第2話 悪役令嬢2

 しかし、翌日から本当に彼は毎日やってきた。

 勿論、そこまで長時間居るわけではない。既に独自に人脈を作っている彼はそれなりに忙しい。勉強だってあるだろう。

 だけど、彼はたった数分の為にであっても会いに来てくれる。それさえ出来ない日にはプレゼントが届く。


 そこまでされたら信じないわけにはいかなかった。

 彼は本当に本気で私が好きなのだと。



 でも、私は人に純粋な好意を向けられることに慣れていなかった。

 私の周りの人は例え肉親であっても私を利用することしか考えない。前世も今世も。

 だから、どうして良いか分からなかった。

 惹かれていることは自覚していた。例え美少女にしか見えなくても、それでもこの人と居たいとそう思わされた。


 だけど、ゲームのことが頭をよぎった。

 もし婚約して、ゲームと同じように婚約破棄されたらどうしよう。

 彼の気持ちが私から離れていった時、私はどうなるんだろう。


 今、彼に好かれていることは分かっている。

 ゲームと違って、私にコンプレックスを感じているわけでもなさそうだ。

 ゲームのことは知らなさそうだけど、少なくとも彼はゲーム通りではない。

 だから、ゲーム通りに進むかもしれないなんて思う必要はないはずだ。

 ないはずだけど、気になる。もしかしたらって思ってしまう。

 多分これが恋心と言うものなのだろう。



 天才な私が誰かに教えを請いたいと思ったのは初めてだ。

 でも、人間関係だけは天才な私にでも手が負えない。

 人間と言う生き物は愚かなのだ。私には全く理解が出来ない非合理な生き方をしている。


 そう思っていた。

 だけど、私も今、非合理なことをしている。


 だって、好きなら婚約すればいいのだ。

 それだけではなく、彼の不安定な立場を補強する為にも私という婚約者は必要だ。

 伯爵家という権力の弱い婚約者を持つことで警戒心を下げられるし、神童という私の能力を得ることで彼は地力をつけられる。

 私と彼が両想いになり、お互いハッピーになるだけでない合理的な理由も存在している。


 なのに、私はゲームなんて非科学的なものの幻影に惑わされている。

 確かにあのゲームの設定通りの世界だ。人も攻略対象などの人物が存在することも確かめた。

 だけど、偶然と言うことだって有り得る範囲内だ。

 他の転生者がゲーム通りの世界になるよう暗躍したということだって有り得る。

 そんな理由かもしれないのだ。

 分かっている。分かっているのに、私は婚約に頷くことが出来ないでいた。



 人に好かれると言うことがこんなにも嬉しいことだとは知らなかった。

 人を好きになると言うことがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。

 恋を自覚すると人はこんなにも弱くなるものらしい。


 ゲームの舞台はまだまだ先だ。

 オープニングすら始まっていない。

 だと言うのに、私の恋愛はもう許容オーバーだった。




「ファニー、これを貰ってくれるかい?」

「っ、そのような高価なもの頂けません!」


 ある日、彼がいつものようにやってきて、いつものようにプレゼントを差し出してきた。

 訪問時のプレゼントは殆どがお菓子だ。その場で食べてしまえるものなのは私が重荷に感じないようにだろう。そういう気遣いにも愛を感じる。

 だからこそ差し出されたプレゼントに驚いた。


「これは結界を作動させることが出来る魔道具なんだ」


 そう、魔道具。

 魔石という高純度の結晶体に魔法陣を埋め込むことで魔石の魔力が尽きるまで効果を発揮させることが出来るとても高価なものだ。

 そもそも魔石は希少なものだ。魔法陣を埋め込める程の純度と大きさを持ったものとなると更に少ない。

 だから魔道具と言うものはとても高価なものだ。


「ここに魔力を送り込むと結界が発動するようになっているから、まずはファニーの魔力を登録して欲しいな」

「申し訳ございませんが、頂けません」


 ほぼ毎日彼が私に会いに来ていることは広く知られていた。

 だからまだ婚約していなくても、実質的に私はもう彼の婚約者として認識されていることくらい知っている。

 魔道具なんてもの貰ったら、婚約者ではないなど言えなくなる。


「ファニー。僕はファニーが好きなんだ。だからファニーに何かあったらと思うと気が気でないんだよ。僕は四六時中ファニーと居られないから、せめてこれを代わりに持っていて欲しいんだ。そうしたら少しは安心できるから。

 これを貰ったからどうこうなんてことはない。ただのいつものプレゼントだよ。だからねえ、ファニー。お願いだよ。僕の我儘、聞いてくれないかな」


 ずるい。

 そんな言い方されたら、否とは言いにくい。

 だけど、それでも頷けない。

 だって、私は婚約者ではない。


「それとも護衛の方が良かったかな? 僕としてはファニーの傍に四六時中居られる人なんて羨ましすぎて、わざわざ見繕いたくなんてないんだけど、ファニーが護衛の方が良いならそうするよ」


 でも、こういうことで彼に勝てるわけがなかった。

 彼が何かを成し遂げようとした時にはもう手遅れなのだ。

 彼は人の感情を上手く使う。話術に乗せられてしまっているだけだと後から考えると分かるのだ。だから努めて冷静で居ようとは思っている。思っているのだが、その場にいるとどこで間違ったのかすら分からないうちに彼の思い通りになっている。


「うん、似合ってるよ、ファニー。お願いだからいつもつけていてね。万が一の時のものなんだから」


 気が付くと私の指に魔道具が付いていた。

 何がどうしてこうなったのだろう。

 にこにこと笑顔を浮かべる彼はどう見ても美少女なのに、どうしても敵わないと思わされる。



 それにしても何故いきなり結界の魔道具なんて贈ってきたのだろう。

 これはかなり小規模の結界を発生させるものだけど、結界の魔道具自体は有名だ。

 幾つもの大きな魔石を使って、城を覆う結界が万が一の時は発動されることは知られていることだからだ。


 結界は物理的なものも魔法的なものも何も通さない。

 全焼した建物の中に結界を張った人達が生き残った事例もあるくらいだ。

 だからこそ結界の魔道具の需要は高い。


 結界の魔道具を贈るということはそれだけ相手を大切にしている意思表示にもなる。

 つまり、噂だけではなく、物理的に私は彼の婚約者になったようなものだった。

 例え、契約上はしていないのだとしても。


 勿論、彼はこれを付けても婚約は私の意思でいいと言ってくれている。

 周りの声は気にする必要はないとそう言ってくれている。

 これは私を手に入れたい自分の恋心のせいで巻き込んでしまっているお詫びのようなものだとも言ってくれた。


 だけど、前世の指輪に関する知識と今世の結界の魔道具の知識が合わさり、どう考えても婚約指輪のようにしか思えなかった。


 この世界では、この国では、婚約や結婚の時に指輪を贈るという習慣はない。

 指輪などの装飾品はドレスに合わせて変えるものだからだ。同じ指輪を付け続けるなんてこの国の文化とは合わないだろう。

 だからこの感覚はこの国の誰にも分かってもらえないと思う。

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