第8話 魔法訓練 午前の部

「おはよう」

「おぅ、おはよう」

 起きてすぐ鏡見たけど、分かりやすく大泣きした後の顔してた。なんか聞かれるかな、聞かれたらめんどくせえな、と思ったけど、このくらいの時間に合流しなかったら朝メシ逃すよなって思って、腹くくって出てきた。

「今日は豆と腸詰めのスープらしいぞ」

 テーベが言った。ナレディの前には空の器があった。どうやら宿の食堂で朝メシを食ってくらしい。

 それと、目がめちゃくちゃ腫れてまだ赤いことについては何も聞かれなかった。

「魔法の訓練は?」

「朝食をとったら、この宿の裏の牧草地でやる」

 ナレディが言った。

「宿の主人に許可も取った。羊の往来にだけ気を付けてくれ、だそうだ」

「おっけー」

「その間俺は街をうろついて、敵の気配がないか常に警戒しておく」

 テーベが言った。

 そういえば。テーベとおれの肉体の素体になったエレナさん、恋人同士だったって話、おれは知ってていいことなのかな? よくよく考えたら、ナレディが勝手にばらした感じじゃね?

 てことはおれは知らないていでいけばいいのか? 完全に今まで通り知らないふり? で、できるのか!? おれに!?

「トモ、バター取ってくれ」

「あい」

 できるわ。余裕だわ。そもそもばれるばれないばらさないの前に、基本的におれも多分テーベも、お互いにあんまり興味ないんだわ。

 いや、エレナさんのことは同情するし、おれなんかが身体使っちゃっててなんかごめんとは思っ……あ、そういえば。乳揉んだ。最初に、思いっきり。なんかごめん度が上がった。

「ハム食うか?」

「食う」

 ハム貰ってすぐ意識がハムに向いた。


「さて、魔法の実践訓練といこうか」

 朝食後。宿の裏手の牧草地にて。裏手、といっても、宿はすでに手のひらに載せられそうなほど小さく見えるくらいまで遠い。

「こ、ここで大丈夫なのか!?」

 ナレディは怪訝そうな顔をする。

「充分離れてるだろ」

「えっ」

 ナレディ、むしろ呆れ顔。

「しょっぱなからそんなに大威力の魔法が出せるつもりでいるのか?」

「ちっ違ぇ~~~!」

「あ?」

「もっもし何かあったら……事故とか‼ こんーーーーなに離れてたら助けを呼ぶのに時間がかかるじゃないか! 心配だ‼」

 あっ、ため息つきやがった。

「もし事故が起きても、よっぽど盛大にこの辺り一帯を吹き飛ばすようなことをしなければ、問題ない。俺も一応修復魔法が使えるからな」

「えっそうなの?」

 修復って回復? おれも怖いから回復魔法から覚えたい。

「本は持ってきたか?」

「ああ」

 おれは本を持ち上げて見せた。

「最初の呪文は覚えたか?」

「…………多分」

「覚えろ。今完璧に。頭の中で二十回唱えろ」

「…………」

 くそー、鬼教官かよ。

 おれは最初の魔法のページを開いた。

 火の魔法。イーニス。最初は火の玉を目の前に浮かせる。

 ……この浮かせる位置が顔に近すぎて眉毛焼いたり、なんなら顔溶けたりしない?

「唱えたか? よし、声に出してみろ。あっ、待て。本はその辺に置いとけ。火の勢いによっては、本に燃え移るからな」

「ひぇっ」

「やってみろ」

 まじかぁ。

「…………」

 お、落ち着け。変につっかえたり言い淀んだら良くないらしい。うっかりかんだら、思いっきり息を吸う。……よし。

 あ、やっぱもっかい。

 しゃがんで本をもう一度開いた。……よし。

「……イー二ス?」

「…………」

 ……ほらやっぱり何も起こら、うお‼

「……できた……」

 目の前、大体三十センチくらい? の距離に、火の玉が浮いている。え? こんなにあっさり? ほんとカタコトで唱えただけなのに?

 ナレディが満足そうにうなずいた。

「で、できたんだけど‼」

「ああ」

「えっそれだけ? いや、マジでできたんだけど⁉」

「そりゃできるだろ。そういうものだ」

 えっなにこの温度差。

「できたんだけど‼」

「できるようにするための本だぞ? これでできなかったらお前によほど才能が無いか、その本がでたらめってことだ」

 みもふたもねぇーーー‼

 あっ、魔法の火、消えた。勝手に消えるのか。

「それよりモモ、次はうつむかずに、杖の上の部分に息をかけるつもりで呪文を唱えろ。その方が魔法が安定する」

「お、おお」

 ん? もう一回?

「早くやれ」

「…………」

 こいつまじぞんざいなんだよなぁ。まあやるけど。

「イーニス」

 言われた通り、杖の上の部分を見ながらやってみた。

 途中、声を上げそうになった。杖の上に光る線が、おれが呪文を唱えるのに合わせて浮かび上がった。なんだ⁉って叫びたかったけど言い切った。おれえらい。

 文字のようなものが描かれて、おれが黙って数秒後、その文字を囲むようにぐるりと円が描かれた。

 しばらくすると、光る魔法陣が消えて、さっきと同じような火の玉が浮かんだ。

「お、おおお……」

 杖を動かしてみた。

「あ、別に杖についてくるわけじゃないんだな」

 火の玉は発動した場所に浮いたまま、灯っている。

「これはただ火を出すだけの魔法だからな。杖に追従させるには、別の呪文がいる」

「なるほど」

「魔法が安定すると言ったのは、魔法陣を描く下位精霊が杖を足場として利用できるようになるからだ。足場に乗って描く方が、空中に浮いた状態で描くよりも、魔力の消耗を抑えられて線がきれいになる。きれいな線の魔法陣の方が、発動まで早く、質も上がる」

「ほお~」

「よし、じゃああと十回くらいやってみろ」

「十回⁉」

「本にも書いてあっただろ? 反復練習が大事だ。身体で覚えるんだ」

 いや、言いたいことは分かるけどさ。身体で覚えるって表現、なんかエロくね? おれが童貞脳なだけ?

「ただ、気分が悪くなったらすぐにやめて俺に言え。魔力を一気に使いすぎると、死ぬこともある」

「えっ」

 じゃあ最初からやりたくない!

「ま、この基礎魔法なら三千回はやらないと魔力切れにはならなそうだがな。そもそもお前は魔力量が多い。五千回くらいかもな」

「お、おお……ならいいけど……」

 本当にいいのか? 魔法について分からな過ぎて判断ができん。

 で、結論から言って、十回やって十回ともできた。なんかここまであっさりできてしまうと、最初の感動が薄れるというか、ナレディの反応ももっともだという気になってきたわ。

「じゃあ次だ」

「次」

「火を前方に飛ばせ」

「えっ」

「入門書の二つ目の呪文が確かそれだろ?」

 こいつ、『はじめての魔法入門』、もしかして全部読んで暗記してるのか?

「やってみろ」

 おれは地面に置いた本を拾って、その呪文を読み返す。

「ええと、イー……」

 あっぶね‼ 今うっかり声に出して読み上げるとこだったわ‼

 てか絶対うっかり同じことした奴いると思う‼ むしろうっかり読み切っちゃう奴いると思う‼ 最初が火の魔法なのって、それで本燃やしちゃって買い直すケースが多いからじゃね? 売り上げのためなんじゃね?

「おい、早くやってみろ」

 はい、また煽られた~~~。

 こっちは一人で勝手にヒヤリハットしてたっつーの。

 で、呪文は、と。

 おれは本を閉じて立ち上がり、杖の先に向かって唱えた。

「イーニス、ヴォラティリス」

 光る魔法陣が杖の先に描かれ、消えると同時に火の玉が現れた。ここまではさっきと同じ。火の玉はゆらゆらと前方……ではなく、上に飛んでった。飛んでった、というより、ゆっくり上昇していった。風船とかそんな感じの動きで。

「……あれ?」

「うむ」

 ナレディはうなずいた。

「え? いや、なんか天に昇ってったんだけど」

 なんで納得した感じでうなずいてんの?

「この呪文は、まだ初歩のものだからな。飛んでいく方向が指定できない」

「えっ」

 それ、下手したらおれに向かってきた可能性もあるんじゃね?

「もう一回やってみろ。多分違う方向に飛ぶぞ」

「えっ」

 怖いんだけど怖いんだけど怖いんだけど!

「顔がこわばってるぞ。恐れるな。大丈夫だ」

 何を根拠に言ってるんだ? 火の玉のスピードが遅いから? それで言うと、スピードを指定することもできない呪文なんじゃないのか? むしろこいつの方向に飛ばせねえのかな、火の玉。

「……イーニス、ヴォラティリス」

 さっきと同じ、魔法陣、火の玉。そして火の玉が動き出した。右斜め前方。

 くそ、ナレディの方行けよ。

「じゃあ次は方向を指定してやってみろ。三つ目の呪文がそれだったはずだ」

「…………」

 本当によく覚えてやがる。

 方向の指定は、さっきの呪文の最後に「プロッド」を付ける。……てか、どんどん後ろに足してってるだけだけど、もしかして呪文てずっとそんな感じなの? 覚える量がひたすら増える、てか、長くなればなるほど単語の順番で混乱しそうだな。

 とりあえずナレディが煽りたそうな顔でこっち見てるから、やってみることにする。

「イーニス、ヴォラティリス、プロッド」

 魔法陣、火の玉。そこまでは同じ。ただ今度は動きが大きく違った。火の玉が凄まじい速さで前方に吹っ飛んで、すぐ見えなくなった。

「え…………」

 こっっっっっわ‼ え、何急に攻撃魔法らしくなってんの?

「上出来だな」

 ナレディが満足げにうなずいた。上出来、じゃねーわ! あんなん人の頭にでも当たったら、頭部吹っ飛ぶわ‼ こわぁぁぁぁ‼

 ああああ、いたずらでナレディ狙ってやろうかちょっと考えたけど、やめといて良かったあぁぁぁぁ‼

「じゃあもう一回……」

「ちょ! ちょっと! 待って!」

 思わずストップかけてしまった。

「一回休憩!」

「どうした? 気分が悪くなったか? そんなはずはないな。お前の魔力はまだまだ大量に残っているはずだ」

「魔力に関係なく気分悪くなるこたぁあるわ‼ 人の気持ちってもんを考えろっつーの‼」

 ナレディがちょっと驚いた顔をした。

「そうか、お前は気持ち的に気分が悪いのか。魔力と関係なく」

「えっ、あ、はい」

 説明されるとちょっとなんか気まずいんだけど、まぁ、はい。

「すまんな。俺は人間の気持ちというものを察するのが苦手だ」

 そうなのか……。いや、そうなんだろうなと思ってはいたけど、そうか、自覚してたのか……。

「はっきり言ってもらって助かる。気分が悪くなくなったら訓練を再開する」

「あ…………うん」

 ぶっちゃけ悪い奴ではない。「察してくれよ」とかいう甘えた気持ちがあったわ、おれも。はっきり言った方が手っ取り早いんだな。

「あ、あのさ……」

「なんだ?」

「訓練の続き、明日じゃだめ? 午後からとかでもいんだけど」

「そんなに気分が悪いのか?」

「いや、あの、おれの方もごめんなさい。まさか本当にできると思ってなかったから、本、ちゃんと読んでない……。もうちょっとちゃんと読んでから再開したい……」

 さすがに怒られるかな、と思ったら、ナレディはむすっとした顔にはなったけど、怒りはしなかった。

「戻って休憩して、昼食を摂ったら本を読むところから再開しよう。分からないところは俺が解説する。それでいいか?」

「はい!」

 メシ‼

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