い落ちる。

 お袋は倒れた親父に駆け寄るとその体をガクガクと揺すっている。

 ……。

 俺は無の表情でそのクソみたいな茶番を観察した。


「頑張ってな。ジット」

「頑張ってね。ジット」


 しばらくすると両親は茶番にも飽きたのか、起き上がってねぎらいの言葉をかけてきやがった。


「ああ……行ってくるよ……」


 俺は奥歯をかみしめると拳の中に強く握りこんだ四枚のコイン(計211リーン)をポケットの奥深くへねじ込んだ。湧き上がる涙をこらえながらうつむき加減に謎の少女が待つ泉へと重い足を進めた。実に鬱々とした気分だった。

 ちなみに211リーンあればカフェでコーヒー1杯飲める。

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