チコの手紙

伴美砂都

チコの手紙

 すぐ近くに立っているのがチコだと気付いたのは、地元へ向かう電車がもう駅に滑り込もうというときだった。ずっと、大きな声で話している女の人がいるなあ、とは思っていた。だからさあ、先週行ったの、占い師のところ、そう、だって占い師がそう言うからさあ、ねえ、聞いてる?

 高校を卒業して県外に進学してから、実家に帰るのは久しぶりだった。秋のはじめで、大学はまだ夏休みだ。久しぶりに乗ったローカル線は、乗客がすくない時間帯のせいか殺伐として小汚く見えた。

 私より少し先に電車を降りたその人は、ホームのベンチに荷物を一度ドサッと置いた。色あせた木のベンチにそぐわない、濃いピンク色の派手なかばん。キラキラしたケースのスマホを耳に当てたままで、露出の多いドレスのようなワンピースを着ている。そう、ねえ、ほんっとウザい、同伴もアフターも、してるのに。

 切符を探すふりをしながらそっとそちらを見て、やはりチコだと確信した。メイクはずいぶん濃くなっていたが色白の丸顔と小さな鼻、ぱっちりした目はあのころと変わっていなかった。



 チコと手紙をやり取りしていたのは中学一年生のときだ。チコは千華子チカコで、私は知佳子チカコ。同じ名前だということを、たぶんクラスのほとんどの子は知らなかった。チコはチコと呼ばれていたし、私は原田さんと苗字で呼ばれるか、呼ばれないかのどちらかだった。

 マンモス校で一学年が十クラスもあった。クラスに一人か二人はボンタンとよばれる改造ズボンを履いてくる男の子がいるような、女の子の半分は短いスカートを履いてこっそりマスカラを塗ってくるような、そんな中学校だった。

 入学式のあとではまだみんなスカートが長かった。ホームルームの委員会決めのとき、私は保健委員に手をあげた。小学校のとき「すぐ泣く」という理由で嫌われていた私はよく保健室に行っていた。同じクラスには同じ小学校だった子も何人かいたが、みんな知らない人のような顔をしていた。

 保健委員は人気がなかった。もうひとりだけ手をあげたのがチコだった。チコとは番号順が前後だった。四年生のときだけ同じクラスだったが、ほとんど話したことはなかった。

 チコはぱっと振り返って、あー、知佳子ちゃんが一緒かあ、よかったあー、と言って笑った。チコはかわいい顔をしていた。私は心からほっとして、すごく嬉しかった。


 チコから初めて手紙をもらったのは、そのすぐあとだった。バッドバツ丸の絵柄があしらわれたメモ用紙で、内容は、同じ保健委員でよろしくね、とか、担任の先生ちょっときびしそう、とか、そんな他愛ない内容。ドキドキしながら家に持って帰り、すぐに返事を書いた。家には「りぼん」のふろくか、母の持っている古くさい柄のレターセットしかなかった。必死で探して、いちばんましに見えた犬の柄の便箋に、チコへの手紙を書いた。


 緊張すると爪を噛んだり身体のあちこちを触ったりしてしまう癖は昔からだった。中学ではうまくやろうと思っていたが、五月にはもう、松下くんをはじめとするクラスの男の子たち数人が、原田だろ、こうやってやるのがきもいよな、と、私が爪の横の皮を噛んだり、制服の襟もとから手を入れて背中を掻いたり、あとは、眼鏡の下で目やにを取る仕草をまねているのを見てしまった。顔に水をつけるのが苦手で、朝、顔を洗って来ることができなかったのだ。プールもおよげなかった。

 塾も習い事も行っていなかった私には、小学校も教室がすべてだった。一度も同じクラスになったことのない子が、私が五年生のとき給食がなかなか食べられなくてえんえん泣いたのをどうしてか知っていたり、違う小学校だった子同士がすでに「塾の友達」であったりするということを、なにかのときにそれらを知るまで私は知らなかった。そして知ったときにはもう、小学校のときと同じ理由で私は嫌われていたし、クラスの子たちはみんな、私以外のだれかと友達だった。


 五月には部活動決めもあった。生徒数が多いからか、体育館でそれぞれ希望の部活の名前が書かれた紙を持った先生の前に並ぶという雑なシステムだった。ざわざわしていやだった。私は合唱部の列に並んだ。同じ列にチコもいた。チコはもっと運動部や派手な部活に入るのかと思っていた。チコはひょっと身体をこちらへ向けて、また一緒だねー、と言って笑った。

 翌日、私の靴箱のなかに一通の手紙があった。「死ね。合唱部に入るな。」と書かれたそれを持って私は職員室へ行った。職員室の前の廊下で話しているうちに興奮してきてしまい、わ、わたし合唱部にはいっ、いっ、いっ、と泣き出してしまった私の声が思った以上に大きかったのか、私が被害者のはずなのに先生は困った顔をして、わかった、もうわかったから、と繰り返した。

 ふと見ると向こうのほうを通る生徒たちはやじうまのような顔でこちらを見たり、少し笑ったりしながら通り過ぎていき、涙を拭うために眼鏡を外すとよく見えなくなるのだった。教室に戻るとどこからか、なんかすごいよね、という声が聞こえた。


 結局、私もチコも合唱部に入った。最初の部活の時間、順番に自己紹介をした。チコの番のとき先輩たちは、え、かわいい~、と小さな声で言い、私のときは、なにも言わなかった。

 クラスの何人かとは仲良くなれそうだと思ったこともあったがなれなかった。一度チコと、チコとよく一緒にいたみゆきちゃん、さやかちゃんと、四人で話した。三人とも華やかだから、私はうれしかった。みゆきちゃんが、えっ、原田さんもチカコちゃんっていうんだね、チコとかぶっちゃうから、呼び方、チカコ2でいい?と言い、私が少し黙っていると、あっ、うそだよ、ごめんねごめんね、泣かないでね、と言われたので、いやな気持ちになった。そんなことばかりだった。


 チコの手紙に、私はいつも一生懸命返事を書いた。「1組のリョウタ、いつもかっこつけてて、きもいー。」とあれば、「そうなんだね、私はリョウタ君とはしゃべったことないけど、そんな感じなんだねー!」と書き、「っていうか教室暑すぎ~はやく夏休みになれ→☆」と書かれていれば、「そうだね☆エアコン欲しいよね。早く夏休みになってほしいね→!」と返した。私の書く矢印の「のばすぼう」は、チコが書くようなのびやかな矢印にはどんなに頑張ってもならなかった。チコの手紙は私が書いた内容に関係ない、いつも別の話題ばかり書いた手紙だった。

 それでも、チコの手紙は続いた。便箋はそのときどきによってバッドバツ丸であったり、キティちゃんであったり、ミッキーマウスであったりした。どれもかわいかった。週に一度は、自分の席で下を向いてなにか読むふりをしている私のところへ来て、はいこれ、と渡してくれた。

 そのときちょうど目線の高さに来るチコの太腿は、きれいに毛が剃られてつるんとしていて白かった。体育の時間には体育座りをしながらだいたいの子は膝に残ったムダ毛を抜いていた。毛を剃ったことのない自分の足が恥ずかしくて、できるだけ隠しながら座った。


 二年生になるとチコとクラスが離れ、手紙も途切れた。チコとは廊下や運動場でときどきすれ違うだけになった。リョウタ君とチコが付き合ったのを、クラスの子が近くで噂していたのだけで聞いた。二人がすぐ別れたということも。

 チコはそのうち部活にも来なくなった。中学は吹奏楽部が強く、二つある音楽室のうちの狭くて古いほうが合唱部に割り当てられていた。合唱曲のほかに流行りの歌を歌うこともあったが、そのほとんどを私は知らなかった。私は歌もとりたててうまくならず、先輩とも後輩とも同級生ともとくに仲良くはなれないまま、ギシギシ鳴る床の上で知らない歌ばかりを歌い、真面目に部活に行き続けた。合唱部は弱いまま、三年生の夏、市大会の予選で負けて引退した。



 フェンスの向こうでパチンコ屋のネオンが光った。スマホを乱暴にかばんに放り込んだチコの顔色は心なしかくすみ、目もとが疲れているように見えた。

 ふいに、どす黒いよろこびが私の胸のうちに広がった。高校、大学と進むうち、中学で私を嫌いばかにした子たちのことを、見返してやるのだと思うようになった。私のことをきもいと真顔で言った松下くんに、眼鏡をコンタクトに変え、おしゃれも頑張るようになった私の姿を見せてやりたい。もう顔も洗えるようになった。原田さん、がり勉だもんねと言って笑ったさやかちゃんに、大学まで進み充実した生活を送っている私の姿を見せてやりたい。大学で私は友達にチカちゃんと呼ばれ、もう、チカコ2などではない。チコだって、チコだって本当は私のことをばかにしていた。中一のあの日、「死ね。合唱部に入るな。」と書かれたあの手紙、あの字が、チコの手紙と同じ字だったことを、私はずっと知っていた。死ね。と書いたのと同じバッドバツ丸の便箋で、同じ右上がりのかろやかな字で、私に手紙を書き続けていたチコ。私が気付かずにいるとでも、思っていたのだろうか?チコ、ざまあみろ。チコ、私は、あなたより幸せになったんだ。

 そう思った次の瞬間チコはこちらを見もせずに立ち上がりハイヒールを鳴らして駅の階段をのぼって行った。それだけだった。チコの細い脚も、薄手のストールから出た肩も、つるんとして白かった。あのころ制服のスカートから覗くチコの脚がつるんとしていたことを思い出した。チコは手紙のことどころか、私のこと自体もう忘れているのだとわかった。そしてきっと、チコと同じように、松下くんもみゆきちゃんもさやかちゃんもほかのだれもみな、私のことを忘れている。そのことに気付いた。

 電車が走り去り、風が吹いた。コンタクトが外れそうになって瞬きをした。リリリ、リリリリ、と虫の声がした。


 ふいに、四年生のとき、クラスのマキちゃんという女の子の靴箱や机に突然、ばか、死ね、という手紙が入れられるようになったことを思い出した。何度も学級会が開かれたが、手紙はやまなかった。最終的に解決されたのかどうかは、知らない。学年がかわって私はマキちゃんともべつのクラスになった。

 マキちゃんに届いた手紙はどんな柄の便箋だっただろう。きっとそのこともチコはもう忘れている。階段の上にも向かいのホームにも、もうチコの姿はない。瞬いていたネオンが一度消え、ふっと辺りが暗くなった。

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