第27話 完璧な素体
「ナレディ」
ある朝だった。
「母上」
最近では、母は俺のことも父のことも避けがちだった。だから、改まった態度で呼び止められた時には、妙な違和感を覚えた。
「ロラートの具合が良くないのよ」
俺は、いっそ自分に弟がいたことすら、半ば忘れかけていた。
「そうなんだ。じゃあ、邪魔しないようにするよ」
元々俺は乱暴者の兄ではない。弟をいじめたりはしていない。それどころか、顔を合わせることだって最近では稀だった。
「違うのよ、ナレディ。ロラートは……本当に具合が悪いの。顔を見せてあげて。研究の話でもなんでもいいから、いっぱい話をしてあげて」
母のその言葉と、実際に見た弟の様子から、俺はようやく悟った。弟は死にかけていた。
「にいちゃん」
病床の弟は言った。
「にいちゃん、今日は、遊んでくれるの?」
「ん? ああ、少しだけ」
面倒だな、と思った。病気の人間への接し方なんて知らない。そう思いながら弟を眺めていたら、弟はすぐに寝た。
弟が死んだのは、その数日後だった。
「ナレディ、ロラートにお別れの言葉を」
ロラートの遺体は、二日ほど家に安置された。そういう風習だ。死んでから埋葬されるまでの二日間、故人の使っていた部屋のベッドに置かれる。布団の代わりにベッドの上に石造りの棺桶を置き、その中に寝かされる。
そして三日目に、一族の霊廟に移される。
「ナレディ」
ロラートの遺体を眺めていた俺の肩に、父がぽんと手を置いた。「弟の分までしっかり生きるんだぞ」というようなことを言っている。
だが、俺はまったく別のことを考えていた。
俺はこの時完全に屍術にとり憑かれていた。
「父上」
「ん? どうした? ナレディ」
「ロラートの身体をこのまま霊廟で朽ちさせるべきだろうか?」
「ナレディ……」
さすがの父も、俺の意図を悟って困惑していた。俺は表現を変えた。
「ロラートともっと話したり遊んだりすべきだった。俺はまだそれが十分できていない。なのに、あの暗くて寒々しい霊廟に置き捨ててしまうなんて……」
父は、もう一度、俺の肩にぽん、と手を置き直した。
「腐敗防止の魔法だけかけよう。明日の夜まで待って、霊廟から運び出そう」
父は、俺がロラートとの別れを惜しんで言ったのだと信じたようだ。いや、信じていなくても、その建前が必要だった、ということかもしれない。
とにかく、俺と父は、損傷のない素体を手に入れた。
「修復が必要な箇所はあるか?」
夜、工房にて。
俺は、ロラートの内臓を屍術魔法の針のようなもので探りながら答える。
「内臓が通常より小さくて硬いようだけど、特に損傷と呼べるような状態ではないな」
どのみち魂を格納した時に、内臓は元の機能をなくす。すべての臓器は、魔力を収納したり、大気や食物から魔力を摂取するための機能に変わる。
「完璧な素体じゃないか! ……あ、いや」
戸惑っていた父も、結局は研究のことになると、やはり素体としての完全性に気付かないわけにはいかないようだった。
「さて、となると魂だが」
時間は夜中だ。一旦このままにして帰宅しても良かった。むしろ、研究区内をうろつく方が、どう見たって不自然だった。
だが、俺はいてもたってもいられず、魂を探しに出ることにした。
その夜はどうにも魂が見つからなかった。夜に探しに出たことがなかったから知らなかっただけで、魂とは夜には浮遊しないものなのだろうか?
いや、夜遅くまで研究していた屍術師の調査書にも、謎の光の記述は確かあったはずだ。ということは、この夜がたまたまこの辺りに出没していないということなんだろうか?
どれくらい歩いただろうか? 研究区の何人かには、窓からその様子を見られたんじゃないかと思う。弟を失って悲しみのあまり寝られず、徘徊する兄、という解釈で各々納得してもらえただろうか?
あまりに見つからなかったため、居住エリアにまで足を延ばしてしまった。あまりここでうろつきすぎると、母にも見つかってしまう。それはまずい。俺は部屋にこもっていることになっている。
「ナレディ」
上から声をかけられた。通りかかった家の二階だ。どきっとしたが、なんてことはない。エレナだった。
「あれを探してるの? こんな時間まで?」
俺は胸をなでおろし、答えた。
「ちょっと急遽必要になって」
エレナは怪訝そうな顔をした。
「屍術研究者って変わってるよね」
が、それだけで済んだ。
「そこにいるよ」
「えっ⁉」
「そこの木のところ」
それはエレナのいた二階の窓の高さだった。窓と木の間で、俺のいた場所からはよく見えない。
「えっ、まだいる?」
「ちょっと待ってね」
エレナが捕縛網の魔法を使った。エレナにも魂の捕獲は可能だった。そもそも紐よりも網にした方がいい、というアドバイスをしたのはエレナだ。
「この子、弱ってるの?」
エレナが捕まえた魂を網に入れたまま俺の方に飛ばして寄こした。
弱ってる? どういうことだろう。
「少しすると光が消えるんだ」
「それは知ってる」
何度か俺の捕縛の様子を見ていたから、それもそのはずだ。
「光り始めから見てたけど、いつものより光ってなかった気がするの。夜なのに」
夜なのに、というのは、辺りが暗いから光がよく見えるはずなのに、それでも光が弱く見えた、ということだ。
今、手元にある捕縛網は、中が空に見える。ただ、網は球の形に膨らんでいたし、エネルギーの気配は感じられた。
「とにかく、ありがとう。これで進められる」
エレナは呆れた顔で返した。
「早く終わらせて寝た方がいいよ」
工房に戻り、俺はその魂を素体……ロラートの肉体に入れる試みをした。
「ナレディ、その魂は魔力が通常のものより低いようだが、大丈夫か?」
魔力測定器を持った父が言った。
「そんなに低いですか?」
「こっちの人間の平均は超えてる。ただ、いつも扱ってる魂と比べると、数分の一だ」
俺は測定器をのぞき込んだ。父の言う通りだった。
ここで俺は考えた。魔力が少ないと失敗するだろうか? だが、今夜はこれ以上別の魂は見つからない気がする。
「……多すぎるよりはいいかもしれない」
俺は答えた。
「ロラートの身体は、そもそもこれまでの素体より小さい。魔力が入りすぎると素体自体が危ういんじゃないかと」
父はうなずいた。
「確かに。たとえ魔力不足で動かなかったとしても、素体自体が無事なら、別の魂でやり直しがきくしな」
とにかくやってみることにした。
手順はいつもと同じだ。魔力の屍術針を素体の内部に入れ、自身の魔力を注入して、魔臓の辺りにフックを作る。別に魔臓の辺りでなくてもいいんだが、俺はそうしている。
それから魂の両端に魔力のフックを作る。この時には魂はすでに目に見えない状態になっているから、魔力針の感覚でやる。この魂はどうやら通常のものより小さいようだから、少し手間取った。
それを素体に入れ、先に作ったフックに、魂のフックの片方をはめる。そして、反対側のフックに合わせて素体にもう一つフックを作る。大体は膀胱の辺りになるが、この魂は小さかったため、十二指腸の上方くらいの位置になった。
魂が素体に入ると、魂を包んでいた膜のようなものがなくなり、魂が蓄えていた魔力が素体に広がる。この時に、体内に残っていた血液が魔力に置き換わる。魂の核のようなものと、屍術師が作ったフックだけは、その場に残る。おそらくは、貯蔵魔力とは異質なものだからなのだろう。
魔力のフックは、他の魔力が空になると崩れてしまうが、核だけは別だ。崩れずにただ身体から離れる。そして、それを見ることはできない。魔力測定器で確認した時に、ごくわずかな一定量の魔力塊が動いているのが分かる程度だ。
「……よし」
処置を終えて、俺は父を見た。
父は、魔力測定器から視線を上げてうなずいた。
「定着したな。様子を見よう」
しばらくの後、素体は目を開けた。
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