第3話 悪役令嬢3
そんなもやもやした状態で居たある日、彼の訪問もプレゼントも来ない一日を過ごした。
こんな日は初めて会った日から初めてのことで、不安と心配で眠れないで居ると真夜中に微かにバルコニーから音がした。
「ファニー、起きているかい?」
「リック様!?」
急いで、だけど音を立てないようにバルコニーに続く扉を開けると、思った通り彼が居た。
寝巻に上着を羽織っているだけの恰好だからか、いつもよりも儚く見えた。
月明かりを従えているのに、ふと気づくと宵闇に消えてしまいそうな、そんな矛盾した存在に見えて、足が踏み出すことを忘れてしまった。
「ごめんね、こんな訪問の仕方して」
「い、いえ。ここは寒いので中にお入り下さい」
「淑女の寝室に入るような無粋な真似は出来ないよ。ファニーこそ寒いだろう? 扉は閉めていていいよ。でも少しだけお話ししてくれると嬉しいな」
「私しか見ておりません。話であれば中で致しましょう。ここでは気になって話など出来ません」
「……ファニー。僕は女に見えるだろうけど、本当に男だよ?」
「存じております。ですが、婚約すら私の意思を尊重して下さっている方がやましいことをなさるなんて思う必要はないでしょう。私はリック様を信じております」
「……そこまで言われたら信頼に応える姿勢を見せないとね。入れて貰えるかい?」
「はい。どうぞお入り下さい」
改めて本当に彼は美少女だと実感したからではないが、中に招き入れた。
勿論、誰かに聞かれるわけにはいかないので隣り合って座り、小声で話をする。
「本日はどうなされたのですか? 何かあったのでしょうか」
「うん。変に噂で聞くより僕から話した方が正しい情報が伝わるだろうから話すけど、あまり深刻に捉えないでね?」
「リック様がそうおっしゃるのでしたら」
やはり何かあったらしい。
こうして真夜中に一人で誰にも見つからないように来られたのも、もしかしたら出掛けることが出来ないからなのかもしれない。
「ちょっと暗殺未遂騒ぎがあったんだ」
「……一応お聞きいたしますが、どなたのでしょう」
「僕のだよ」
にこにこといつも通り答える彼に動揺を隠せなかった。
前世は勿論、今世だって流石に暗殺はされそうになったことはない。
人間関係はドロドロだったけど、私は殺すより利用する方が価値があるからだろう。殺されそうになるということを体験したことはないのだ。
だから、あまりにもあっさりといつも通りの彼が非現実的に感じられた。
「そんな顔しないで。いつものことなんだから。皆が大げさに騒いでいるだけだよ」
やはり彼にとっては慣れていることのようだ。
それがとても悲しい。
彼はそういう環境で生きてきたのだと、そう分かったから。
「今日は皆忙しくしていてプレゼントすら用意出来なかったし、こんな時間にならないと抜け出すことも出来なかったんだ。だからこんな時間にこんな方法での訪問になったんだよ。迷惑かと思ったんだけど、ファニーは賢いから伝えないより伝えた方が良いと思ってね」
「……ありがとうございます」
知らないより知っている方が良い。
その通りだけど、彼が暗殺されそうになったというのは中々にきつかった。
例え、本人が何も思っていないとしても。いや、本人が何も思っていないからこそ、余計にきつい。
「ファニー」
「はい」
「あまり余計なことは考えなくて良いからね。僕は純粋にファニーと相思相愛になりたいんだ。政治的なアレコレは横に置いておいて欲しいな」
そうか。
彼の暗殺未遂騒ぎが起こるのは、私が婚約に頷かないせいでもあるのか。
伯爵家という身分が低い婚約者を持つことで彼は王位争いに興味がないというポーズを取るはずだった。取っていたら、この暗殺未遂騒ぎは起こらなかったかもしれない。
なら、もし暗殺が成功していたら、私が彼を殺してしまったのと同じことと言える。
「リック様、こちらをご提出頂けませんか」
数日後、私は婚約の書類に一つだけ空いていた欄を埋めたものを彼に差し出していた。
「……そうか」
私のサインが入っているのを確認してから、彼は少しだけ思案した顔をした。
てっきり嬉しがるものだと思い込んでいたので、この反応には驚いた。
ううん、はっきり言うと悲しかった。好かれていると思っていたのは勘違いだったのかもしれないと思うくらいには。
「ファニー、これは先日の騒ぎに因るものかい?」
だけど、この言葉で理解した。
彼は私の気持ちを信じていいのか確信が持てないのだと。
当たり前だ。私は一度も彼の想いに応える言動をしたことがないのだから。
だから、きちんと示す必要がある。
「きっかけは確かにそうです。ですが、リック様のご配慮を無駄にしたつもりはございません。きちんと政治的な理由は除外して出した結論です」
「そうか」
今度は嬉しそうに笑ってくれた。
そしてすぐに立ち上がったかと思うと、抱きしめられた。
「そうか!」
再度嬉しそうに言う。
年齢を考慮に入れても小柄なはずの美少女な彼にひょいっと抱き上げられた。
「きゃっ」と思わず今まで出したこともない声を出してしまった。
「僕の将来のお嫁さんだ!」
「ファニー可愛いっ」
「絶対に幸せにしてあげるからね!」
「愛してるよ!」
お姫様抱っこをされ、くるくると踊るように回りながら、彼は叫ぶようにそんなことを何度も口にした。
嬉しさが溢れ出ているのが伝わってきて恥ずかしかったけど、私も嬉しくていつの間にか笑っていた。
きちんと想いは伝わったのだと。彼と相思相愛で婚約者となれたのだと。
ゲームだとか色々と不安はある。
今後どうなっていくかなんて分かりようがないのだ。
だけど、将来の不安より、今ここにいる彼と愛し合いたい。
傍に居て、彼の特別でありたい。
難しいことを考える必要などなかったのだ。
私はただ、彼と今を生きたい。
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