桜の海

角砂糖

桜の海

 この学校の敷地は他の学校に比べて少しだけ広い。何故かって言うと、取り壊されてもう跡形も無いが、昔ここには旧校舎があったらしい。もし今でもそんな建物が残っていたら、学校の七不思議や怪談の宝庫だったんだろうな。

そんな旧校舎の跡地と本校舎の間にある、今は使っていないプールの目の前に私はいた。残念ながら中には入れないので外から眺めるだけだ。

今日は入学式。これから後輩になるであろう学生が、新品の制服を見に纏い、退屈な校長の退屈な話を広い箱の中で退屈そうに聞いている頃合いかしら。

ちなみに在校生は休みだ。本来ならば家でゴロゴロするなり、街に出かけたり、友人と遊んだりと休日を満喫すれば良いものを、わざわざこんな人気の無い所にいる私は相当な物好きだと自分でも思う。けれど虫の知らせ、という訳ではないが、趣味の写真をどうしても撮りたくなったので、いそいそと今日は着る必要のない制服に袖を通した次第だ。

趣味が写真と言うと随分聞こえは良いが、別にSNSに投稿なんてしないし、どこかのコンクールに応募もしない、ましてや部活にすら入っていない。何故ならば、私が撮る写真の被写体は所謂『死骸』だ。別にグロいのが好きとか、厨二病を拗らせている訳ではない。小さい頃から、道端で死んでる虫や動物、枯れた植物に興味があった。この動物は、虫は、植物は、どんな気持ちで、何を思ってこの場所で死んでいったのだろうか?と。それを知りたくて、写真に収めては思いを馳せるのがいつの間にか趣味になっていた。ってやっぱり厨二病拗らせてるかなぁ?

この季節にここに来たのは初めてで、プールを隠すように植わっている木が桜であったことを今になって初めて知った。桜を写真に撮る趣味が無いとは言え、何故だかこの樹木は好きだ。周囲一面桜色。そよそよと風に舞う桜の花びらが作り出す幻想的な風景に心を奪われる。

少し眺めてからそろそろお目当ての写真を撮るかなと、その場を離れようとした瞬間、風が強く、強く吹いた。

桜が舞い、枝が揺れ、髪が乱れる。けれどそんなことはお構い無しに、彼はそこにいた。いつからいたのか、どうやって入ったのかはわからない。ただ、彼は廃墟同然のプールサイドに忽然と立っていた。

きっと、風が止むまで2人の間に時は流れなかっただろう。

「・・・そんな所で、何してるの?」

一瞬自分の心の声が、外に出てしまったのかと思った位、心の声と全く同じ言葉をその男の子にかけられた。こちらを見つめるその瞳は不思議な眼差しを帯びており、目が離せない。きっと一度見たら忘れられないと思うのは私だけだろうか。同じ学年にはいなかった筈なので先輩だろうか。流石に制服の着こなしからして、新入生では無さそうだ。

「同じクラスだよね。」

前言撤回。その言葉になんとか記憶を手繰り寄せるがこんな子クラスにいただろうか。そもそも人の顔を覚えるのが元から苦手な分、全く思い出せない。しかし絶対いなかったよ、とも断言出来ない自分が恥ずかしい。こんなにも独特な雰囲気なのに。向こうはこちらを覚えているのに。

困惑が知らぬ間に伝わったのか「覚えてないか」と彼は独りごちた。その言い方は卑屈になっている訳でもなく、ただ私に興味がないように見える。

それよりも「何してるの?」と聞きたいのはこっち・・・いや、そもそもどうやって入ったのか。そっちの方が謎だ。だってこのプールは入口に鍵が掛けられているし、周囲はネットフェンス。その上には有刺鉄線まで張り巡らされている。何からそんなにプールを守っているのやら。しかし彼はそこに当たり前のようにいる。まるで、鍵も、柵も、有刺鉄線もなにも無かったよとでも言うように。

「・・・覚えてなくてごめん。私は写真を撮りに散歩してるだけだよ。そっちこそ何してるの?」

私が彼を覚えていなかったことについてはさほど気にしてなさそうなので軽く流した。とりあえず、どうやって入ったかは気になるけれど先に何をしているのか聞いておこう。もしかしたら意外とヤンキーなのかもしれない。危なくなったら全力ダッシュだ。

よくよく観察すると、彼の足元には教室でも使っているゴミ袋が、丸々太った状態で置いてある。こんな所に不法投棄?

訝しむ私の視線に気づいたのか、彼も自分の足元に視線を落とした。少しの間それを見つめてから「そうだな・・・。」と蚊の鳴くような声で呟く。そして、そのゴミ袋を徐ろに持ち上げると盛大に中身をプールにぶちまけた。

「じゃあ、手伝ってくれたら教えてあげる。」

何故か上から目線でそう言われると、袋の中の桜の花びらが大量に舞う。彼は笑っていた。

「桜を集めるんだ。」


*


「痛くないの?」

 結局、あまり悩まず手伝う事にした私は、ネットフェンスを乗り越えこちら側に来た彼にそう尋ねた。有刺鉄線があちこちに引っかかって出来た傷に、血が滲んでいて痛々しい。よく見ると今怪我した箇所以外にも制服が破れて中が見える。プールに侵入する時も同じように怪我をしたのだろう。

私の問いかけに、彼はケロッとして「痛いよ。」と答えた。どっからどう見ても痛がっているようには見えないのだけども。

こういう時普通はハンカチや絆創膏を手渡すべきなのだろうが、残念ながらそんな女子力の高いものは持っていない。と思ったけれど、ポケットを探るとなんとポケットティッシュが入っていた。「いる?」と尋ねると「ありがたい。」と素直な返事。そして差し出される掌。そこに1枚引き抜いたティッシュを渡すと、彼はポンポンと雑に掌を叩いた。そのまま丸めて学ランのポケットに押し込む。

はっきり言うと全く拭けていないし、そもそも1番酷い怪我はざっくり切れている脛の方だ。確かに掌も少し切れて、無傷という訳では無いけれども、どうして掌?何故に掌?。何を考えているのか?依然としてわからない。もしかして痛覚が無いんじゃないか?と訝しんだ所で、彼が「ほらほら」と両手を広げる。

「ここらの桜を集めて欲しい。まだまだ沢山あるから選り取りみどりだよ。」

 確かにプール周辺の地面は桜でもう見えないくらいに埋まっている。とある一面を除いて。多分この桜が比較的少ない一面は彼が1人でせっせと集めた所だろう。結構広い面積をよく飽きもせず集めたなぁと素直に感心する。

「朝からずっと集めてたの?」

手渡された外掃除で使う竹箒をこれまた外掃除で使うでかいちりとりに適当に掃きながら尋ねる。この量だと集めなくても勝手に集まってくれるので案外楽しい。しかし返事がいつまでたっても返ってこないので、パッと後ろを振り返ると先程までいた彼の姿が忽然と消えていた。

「あれぇ?」

間抜けな声と共に頭を過ぎったのは、今までのが全て幻覚だったのでは?それとももしかして彼は幽霊だった?まさか旧校舎で自殺した生徒?未だに成仏できずに彷徨い歩く内にプールに辿り着いたとか?そんで一緒に遊んでくれる友達を今でも探しているとか?そんな噂一切聞いたことないけど。というありえそうでありえない考えが頭の中を占領していく。

辺りをキョロキョロと見回してよくよく目を凝らすと、すぐに彼の後ろ姿を見つけることができた。たしかあっちの方向は外にある掃除用具入れの方面だ。なるほど単純な話で、この箒は今まで彼が使っていたものだろう。箒の数が足りないから取りに行っただけだ。

それから私は彼が帰ってくるまでの数分間、彼が戻ってきてからの数十分間、せっせと桜を集めた。戻ってきた時に、「声かけてからいなくなってほしい。」と言うと「びっくりした?」と言われたので多分わざとだったらしい。意外と悪戯好きなのかもしれない。

桜が3袋分集まった所で、「もういいか。」とのお声がかかったので、私達はいそいそとプールに戻った。


*


プールに再度侵入する為には、もう一度頭上に有刺鉄線が張り巡らされているフェンスを乗り越える必要がある。私なら絶対他に侵入出来る場所はないか散策するが、彼は臆することも無くフェンスを登っていく。やっぱり有刺鉄線が体のあっちこっちに突き刺さったり引っ掻いたりしているのに、彼は一切表情を変えない。

「痛くないの?」

「痛いよ。」

やはり痛がっているようには全く見えない表情で、私が持ち上げた桜入りゴミ袋を受け取りながら答える。無造作にポイと放り投げると、プールサイドに着地していく3つの袋。ついでに彼もフェンスから飛び降り同じように着地。もちろん私はそちら側に行く気は無い。制服だからスカートだし、痛いのは嫌だ。

彼は着地するなり、プールサイドの端にある蛇口の方面に向かった。もう既にホースが装着されている蛇口を、軋む音と共に捻る。こんな廃墟同然のプールに水なんて通っているのだろうか?と疑問を抱いたがそこではたと気付いた。よく見てみると、既にプールは水で一杯になっており、今の行為は水を止める仕草だった事を知る。

「じゃあここで何をしているか、だよね?」

彼がこちらには目を向けず、まるで独り言の様に話し始めた。そう言えば手伝ったら教えてくれる約束だったなとほとんど忘れてかけていた約束を思い出す。

「写真を撮ってもらおうと思って。」

彼はまだこちらを見ない。

なるほど、とここで私は推測する。今、彼は集めた桜の花びらを水の張っているプールにばら蒔いている。廃墟のプールと桜の花びら。とても幻想的な風景だ。この景色を撮るつもりで準備していたら、丁度いい所にデジカメを引っさげた人間が来たから撮ってもらおうという魂胆か。ならこんなに勿体ぶらなくたっていいじゃないか。しかも私はそういう写真は撮ったことないから彼が望むような写真は絶対に撮れない。断言出来る。

「残念だけど、お断りします。」

すると、彼は断られると思っていなかったのか、キョトンとした表情でやっとこちらを向き、酷く可笑しそうに笑った。

「君が望んでいる写真だよ。」

風がざわつく。春は風が強いから嫌いだ。

どういう意味か、聞こうとしたが彼の「1時間後にまたおいで。」という言葉に遮られてしまった。

彼はもうこちらを見向きもしなかった。


*


私はあの後、1時間後ぴったりに同じ場所に立っていた。 

今でもその時の写真を見返しては思いを馳せる。ぷかぷかと水面に浮かぶ桜の花びらと彼。

どんな気持ちで、何を思ってこの場所に?

けれど写真の中の彼が答えてくれることはなかった。

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