第29話 なりかわり

「いや、国からの給与が入る直前で助かった」

 父は言った。

「何も助かってない、父上」

 母はあの日、家財も家にあった父の自宅預金もすべて持って実家に帰ってしまった。

「とりあえず当面の生活費はどうにかなるだろう?」

 給与が入るまでは、家に残った調度品なんかを売って生活費に充てた。

「金の問題じゃないよ、父上。食事を作ってくれる人がいないんだから」

 とはいえ、こうして生活の大半を工房で過ごしているわけで、その間は元々まともな食事などとっていない。パンとチーズとか、パンとハムとか、あとは適当な果物を、作業の合間にかじるだけだ。

 最初の頃、ロラートは特に食事を欲したりしなかったが、最近では俺たちを真似して食べるようになった。

「これー」

 語彙も少しずつ増えてきた。

「ああ、それ、食っていいぞ」

 そして、こちらの言葉はかなり伝わるようになった。

「さて、そろそろ帰るか」

 一番大きかったのは、作業を終えた後でそのままロラートを連れて自宅に帰れるようになったことだった。父はまた夜に自宅のベッドで寝られる生活に戻れた。あのまま衰弱死するのでは、と心配していたが、顔色が戻り始めた。目の下のクマはまだ残っている。

「よし、じゃあ閉めてくれ」

 夜中は寝室にロラートと共にこもるからだった。

 外から施錠して、逃げ出して暴れないようにそうしていたが、ロラートはもうかなり人間らしくふるまうようになっていた。

 夜には寝る、ということを、父の姿を見て覚えた。

 もっとも、俺も父も、普段は研究ごととなると、夢中になれば時間を忘れて昼も夜もなく続けるような人間だったが、この頃はとにかく夜には疲れ切っていたのだ。

 ついでに、ロラートが俺や父の真似をするようになったので、食事も適当な隙間時間にパンをかじるのではなく、ちゃんと一日三食摂るようにした。変なクセを真似されたら困る、という意味で、だが。

 というのも、近所の人や新たに雇った召使いには、ロラートがこれまで通りの生きた人間だということにしたからだった。

「ちょっと熱を出して、言葉が不自由になりまして」

 ちゃんとしゃべれていないことに関しては、それで通した。


 かくして元のロラートの死はなかったことにされた。

 それを知る母も、以前から仕えていた召使いたちもいなくなり、ロラートを看取った医者も別の街の者だったため、何のほころびもなく、中身だけが入れ替わった。


「ちちうえ、あにうえ、しゅうふく! これ、しゅうふく!」

 ロラートはだいぶしゃべれるようになってきた。「兄上」は、父が教えたらしい。俺のことを「なえでぃー」と呼ばなくなった。

 それ以外は、俺と父が作業の時に話す言葉を拾って覚えていった。

「やはり、人間の赤子の魂だったんだ」

 父と俺の見解は、それで一致した。


「父上、兄上、ごはんなに?」

 最初にしゃべってからひと月ほどで、ロラートはそのくらいはしゃべれるようになった。

「赤子と違って元々脳自体はある程度発達した状態だから、きっと学習も速いんだろう」

「なるほど」

「ごはーん! ごはーん!」

 ロラートは家の近くになると駆け出して、真っ先に家に入って行った。

 こういう時に多少は放っておいても慌てなくてよくなったのは、助かる。

 俺と父が家に入ると、ロラートが所在なさげに玄関に戻ってきた。

「父上、兄上、なにも、ない……」

「え?」

 残っていたはずの調度品と、父の自宅預金がなくなっていた。


「旦那様が運び出したのかと思ってましたよ」

 夕食の給仕をしながら、召使いが言った。

 雇い直した召使いは必要最小限にしていて、夕食時の調理兼給仕がひとり、朝食の給仕兼家の掃除がひとり、それぞれ朝夕の短い時間だけ来る。あとは、週に二度ほど、別の召使いが洗濯のために来るだけだった。

「あたしが来た時には、家が空っぽでしたからね」

「困った、困ったぞ……」

 父はすっかり頭を抱えた。

「今月は国からの給与が入ったばかりだったのに……」

 それで結局、雇い直した召使いたちを一度解雇しなくてはならなくなった。


「アルチオ、困ってるんだって?」

 アルチオは父の名だ。そう言って工房を訪ねてきたのは、以前に丁寧な修復術を教えてくれた父の兄弟弟子のキバキ氏だった。

「ドゥク氏のところに大量の素体修復の依頼が入ったらしくて、手伝いを探していたぞ」

 そんな感じで、父はよその工房の手伝いをしてわずかばかりの報酬を得た。

 俺もそれに同行したかったが、さすがにロラートを放置することも連れて行くこともできなかった。

「やっぱりだめか」

 一応聞いてみたが、もちろん結果は分かり切っていた。

「さすがに、二人も子どもを連れて行くのはな。それに、屍術師の目から見たら、やはりロラートの正体に勘づかれないとも限らない」

「なるほど」

 そんなわけで俺は、ロラートと共に家と工房を行き来する日々となった。それが一か月近く続いた。

 一応、うちの工房にも修復用の素体は通常通り届いていたので、屍術がまったくできなかったわけではなかった。

 ちなみに、素体は国から届く。元は国が処刑した遺体だ。戦時はすべて屍者兵として返さなければならないが、平時は研究用に好きに使っていいことになっている。

 国境警備を任されている屍兵団からの要請があれば、優先的に送ることにはなっている。が、ここ数か月それもなかった。

「兄上、この道具を使いますか?」

 ロラートはこの一か月で、言葉だけでなく、屍術に使う道具に関しても覚えていった。まるで俺の助手のように育っていった。

「ああ、それだ」

 俺がそれを受け取ると、ロラートは嬉しそうに笑った。


「父上、兄上はすごいですよ! 素体をシュッて直しちゃうんです! シュッですよ!」

「ははは、そうか」

 一日の終わりは、必ず三人で食事をとった。

 とはいえ、いまだ調理係の召使いを雇い直してはいなかったので、パンとチーズくらいのもだったが。

 こうして家族らしくふるまっているのは奇妙な感じがしたが、自然とそうなっていた。

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NecroViver るちあーの @LucianoInfanti

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