第25話 心と魂

「父上、この書を見てください」

「どうした、ナレディ」

「ここです、ここ」

 その書にはこう書いてあった。


“屍術をかけるよう指示された素体を、工房の修復台に並べて置いておいた。素体の修復を終え、屍術の本術を翌日にかけようと工房を片づけていた時のことだった。

 何かが動く気配がして工房を見回してみた。その日は弟子もすでに帰っており、工房には私一人しかいなかった。道具が落ちたのだろうかと何度か視線を工房内に巡らせると、今度は声のようなものが聞こえた。

 音を追って工房の中央へ向かうと、一体の素体が目を開いていた。この素体はこんな顔をしていただろうか?としばし観察していると、素体はまばたきし、目を動かしてこちらを見た。

 私は叫びをあげて退き、後ろの台にぶつかって、別の素体を落としてしまった。

 目を動かした素体に注意を払いつつ、落とした素体を観察したが、そちらの素体は動かなかった。

「ここは……どこですか?」

 私はさらに驚かされることとなった。

 先ほど目を動かした素体が、しゃべったのだ。

 その素体はそもそも死んでいなかったのだ、と思う人もいるかもしれない。だが、それはありえない。修復した素体はすべて、斬首刑になった罪人だった。その日の修復で、すべての死体の首をつなぎ直して素体としたのだ。

 その素体がまばたきし、目を動かし、言葉を発した。

「今、何が起こっているんですか?」

 素体はさらにしゃべった。

 私は恐怖を感じながらも、答えた。

「ここは、私の工房ですよ。先ほどあなたの身体を修復しました」

 少しの間があって、素体は再びしゃべった。

「ここは、病院なんでしょうか?」

「病院ではないですよ」

 この素体の意識は、元の肉体と同じなのだろうか? 私は思い立って名前を聞いてみた。素体の元の肉体の名前は、受け取った書類に書いてあったはずだ。

「ジェレミー」

 素体は言った。変わった名前だ。そんな名前は聞いたことがない。書類を確認してみたら、この素体の元の名は「タボーハ」と書かれてあった。異なる名前を名乗った、ということになる。

 さらに話してみると、この素体が「自分の過去」と認識しているのは、本来の「タボーハ」氏、つまり罪人とはまったく異なるものであることが判明した。話がかみ合わない点が多々あったが、どうやらこの素体の意識、「ジェレミー」氏は、ごく一般的な商人らしかった。

「身体を動かすことはできますか?」

 ひとしきり彼の話を聞いた後でそう尋ねた。もちろん、通常の屍生者であれば、屍術師が魔力を使って動かさねば指一本動かすことはできない。

 が、ジェレミー氏は起き上がり、修復台の上に座った。

「着るものはありますか?」

 ジェレミー氏は恥じらったように尋ねた。修復対象の素体は全裸だ。

「少々お待ちください」

 私はそう答え、壁にかけてあった予備のローブを持って戻った。

 ジェレミー氏は身体を動かすのに手間取っている様子ではあったが、自力でそのローブを着た。

 その間私は、机の引き出しの奥から魔力量測定器を出した。

 屍生者を動かすには、何らかの魔力が必要なはずだ。それを提供しているのは私ではない。可能性の一つに、弟子が隠れていたずらをしているのではないか、と思い至った。

 測定器を動作させれば、その魔力供給源が見つかるはずだ。

 ところが、その機器が示した場所は、素体そのものだった。それも、考えられないほど多量の魔力が、素体から検出された。

 これは一体どういうことだろうか?

 ジェレミー氏は、その後おぼつかない動きながら台を降りた。私はテーブルにかけるよう促し、そのまま待たせて茶と茶菓子を用意し提供した。

 さらに話を聞く。ジェレミー氏は妻子の心配をしていた。これもタボーハ氏と異なる点だ。タボーハ氏に妻子はいない。なぜなら、タボーハ氏は生まれたばかりの息子を売り、妻を殺害している。タボーハ氏の息子は買われた先でいたぶられ殺された。タボーハ氏はその罪によって投獄され、脱獄と強盗を繰り返し、結果として斬首刑となった。

 一方ジェレミー氏は終始穏やかな話し方で(生前タボーハ氏と話したことはないため、比較はできないが)、

「妻や娘は私がここにいることを知っているのですか?」

 や、

「家族に連絡を取ることはできますか?」

 と尋ねた。

 無論、私にはどうすることもできない。ジェレミー氏の言う妻子がそもそも存在しているのか、しているとして、どう連絡をつけたものか、皆目見当もつかなかった。

 よって、無難にこう答えた。

「明日担当の人に確認してみましょう」

 その最中にも魔力量の測定をしてみたが、変わらず素体から反応があっただけだった。

 私はもう一つの仮説に思い至った。魔術師が別の魔術師をここに転移させたのではないか? タボーハ氏の素体はその際に入れ替わったか、転移時に発生したエネルギー収束によって消滅したかのどちらかではないか、と。

 その場合、このジェレミー氏は素体とは何の関係もない生きた魔術師であり、一般的な魔術師にしても魔力量が高すぎることは否めないが、それにより別の魔術師の不興を買ったために、一時的な健忘と共に見知らぬ場所へと強制転移させられたのではないか。

 いや、それならば、ジェレミー氏が自ら「商人」と名乗ったことと、つじつまが合わない。

「すみませんが、少し診察をさせてください」

 私はジェレミー氏の脈を測り、瞳孔を観察した。

 結論からいうと、ジェレミー氏はひどく新鮮な死体だと言わざるを得なかった。瞳孔の動きは生きた人間と比較して緩慢ではあったが、認められた。が、脈は存在していなかった。

「何か問題がありますか?」

 ジェレミー氏は尋ねた。

「大丈夫ですよ」

 どう説明しようか、と悩んだが、その悩みはそこで終わることとなった。

 ジェレミー氏が突然動かなくなったのである。イスに座って眠りに落ちたのだろうかと思った。脈は元々ないし、判別がつかない。

 が、呼びかけても揺すっても反応はない。また、魔力量測定器で測定してみたところ、先ほどまで確認された莫大な量の魔力は消えていた。”


「ねっ、父上! 心を持った屍生者だよ! それに、ここにも」

 俺は別の手記を開いて見せた。


“某月某日。

 七体の遺体の修復処理を完了。魔力液の準備が整い次第、保管庫に移す段階だったが、その素体の一つに異変が発生。

 端から二つ目の素体の上に、魔力塊のような光が浮いていた。その光は素体に吸い込まれるように消えた。

 素体への影響を確認しようと素体を確認したところ、その素体は目を開き、口を動かした。

 数秒後、素体はそのまま動かなくなり、先ほどの魔力塊と思しき光が素体から現れ、そのまま離れ去った。”


「不思議でしょう? これ、同じ現象じゃないかと思うんだ! それに、これも」

 俺は、今度は自然魔学の論文を出して見せた。


“(中略)このような魔力塊が時折各所で観察される。離れた位置からの計測によると、一般的な魔術師の平均魔力量の数倍程度である。これまでに計測できた魔力塊の最大値は、魔術師の平均魔力量の十倍にも及んだ。

 こうした魔力塊は、肉眼で視認できる期間は極めて短い。発光は徐々に弱まり、やがて不可視状態に遷移する。

 その後もしばらくは計測器により位置と魔力量は計測可能である。

 が、さらにその後はすさまじい速度で移動し、計測可能域を離れる。以前の報告では「消失した」と記述したが、今回の観察の結果、移動速度の速さにより消えたように思われていたと判明した。

 可視状態から不可視状態に遷移するまでの期間はどの魔力塊もおよそ同程度であったが、不可視状態から急速移動状態への遷移期間にはばらつきがあった。”


「これ、ぼくの見解では、同じものだと思うんだ!」

 真剣にこれらの古い書物を見つめる父に、俺は興奮してたたみかけた。

「そして、ぼくの仮説ではこの魔力塊というのは、魂なんだよ! 魂が入ることにより、屍生者に心が宿るんだよ!」

 父は、俺の肩をガッとつかんだ。

「ナレディ、これはすごい発見かもしれない!」

 こうして俺は、父と共にこの研究に没頭するようになった。


 とはいえ、すぐに再現できるようになるものではなかった。

 そんな中で最初に気づいた発見は、この魔力塊というのは、よく目を凝らして見れば、案外よく宙を飛んでいる、というものだった。ただ、先の論文にあったように、可視状態の期間は短かった。見えてから消えるまで数えてみたら、大体二十秒かそこらだった。気づくまでにすでに何秒か経過していただろうから、「およそ三十秒」とした。

 もう一つ気づいた点は、魔力塊がよその屍術工房の壁をすり抜けて入っていくのを見た。二度ほどあったのだが、その工房は修復術の完成度が高いことで有名な屍術師の工房だった。

「もしかしたら、修復をよりしっかりやると、魂が入りやすいのかもしれない」

 推察してみると、それもそのはず、という気がする。この浮遊する魔力塊が魂だとしたら、動ける肉体を探しているかもしれず、損傷の修復された素体が複数体あった場合、より損傷の程度の低いもの、すなわち、修復精度の高いものを選ぶだろう。

「ふむ、なるほど」

「それに、観察をするなら、一度に多数の素体を扱うよりも、毎日一、二体を細かく修復するやり方の方がいいかもしれない。日々観察ができるようになるし、修復対象を減らせば精度も上げられる」

「そうだな。それと、修復術に関しても、ちょっと例の工房と話をしてこよう」

「父上、あの工房の術師と知り合いなの?」

「同期だ。同じ工房で兄弟弟子をしていた」

 研究地区の屍術師たちは、特に競争があるわけではなく、皆極めて仲が良いと言えた。忙しい工房があれば死体を引き取って修復を施したり、逆に有事の際に素体が足りない場合は提供しあったりするほどだった。

 数日後、その工房の術師が父の工房にやってきて、父と俺に修復のコツを教えてくれた。

「修復精度と例の現象に関連がなかったとしても、これは教わって良かったな。効率がかなり上がった」

 父は嬉しそうだったし、俺も毎日堂々と工房で作業ができ、楽しかった。

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