遠い未来とすぐ先の未来
「じゃあ、どうしてアネモイ様は今なにもしていないんですか?」
「私の話を聞いていなかったのか?私がこの世界でやるべきことはすべてやったんだ。もう私がやることなど何も・・・」
「あるでしょ」
「え?」
彼女の思わぬ返しに、私は言葉を失った。だがすぐに冷静になって考えた。いや、ない。あるはずがない。私は人間に魔法と知恵という与えるべきものをすべて与えた。人間たちはそれをうまく使いこなしてさえいれば、世界がこのような事態に陥ることはなかったんだ。すべて人間のせいなんだ・・・。
「あるはずがないだろ。私は神なんだぞ。私の理想とする世界を実現するのは、世界の住民であるお前たちでなければならないんだ」
「じゃあ、あなたの理想とする世界像っていったい何?」
「それは・・・」
セレナの問いに対して、私は答えをすぐに出すことができなかった。言われてみれば、理想理想と言いながら、明確にどのような世界にしたいのか考えたことがなかった。そもそもグラント様の言う”世界の完成”とはどのようなものなのだろうか。何を成し遂げれば完成とみられるのか、思えば分からないことばかりだ。
「あのね、私思うんだけど、あなたの言う理想とか他にも幸せとかそういうのって全部結果論だと思うの。長い期間をかけて積み上げて完成させたもの、その完成形によってそれが理想なのかそうじゃないのかが決まってくるんじゃないかな」
セレナの言葉に私は黙って耳を傾けていた。いつの間にか彼女の言葉によって私の心は大きく揺れ動いていた。
「あなたはやるべきことはすべてやったと言ったけど、あなたは神様として”与える”ことをしただけで、あなたが”やるべきこと”は何もやってない。あなたがやっていることは単なる人任せ。神様という自分の立場を利用して他人にすべてを任せているだけの傍観者。そのくせ、失敗した責任はすべて私たちに押し付ける。あなたは気づいていないかもしれないけど、あなたがやっていることはあなたが憎む領主と何も変わらないんだよ。世界のために何もやっていないあなたに、人間が責められる筋合いも絶望される筋合いもないと思うんだけどな」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。今までやったと思っていたことが、彼女の言う通りやった”つもり”だったことを思い知らされた。そう考えると今まで私が正しいと思っていた行為が急に恥ずかしくなってきた。確かに私は神という立場を利用して、人間たちにすべて任せて、最終的に世界を成長させなかったのを人間のせいにしてしまった。最低だ。そもそも私が思い描いた理想図を伝えてすらいないのに、他人任せだった世界が私の理想通りに動くはずもない。元々、そんな図など存在すらしていないが。私はいったいどうすればいいのだ。私が頭を抱えていると、セレナが再び口を開いた。
「難しく考えすぎじゃない?簡単でいいんだよ」
「簡単?」
「そう。アネモイ様が・・・」
その時、突然集落のほうから大きな爆発音が響いた。あまりの突然の出来事に私たちは呆然していたが、セレナはすぐに我に返りすぐさま爆発のほうへと向かった。私も彼女を追うようにすぐに集落へと向かった。集落に戻るとそこには独立国家の者たちと、鎧を着た兵士数十人がにらみ合っていた。どうやらこの爆発は、領主に従う国の兵士によって起きたもののようだ。
「よく聞け、独立国家の民ども。われらが領主は貴様ら迷い人をを我が国の領民として迎えてくださることになった。領主様のご厚意におとなしく従ってもらおう。従わぬ場合は、女子供といえど命の保証はないと思え」
「何がご厚意だ。お前たちの領主は支配の領土を広めるために俺たちを利用するつもりだろ。誰がそう易々と従う者か」
「今のはわれらが領主様への侮辱と受け取ってもいいか?我らにとって領主様は神に等しいお方。神に抗う反逆者として、今ここに神罰を下す」
「上等だ、みんなやっちまえ!」
その言葉が引き金となり、独立国家と国の兵士との戦争が始まった。独立国家の男たちは相当頭に血が上っているようで、近くに女子供がいるにもかかわらず冷静な判断ができなくなっていた。集落の端では大人が起こした戦争のせいで、すっかり怯えてしまっている子供たちの泣き声ばかりが響いていた。
「みんな、やめて!」
セレナは必死に戦争を止めようとしたが、大人たちは聞く耳を持たない。それでもセレナは必死に声をかけた。誰にも届かなくても、戦争を止める力がないと分かっていても、セレナは自分ができることを全力でやろうとしている。結果ばかりを求めて、やるべきことをやったつもりでいた私にとってその光景はとても眩しく見えた。
「アネモイ様、お願い皆を止めて。アネモイ様ならできるでしょ」
「いや、しかし・・・」
「もう、まだ自分が神だからって理由で何もしないでいるの?さっきも言ったけど、あなたの言う理想なんてただの結果でしかないんだよ。ここでこうやれば未来はこうなるっていう、約束された未来なんてあるはずないじゃない。だったら、そんな先の未来じゃなく数時間先の未来のために今できることを全力でやればいいでしょ」
「数時間先の未来・・・」
私にとって未来とは最終的なものとばかり思っていた。思えば、そんな先の未来のことなど誰にもわかるはずもない。未来を道と例えるなら、その道には大きな石という障害が転がっているかもしれなし、雨によって地面がぬかるみ、進みにくくなることだってある。時には休息のために寄り道をしたり、気分転換のために大きな回り道をすることだってあるかもしれない。最終的には最初の目的地とは別の場所にたどり着く可能性だって十分にあり得る。先のことばかりを見つめ、足元を気にも留めていなかった私が道に迷うのは、もはや当然のことだった。
「私にだってアネモイ様のように、最終的に”いい人生だった”で終える理想はあるにはあるけど、そこにたどり着くためにはどうすればいいかなんて馬鹿な私には分かんないよ。人生には人が生きる時間の数だけの分岐点があるんだよ。だったら、その無限にある分岐点にたどり着くたびに一度立ち止まって、間違っていれば戻ればいいし、休みたかったら少し遠回りをすればいいし、頑張れるならもう少し先まで進んだりすればいいんじゃないかな」
いつの間にか彼女は穏やかな表情で私に語り掛けていた。もうすでに私は、彼女のことを人間としては見れなくなっていた。すべてを否定してきた私の心を洗い流してくれる女神のようだと、そう思えてきた。いつの間にか私の心を覆ていた黒い何かは消えてしまっていた。
「そして私たちは今、その分岐点にいる。この戦争を止めるのか、見て見ぬふりをするのか。この選択がもしかしたら人生を悪い方向へと導いていくことになるかもしれない。だけどそれはあくまで可能性の話。実際にどうなるのかは誰にもわからない。だったら私はこの戦争を止める。数時間先の未来でみんなが笑えるように。だからお願い、私に力を貸してください」
彼女は深々と頭を下げた。おそらく私と違ってプライドという心の蓋がないのだろう。こんな状況でも彼女はみんなと笑える未来を選択した。自分のことよりも他人を優先し、他人のためならどんな姿であっても相手に見せることができる。なんだ、神の立場を利用して見守るだけだった私なんかより、彼女の方がよっぽど美しいじゃないか。この美しさに応えられぬようなら、神としてではなく、心を持つ者として一生癒えぬ傷を負ってしまうだろう。まさか人間に導かれる日が来ようとはな、本当に未来までの道のりにはどんな障害があるか分かったものではないな。
私は、黙ってセレナの肩をたたくと真っすぐに戦争の方へと歩き出した。もう迷いはしない、未来のためではなく数時間先の自分が後悔しないために。
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