☆19 二人の青春は甘くて苦い




 キャロル先輩の焼き上げたホットケーキは、確かに彼女の自信に見合った出来栄えだった。ふっかふかに膨らんで、綺麗な狐色に焼けた姿は、なまじホットケーキミックスを使ったものよりもクオリティが高いかもしれない。

 ……何が言いたいかというと、授業が終わって空腹になりつつある今、私は勝負の勝ち負けなんかどーでもいいから1枚ご相伴にあずかりたいのである。だって、すっごく美味しそうなのだ。メープルシロップとバターまで準備してくださった太っ腹の先輩の配下になったら、実はすごい可愛がってもらえるんじゃないか? って疑惑が芽生えてしまうくらい、丁寧で美しい仕上がりだったのである。



「……月之宮さん、あなたお好み焼きと勘違いしたんじゃないですわよね」

 キャロル先輩が、私のこしらえた大量のホットケーキっぽい物体を眺めて言った。


 表面はソースでもかけて焼いたんじゃないか、というような色に焦げており、豆腐の潰し方がまずかったのか。それともヘルシーになるかと入れてしまった、おからか。ぼこぼことダマのできたホットケーキもどきが完成したのだ。やたらと分厚く、油ぎっているので製作者の私がすでに食べたくはない。

 人間様のプライドとして天狗からの忠告を無視した結果がこの有様である。いくらイラッときたからといっても、善意の言葉を却下するんじゃなかった。持ち帰るのにかさばりそうである。



「月之宮さん、お料理は見た目じゃないって私のお母さんが言ってたよ」


「ありがとう、白波さん」


 私はにっこり白波さんに笑顔を浮かべた。外見以上に中身が酷いことになってそうな予感がしているので、全力スマイルで誤魔化しきるしかない。



「あちゃー、そっか。月之宮ちゃん、キャロルと違って本物のお嬢様だもんなあ。ホットケーキとかコックに作ってもらってたんだ」

 ……すみません。我が家はけっこう大衆的な生活なんです。那須先輩の言葉にキャロル先輩がじろり、と睨んで言った。


「あたくしだって、一応社長令嬢ですわよ」


 那須先輩は首を振る。


「確かにお前の親父さんはアメリカと日本でアパレルの輸入販売やってるけど、月之宮財閥と比べるだけ無謀だろ。それになんつーか、キャロルにはか弱さとか可愛げとか色々足りねーんだよなあ」


「うっせえですわよ、こんにゃろーっ」


 かなり失礼な那須先輩の言葉に、キャロル先輩が頬をふくらませた。


特大の猫を被っている自覚のある私は、慌てて表情を取り繕う。か弱いどころか、実は神剣で衝撃波が出せる女だというのは、ばれてはならない。




「でも、本当にすごいですね。キャロル先輩のホットケーキ、お店開けそうじゃないですか」


 希未が、キャロル先輩を褒めた。一見後輩の鏡のようだが、悪友の考えが手にとるように分かった。先輩をおだてて、私の作品を味見させられそうなのから逃れようとしているのだ。



「もう食べる必要もないですよ、先輩の勝ちですって」


 戸羽君も、慌ててそう言った。彼も、家庭科のクッキー事件で散々な思いをしたからだ。


 調理スキルの高い白波さんが困ったように私の皿を見つめている。それだけで、この黒焦げホットケーキもどきが品評会に値しないという証明じゃないか。


「そうですよ。キャロル先輩のホットケーキ、すごく食べたいんです。私の失敗作は忘れて、みんなに振る舞ってくれませんか?」


 すかさず、私が2人に合わせて追撃すると、キャロル先輩は満更でもなさそうな顔になった。


 よし、これで有耶無耶にすれば、被害者はだれもいなくなる……、




「料理は総合力っていうしなあ……、案外食ってみればイケるかもしんねーよ?」


 那須先輩が空気を読まずに紐なしバンジーに挑戦しようとしていた。彼の言葉に、戸羽君はうわ、と声を上げて顔を背け。希未は目を塞ぎ、白波さんは「そうですよね」と微笑んだ。ちょっと、若干一名が那須先輩の背中を押そうとしてるんだけど!


 キャロル先輩は、そのセリフにむっとしたらしい。


「さっきから随分、月之宮さんの肩をもちますのね」


 そう言われて、那須先輩はさらりと返した。



「ほら、さ。年下女子高生の手料理って、ちょっとロマンがあるじゃん。お前と違って月之宮ちゃんって清楚なモノホンのお嬢様だし」


 彼は、男のロマンで死地に赴こうとしている。



「――変態には一欠けらも食わせねーですわよっ あたくしが自分で審査してやりますわ!」


 その発言を聞き、顔を真っ赤にして那須先輩に怒鳴ったキャロル先輩は、私の皿から勢いよくホットケーキもどきをひったくると、ちぎって自分の口に放り込んだ。止める間もない、一瞬の早業に希未が「ひゃあっ」と小さな悲鳴を上げた。



「ちょっとこれ、お砂糖どんだけ入れたので…………っ」


 むごむご咀嚼していたキャロル先輩の顔色が、突然さあっと青くなった。右手で慌てて口を押える。緑の吊り目がうるんでいた。




「なに、どーしたのお前……」


 俯いたキャロル先輩の様子を見ようとした那須先輩の身体が、力いっぱい突き飛ばされた。

半身どかされたその隙間を、金髪の女学生は駆け抜けた。涙がぼろぼろ零れたキャロル先輩は、家庭科室を出て行くとき、鬼のような形相をしていた。

 那須先輩は、唖然と彼女の逃亡を見送り口をあんぐり開けて、


「いくら月之宮ちゃんに勝ちたいからって、あそこまで大げさなことしなくても、なあ?


そんなに不味い代物が、あの材料からできるわけが……」


 と言って、キャロル先輩が残した食べかけのホットケーキもどきを拾い上げた。私は、うろたえ彼を思いとどまらせようと言った。


「やめてください、本当に私、料理が苦手なんです!」


 戸羽君も、焦ったように声を掛けた。

「月之宮の作るとこ見てましたけど、それマジでヤバイですって。死にたいんですか、那須先輩っ」


 那須先輩がきょとんとしたとこに、希未も一生懸命発言した。

「そーですよ、八重の料理は、シャレになんないんですって。屍がもう一体増えるだけですよ」


 普段は私を擁護する希未だが、この件に関してだけは手厳しい。


けっこう酷いこと言われているような気がするけど、1人の人間を救うためだから仕方ない。白波さんは、吐きそうになったキャロル先輩を心配して家庭科室を出て行ったので、背中を押す要因はない。


「大丈夫だって、オレけっこー大ざっぱな味覚してんだよ。どんなに不味くても、女の子のためなら完食できる自信あるさ」


 すっごい男前な笑顔を浮かべ、那須先輩は手に持ったホットケーキもどきにかじりついた。フェニミストで崖からダイブした彼に、戸羽君の顔色が変わる。


「ほら、かなり甘いけど、腹が減ってるからそれなりに――、」


 先輩の言葉が急に詰まった。…………ぐらり、と脚から身体が崩れ落ちる。

那須先輩は紳士的なスマイルを浮かべたまま、白目を剥いて失神した。






「月之宮さん、どんだけ風味付けに置いといた重曹ぶっこんだんですの!?」

 と震えながら調理室へ帰還したキャロル先輩は私に怒鳴った。


「……お豆腐の分が、ベーキングパウダーじゃ膨らまない気がしたんです」

「やけにお好み焼きみたいだと思ったら、重曹の入れ過ぎで黄色くなってるじゃありませんの! あなたの前にアレンジ材料を用意したあたくしがバカでしたわっ」


 私の言い訳にキャロル先輩は怒りながら、彼女の作ったホットケーキに思いっきりメープルシロップをかけた。未だに口が苦くてしょうがないらしい。

 那須先輩は、笑顔でラップとビニール袋でホットケーキもどきのお持ち帰りパックを作って私に持たせてくれた。

後輩一同に振る舞ってくれたキャロル先輩のホットケーキが、染み渡るほどに美味しかったことは、語るまでもない。





 駅前の広場で行われたカリスマ対決は、呆気なく勝負がついた。キャロル先輩に大量の鳩が押し寄せたのだ。

 どちらがより動物に好かれるか、という趣旨の下に彼女が選んだ生物とは、くるっくーと鳴く野生の土鳩たちだった。灰色の羽をして、そろそろお家に帰ろうとしている夕方の鳩に餌をやり、沢山引き寄せた方が勝利ということらしい。

 好意ではなく食欲をどれだけ掻き立てるか、というようなずれている中身となってしまっているが、それに突っ込むような野暮な真似はしない。こんなに楽な勝負はないからだ。

 雑穀が入ったビニール袋2つをスポーツバッグから取り出したキャロル先輩は、私に1袋支給した。やけに栄養バランスのよさそうな雑穀の餌だった。

 キャロル先輩は、ちまちま餌をやる私を横目に、ふふん、と得意気に笑い。餌袋に片手を突っ込み、大盤振る舞いに鳩の下へ振りまいた。



 ……結果、キャロル先輩の手元の餌袋の方をロックオンした鳩の群れが、彼女に直接襲いかかった。悲鳴を上げながら逃げ回るキャロル先輩を、次から次へとやって来た土鳩が追い回す。私はそれを眺め、餌が半分ほど残った自分のビニール袋の口をきつく縛った。


「那須、助けなさいよっ!」とキャロル先輩は叫んだが、那須先輩は爆笑して彼女と鳩の攻防戦をスマホの動画機能で撮影していた。


 そういえば最近、駅前の鳩への餌やりが禁止された気がする。……皆さん飢えてたのかしら。




 ようやく餌袋を手放して鳩から逃れ、髪をふり乱したキャロル先輩に、那須先輩はニヤニヤ笑いながら勝者の称号を授与した。

 こんだけ散々な目に遭ったにも関わらず、彼女は実に嬉しそうな顔をした。この愉快な先輩なら、子分になった白波さんも楽しい毎日になるだろうな。と私は白波さん接待係からお役御免になりそうな展開にほくそ笑んだ。一応キャロル先輩の顔を立てて真剣勝負に挑んではみたけれど、最初からこの対決、勝っても負けても私に利益になるのである。




 白波さんの親友の座を奪いとったキャロル先輩は、おどおどした白波さんの肩を抱いて夜になりつつある街に祝杯をあげに繰り出した。那須先輩は自分の財布を確認している。私はその姿を見やり、さて自分は我が家に帰るため運転手の山崎さんを呼ぼうとしたときだった。




「……月之宮、確か運転手に学校の送迎頼んでたよな?」

 天狗、戸羽杉也が、白波さんを見捨てて帰宅する気満々の私に不吉な言葉を発した。頷くと、彼は夕暮れの空を見上げて言った。




「このままじゃ、白波が解放されんのは夜になりそうだし、お前が帰るときに女子達を送ってもらえないか?」

 私は顔を引きつらせた。

 キャロル先輩の祝勝会へ、月之宮八重の強制参加が決定した瞬間である。




 鳥羽君は完璧な笑顔に反比例するような目をしており、彼が私と希未をみすみす逃がす前に意図的に釘をさしたことが伝わってくる。……そんなに、白波さんの夜歩きが嫌なのか。キャロル先輩はともかく那須先輩とまで親しくなられるのが我慢ならないのか。

 一緒に帰る気満々だった希未が、その言葉を聞いて舌打ちをした。

 白波さんに執着する天狗の威圧感を感じながら。

私は凍り付いた笑顔で、母に帰宅が遅くなる旨を連絡し、山崎さんにお客様用のベンツを準備しておいてもらうように要請した。






 後日、キャロル先輩は白波さんと一緒に生徒会長に会いに行ったらしい。

 祝勝会のカラオケ大会を尾ひれ背びれで脚色して、どんなに自分と白波さんが仲良しなのかを、東雲先輩に廊下で話したキャロル先輩は、彼の世にも美しい微笑みと言葉を貰ったんだそうだ。




『――で、だから?』



 至極無感動にそう告げた東雲先輩に、彼女は呆然としたそうだ。

 二の句が継げぬキャロル先輩からつまらなそうに視線を外し、東雲先輩は冷たく教室へ去って行った。

 まるで地べたに落ちていた虫けらのごとき扱いをされた彼女が、廊下で立ち尽くしていると。

 近くで見ていたらしい那須先輩が静かに歩み寄り、俯いたキャロル先輩の頭にぽん、と優しく触れたらしい。瞳からぽとぽと涙をこぼす彼女に、彼はずっと泣き止むまで傍にいてあげたのだとか。



 その顛末を希未から聞き、東雲椿が私に話しかけたことには、もしかしたら人身御供以上の意味のある出来事であったのだ。ということにようやく気が付いた。

私を白波さん係に任命したのはどうやら無作為に選出されたわけではなかったらしい。

 狐の目論見がなんなのかは分からないけれど、私を利用してどのような事態を起こすつもりなのかも知らないけれど。

 ……願わくば辿りついたそこが、那須先輩とキャロル先輩にきっと優しい未来であってほしい。

 白波さんとの奇妙な関係が今後も続いていくことにため息をついて。でも、少しだけ凪いだ気持になりながら、私は部室のドアを開いた。



 だって、その話を聞いた日の皐月の青空はどこまでも澄んで綺麗だったのだ。






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