第28話 意思疎通の兆し

「ロラート」

 目を開けた素体に対して、父はそう呼びかけた。

 それは弟ではない。が、姿形は弟そのままだった。

 使った魂の貯蔵魔力量が少なかったため、素体の姿に変化がなかったのだ。

「あ~……」

 素体が声を出した。俺と父は顔を見合わせた。

 しばらく観察していたが、喃語のような声しか出さない。

 やがて空が白み始めて来てしまった。

「ナレディ、お前はもう帰りなさい」

「えっ、でも」

「家にいないと母上が心配する。それで騒ぎになったら、このことも知れてしまうかもしれない」

 ロラートの身体を素体にしたと知れたら、母が黙っていないだろう。いや、世間が、か。

 俺はうなずき、研究着を脱いで家に向かった。夜中研究区を歩き回ったそのままの恰好で、とりあえずベッドに潜り込む。興奮していて寝れる気はしないが、とにかくもずっと寝ていたていを装わなくては。

 そう思ったが、思いのほか身体は疲れ切っていたらしい。俺はすぐに意識を失い、昼過ぎまで目覚めなかった。

 そして、母に勘づかれるのではないか、という心配は無用だった。

「奥方様は、昨日ご葬儀からお戻りになって以来、お部屋からお出になられていませんよ」

 母の侍女はそう言った。

 俺は着替えると、父の待つ工房へ急いだ。

「父上」

 父は疲れ切った顔をしていた。

「あいつはしゃべりはしないが、やたら活発で……ロラート! やめなさい!」

 その瞬間にも、弟の肉体を素体としたその屍生者は工房内をうろついては、目を引いた器具をいじろうとしていた。

「ひどい顔色だ。父上も一度帰ってお休みになられては?」

「……そんな元気すらないよ。ここでちょっと休む」

 父はそう言うと、修復台のひとつに乗って横になった。

「そんなところに寝たりして、うちが大きい工房だったら助手にでも素体と勘違いされて身体をいじられてしまうよ」

「ナレディ」

「ん?」

「寝かせろ」

「…………」

 俺は父に話しかけるのをやめた。

 結局、屍生者がウロウロする気配で寝られないと、父は一度家に帰った。


 それから数日は、交替で家に休みに帰り、それ以外は工房で過ごした。

 屍生者は相変わらず喃語のような声しか発さなかったが、知性がないわけでも正気を失っているわけでもないようだった。

「好奇心は旺盛、我々にも馴れたようだ」

「まるで動物のような言い方をするな、父上」

 父はため息をつきながら言った。

「考えていたんだよ。もしかすると、ロラートの中にいるのは、犬か何かの魂ではないかと」

「犬」

「あちこち嗅ぎまわっているようなあの様子がな。それに、魔力量がやけに低かったのも気になる」

「確かに」

 それでは俺は、弟を犬にしてしまったのだろうか?

「ロラート! そっちはだめだ!」

 父は結局、その屍生者を「ロラート」と呼んだ。

 実際、呼び名がないと不便だったし、亡き次男への妄執から呼んでいるわけでもないようだったから、俺も訂正するのをやめた。というか、めんどうになったので、俺もそれを「ロラート」と呼ぶようになった。

 ロラートは寝ている時間も長かった。起きている時は工房内をうろついたり走り回ったり転んだり、器具を持ち上げようとしたり、とにかく目が離せないから、眠りにつくとどっと疲れが出る。

「……やれやれ、やっと寝たか」

 その間に、国からの通常業務である素体の修復をこなさなければならない。

 魂を定着させる研究には、手を回せるほどの時間も体力も、到底足りなかった。


「またロラートに器具を壊された」

 翌朝戻ると、父はげっそりした顔でそう言った。

「すぐに使わないものは戸棚にしまっておかないからだよ」

「…………」

 俺は母や召使いたちの手前、夜は家に帰って休めたが、父は完全に昼夜逆転してしまっていた。俺が工房にいられる日中に家に帰り、寝ていた。たまに召使いに仕事のことで話しこまれ、寝る時間がないこともあったらしい。

 かわいそうなほど目の下のクマが濃くなっていたが、こればっかりは代わってあげられるものではなかった。

「いっそケージでも買って夜はそれに入れて帰っては?」

 犬のように床を這いまわるロラートを見て俺は言った。

「ケージなんてどこで買うんだ。人ひとり入れるようなもの、奴隷商人か猛獣使いくらいしか使わないだろう」

 もちろん俺は冗談のつもりだったが、父は冗談も通じないほど衰弱してイライラしていた。


 半年ほど経った頃。いや、半年は体感で、実際は二週間ほどだろうか。工房の床をゴロゴロ転がっているロラートに目を光らせながら、修復後の素体を梱包している時だった。

「なえ…でぃ…」

 最初、何が起こったか分からなかった。知らない声がする、と怪訝に思った。

「なえ、でぃー」

 まただ。外からだろうか?

 きょろきょろと辺りを見回すが、分からない。怪訝そうな顔の父と目が合った。

 次の瞬間。

「なえでぃー!」

 声の大きさに、飛び上がりそうになった。ロラートだ! ロラートが言ったのだ!

「ナレディ、これは……」

 父も俺も完全に戸惑って、ロラートを見た。相変わらず床を転がっている。転がりながら、「なえでぃ、なえでぃ」と言っている。

「……お前を呼んでるんじゃないのか?」

 父が言った。「なえでぃ」ではなく、「ナレディ」と言っているつもりなのか。

 その後少ししてロラートは「なえでぃ」と言うのに飽きたのか、いくらか喃語を発して眠った。


「これは仮説なんだが」

 素体を修復しながら父が言った。父は、ちらっとロラートを見やった。俺もつられてそっちを見る。ロラートはまだ眠っている。

「もしかすると、ロラートに入った魂は、赤子のものだったんじゃないか?」

「赤子?」

 父はうなずく。

「最初ちゃんとしゃべれなかったのも、赤子であったなら説明がつく。それが、我々の会話を聞いていて、お前の名前を覚えた」

 あの屍生者に一番投げかけていた単語は「ロラート」のはずだが。

「立って歩くのがまだ苦手なのも、中身が赤子だからなんじゃないか?」

 俺は修復台の素体の傷口を閉じて、首をかしげた。

「しかし、赤子が立って歩けないのは、まだ身体ができていないからで、あれはもう肉体としては九歳だ。歩ける肉体になってる」

「立って歩く、という感覚が、要は赤子にはまだない、ということなんだろう。それに、ロラートは寝ていたことが多かったわけだから、あの肉体は足腰もあまり強くはないわけだし」

「なるほど」

 俺は素体の右腕を、父は左腕を検査する。

「それにほら、魔力量のこともそうだ」

 続いて脚部の検査。四肢には修復が必要な箇所はなし、と。

「人間の魔力は、生まれたてではまだ低く、年を経るにしたがって蓄積されていくものだ」

 そして、その後の成長過程の環境が、魔臓の発達度や属性相性に影響を与える。つまり、その前の段階の魂だった、という説だ。

「しかし、犬などの動物は、一部を覗いて魔力量が少ないのが通常だし、中には人間の言葉を多少覚えるような動物もいるわけだし」

 確か叔母の飼っていた鳥は人間の言葉であいさつをしていた。

「なんだ、ナレディ。あれが動物であるより、赤子であった方がいいじゃないか」

 父は顔をしかめた。

「悲観的なやつめ」

 俺は器具を片づけながら、ふう、とため息をついた。

「楽観的に見つもって、後でがっかりしたくないんだ」


 数日後のことだった。

 この日はやけにロラートが立ち上がっていて、比較的おとなしくしていた。

「今日は素体の搬入が遅れているな」

 父はそう言いながら、イスでうとうとしていた。

 ロラートは、修復台でつかまり歩きをし、時々台の真ん中を平手で叩いたりしていた。

 俺は、別の台に寄りかかりながら本を読んでいた。もちろん、屍術の本だ。動物の素体を使った実験について何か情報がありそうな本だったが、単純に動物の素体を使った強力な屍術兵の作り方の本だった。

 欲しい情報ではなかったが、これはこれで興味深かったので、そのまま読んでいた。

「ちちえー!」

 その読書の時間が、突然の大声で破られた。

「うう、なんだ、ナレディ。せっかく寝ていたのに」

 父は言った。

「俺じゃない」

 俺は、はっとロラートを見た。父を見ながら、修復台を叩きながら、もう一度言った。

「ちちえー」

 父と俺は顔を見合わせた。やはり、ロラートは徐々に言葉を覚えていっている。

 思い返してみれば、「やめろ」と叱った行動も、徐々にではあるが、頻度が減っている気がする。

 やはり父の言う赤子説が正しいのではないか? たとえその魂が赤子ではなくなんらかの動物のものだったとして、ある程度意思の疎通が可能であれば、「心を持った屍生者」として、育てることが可能なのではないか?


 その日の夜のことだった。

 俺が家に帰ると、家は真っ暗だった。

 灯りをつけると、誰もいなかった。

 母が出て行ったのだ。大多数の家財と召使いを連れて、出て行ってしまった。

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