第7話 かんたん魔法入門

“はじめに


 みなさんの中には、「魔法はこわい」「呪文を覚えられない」「正しく呪文を唱えられる自信がない」、そんな魔法への苦手意識を持っている方がいるかもしれません。

 でも大丈夫! 本書では、かんたんで安全な魔法をまずは紹介していきます。かんたんで何の変哲もない魔法ですが、徹底的に訓練することで、「自分にはちゃんと思い描いた通りの魔法が使えるんだ」という自信がつきます。

 基礎をしっかりと積み上げることで、今後むずかしい魔法に出会った時も、焦らずしっかり身につける力がつくのです。

 もしあなたがまだ「魔法を使うのがこわい」と思っているなら、本書を手に取ったのは大正解です! この本のページをめくるごとに、それが体験できるはず。”


「…………」

 すごく……すごく入門書だ……。すごく入門書だし、ナレディの百倍親身じゃねーか。

 ああ、著者さん、おれ、できる気がしてきたよ……! がんばるよ、おれ!

 で、ところでなんだけど。この世界の文字はおれにも読めた。しゃべり言葉と同じで、きっと素体の知識なんだろう。ここまでくると、素体の記憶がないのが変な気がする。

 いや、あったらあったで困ると思うけど。なんていうか、おれの自我に影響する気がする。

 むしろ突き詰めて考えると、……いや、何も突き詰まってないんだけど、おれがおれだと思ってるこの自意識は本当におれなのだろうか? そもそもおれは……。

 いや、待ておれ。この辺でやめとけ。なんかもう発狂しそうになる。

 続き続き、っと。


“はじめる前の注意点


・魔法を使うときは、周りになにもない広い場所で行いましょう。特に、火の魔法を使うときは可燃物に注意してください。

・呪文をしっかり覚えるまでは、声に出さずに読みましょう。下位精霊はいつもあなたの周りにいて、魔法陣を描きたくてうずうずしています。

・呪文を声に出してうっかり言い間違いをしてしまった場合や、ど忘れして途中で止まってしまった場合は、すぐに大きく息を吸いましょう。空気と一緒に吐き出した魔力を回収できます。魔力がなければ下位精霊は魔法陣を描くことができません。魔法のうっかり発動を阻止できます。”


 ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ‼

 まぁでもあれか。キャンセルできるって分かったのは良かった。

 その後は簡単な魔法が羅列されてるくらいか。発音の注意とかも書いてある。火の魔法こえぇなって思うけど、発音のブレが出にくくて失敗しにくいって書いてあった。いや~こえぇぇ。

 てか、今おれ宿の部屋に一人なんだけどさ。今日はそれぞれ一人部屋っぽい。

 で、暇なんだけどさ。いや、この本読めってやつだろ? 分かってる。でもさ、まだ昼過ぎなわけよ。夕飯までずっと一人で読んでろって、かなりだるくね?

 あれなのかな? やっぱ呪文は全部暗記しろとかそういうことなのかな? でもさ、今日読むだけで全部暗記しろって無理じゃね? いや、無理に覚えようとしてそれぞれの呪文百回くらいずつ頭の中で唱えたとするじゃん? そうすると、頭の中でごっちゃにならね? そんでごっちゃになったまま唱えてえらいことになるかもしれないじゃん?

 つまり、実践を兼ねてゆっくり一つずつ覚えていった方がいいんじゃないかなーと。

 要するにおれは今一人で本読んでるだけってのに飽きてきて、かつ全部一気に暗記するほど気合いが入ってないわけである。

 二人何してんのかなー? 寝てるのか? 夕食くらいになったら呼びにくるのかな? それとも遅めの昼食で、しかもガッツリ系だったから、夜は抜き、とか言わないよな?

 それならおれが自分で貰った報酬から出して食いに行くから、報酬くれよ。移動だけの日は報酬出ないのかな? 一応昨日おれスライム刺して撤退させたんだけど。

「おい、モモ」

 気が付いたらドアの方からノック音と声が聞こえた。なんか部屋暗い。

 どうやらおれは暇だな~と思いながら寝ていたらしい。なんかまだ眠い。

「モモ。いるのか?」

「うあ~い」

 眠い。ベッドに腰掛けてそのまま上半身だけ後ろに倒して寝てた。腰がいてぇ。

「夕食だ。行くぞ」

 メ、メシ……! 待って……! 腰が……!


「スープか……」

 夕食はナレディが選んだ。

「嫌なら食わなくていい」

「食うか食わないかで言ったら、食う」

「ふん」

 そんなにガッツリメシが嫌なのか。

「あれ? テーベは?」

「あいつは自腹で肉食いに行った」

「お、おぉ……」

 報酬貰ったらおれもそうしよう。

「気になるのか?」

「えっ?」

 ナレディが意味ありげに聞く。この聞き方、この目つき。どういう意味か分かったぞ。

「……あのさ、おれ中身男だからさ」

「元はそうだが、今は女だ。それに、たまにいるだろう、同性の方が好きという人間も。向こうの世界ではないのか?」

「いるよ、そういう人。でもおれは女が好きな男なんで」

 どっちとも関係持ったことなかったけどね‼

「ま、せっかく新たな生を得たんだ。昔のことは気にしすぎずに、謳歌したらいいと思うぞ」

 おれは首をひねった。

「もしかして、お前、おれとテーベをくっつけようとしてる?」

 なぜだ。それでこいつに何のメリットが? むしろパーティ内にそういうカップルとかできちゃったら、やりにくくね?

「そうなったらいいなと思っているだけだ。あいつのためにな」

 はっ! もしかしてナレディはテーベが好きなのか? でもテーベにはそんな気はなくて、ナレディには望みはない。でも、ずっと一緒に冒険をしてると、どうしても期待してしまうから、だったらいっそ他の女とくっついてしまえ、その方が吹っ切れるから、的な?

「気づいているか?」

「えっ」

 君の彼への気持ちかい? き、気づいたかも。

「テーベとエレナは恋人同士だった」

 違ってた。

「えっ……」

 何にも気づいてなかった。というか。

「そ、それなら余計だめじゃね?」

 てか、おれがこうして生きて……ると言えるかは分からんけど、全然違う見た目になって、中身もあほみたいな奴が入ってて、それで一緒に旅するなんて、辛くないか?

「どちらか一方が倒れても、屍生術で蘇り、必ず共に目的を達成しよう」

 あ……。そうか、そういうことか。

「そうあいつらはいつも言っていてな。まじめすぎるんだ、あいつら」

「…………」

「せっかく生き残ったんだから、多少は幸せな気持ちで生きて欲しいだろ。それでも目的は変わらないんだがな」

「……ナレディ、お前、案外いい奴だな」

 なんだかすごく見直したぞ。

「そうか? じゃあ今夜はテーベをうまいこと誘惑してだな」

「いや、それとこれとは話が別だ」


 スープ食って部屋に戻ってきた。スープの味が薄くて食った気がしない。

 それに、やっぱあの話。

 もちろん、恋人でもなんでもないただのパーティメンバーだったにしても、仲間だったんだから、失って悲しいだろうし、おれに対しても複雑な心境だよな。今までちゃんと考えたことなかったけど。

 いや、考える余裕も何もなかったんだけどね。

「あーーー……」

 分かんねぇけど、ここでおれがどういう言っても何考えても、現状は変わらないんだよな。今まで通り、ナレディの指示に従ってなんとなく魔王討伐を目指すだけだわ。

 そもそもなんで魔王倒そうとしてるんだろ。エレナさんを殺されたのは、魔王を狙って返り討ちにされたから、なんだろ? その時にはすでにここのパーティ全員が「そうだ、魔王を倒そう」ってなった後。ってことは、もっと前に倒そうと思うきっかけってやつが、あったんじゃないのか?

 国境の街から山越えたり街道の小さい村や町を抜けてきたけど、どこも特に虐げられてるわけでもなさそうで、いたって平和な感じだった。

 追われてるはずのおれらも、呑気に歩いてたもんな。

 圧政を敷いてる的な問題ではないのかな? 魔王を倒してその座を奪うって感じの奴らじゃない、と思うんだよな。……多分。分かんね。まだ知り合って大して時間も経ってねぇし。

「はあ~」

 ベッドに転がった。

 全然脈絡ないけど、ふと実家のこと思い出した。ここの宿の天井が実家の天井に似てるとかそういうことでもない。ただ急に思い出したんだ。

 いや、違うな。こっちで目覚めてからずっと、心に引っかかり続けてたことだ。それを、どうにか考えないようにしてただけ。今夜思いがけず考える余裕ができちゃったんだ。時間的にも、体力的にも。

 どうしてるんだろうな、うちの親。てか、知ってるのかな、おれのこと。おれが、睡眠時無呼吸症候群で死んだこと。

 おれ、一人暮らしだったし、実家にも元々あんまり連絡してなかったし。日頃から毎日連絡取りあうような相手もいなかったし。

 会社は。無断欠勤だと思っておれに電話とかしてみただろうけど。でも、「出ねえな」くらいで終わるんじゃないか?

「…………」

 まだ誰にも心配されてないのかな……。心配、できたらやっぱ、あんまりかけたくはないけど、気づかれずにいるのも悲しいな。そもそもおれの巨体がそのまま腐りでもしたら、体積のこと考えると、後処理の人大変じゃね……?

 い、いや、それについては考えるのはやめよう……。気になるけども。

 それもだけど、おれって一応一人っ子なんだよな。あーあ、ほんと、申し訳ないよなぁ。あ~……。

 今更すげぇ涙が出てきた。おれ、大した人生送ってきてないけどさ、やっぱできたら戻りたいよ。だって、こんなおれにだっているんだからな、家族とか、友だちとか。恋人は……いなかったけど。

 次の休みに行こうとか友だちと言ってた場所もあったし、今度一緒にやろうって言ってたゲームもあったし、正月にはたまには実家帰ろうかなとか思って、航空券の検索もしたりしてたんだよ。

 コンビニの新作スイーツも食べてないし、行きつけのラーメン屋の新メニューも試してない。もっと言うと、家の散らかり方は人としてやばいし、恥ずかしいデータもそのままだし。

「…………」

 そういうしょーもないガラクタの処理だけしか残してない。言いたいことも伝えられないんだな。急に死ぬってこういうことなんだ。

 でも今のおれにはどうしようもない。なんでおれなんだよって思うけど、自業自得とも思える。何年も無視してたからな、健康診断の結果。

 せめてこっちでは悔いのないように生きよう、って思うべきなのかな。まだそこまで割り切れねえわ。

 それからずっと、親の顔とか、住み慣れた1LDKの家とかがちらついて、ずっと涙が止まらなかった。思考もまとまらないまま、そのまま泣きつかれて寝た。

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