☆18 もしも、彼との出会いが違ったら
「プールでの勝負は、引き分けにさしあげてよ!」
後日改めまして。キャロル先輩が、肌を艶々させて高飛車に言った。ちゃんと睡眠が補給できたらしい。
昨日は、あの後先生からの親身なお説教によって時間オーバーとなってしまったので。今日は仕切りなおして、放課後に残りの2つの対決を行うのだという。とりあえず、先に済ませるのは料理から、ということらしい。
今度はちゃんと使用許可をとった家庭科室でキャロル先輩は堂々と両手を広げ、胸を張る。彼女は裏原宿に売ってそーな、フリルのたくさん付いた白とピンクのエプロンを着けていた。ロリータ風の装いは、身長の低く色白金髪のキャロル先輩には異様なほどに似合っていた。お気に入りらしい白のウサ耳へアバントとの相性がよく凶悪に可愛い。
「ほんっとーに、悪い! 昨日の今日で、またこいつに付きあわせて」
今日の放課後にまで審判に駆り出されたらしい那須先輩が両手を合わせ、私たちに申し訳なさそうに謝った。昨日、こってりと皆で体育教師に絞られた後に打ち上げに参加したのだろうか。ちょっとばかり疲れたような佇まいをしている。
「ふふん、崇め奉りなさいな。このあたくしが、スーパーであらかじめ料理に必要な材料を買ってきてさしあげましたのですよ」
木製の椅子の上に置かれたエコバッグを指し示し、キャロル先輩はドヤ顔をした。私財をはたいて準備したらしい。
気合は分かるけど……何故だろうか。この対決、得るものより彼女の失うものが多すぎるように思えるのは。
「何を作るつもりなんですか」
うんざりした戸羽君が呆れ声を出した。そこまでするか、という彼の含みはキャロル先輩に届かなかった。キャロル先輩は、明朗快活に告げたのだ。
「ホットケーキよ!」
……え。聞き間違い?
思わず周りを見渡すと、みんな驚きの余りに呆気に取られていた。意表をつかれたというよりは、これだけ大掛かりに勿体ぶった挙句に提示されたお題が、ちょっとばかしショボすぎたのだ。
……それは、ミックス粉に卵と牛乳を混ぜて作る、薄焼きおやつのことでよいのでしょーか? 流行ったパンケーキの親戚の、より家庭的な方のアレで間違いないと?
「しかも、今回はホットケーキミックスを使わずに、粉から作ってもらいますわ、月之宮さん。レシピなしで一からふくらし粉と薄力粉から調合して、どちらがキレイに美味しく焼けるかの勝負です」
やっべ、めっちゃ難易度高かった。私には、だけど。
……あ、これは最早詰んだかもしれない。不器用なことに定評のある私だ。
希未が同じことを考えたらしく、懇願の眼差しを私に送った。……アンタは食べないで済むわよ、犠牲になるのはどうやら審判役の那須先輩になりそうだから。
「おお、意外と考えてたんだな。キャロット」
感心したように話す那須先輩に、
「石版でぶったたきやがりますわよ、那須」
名前を文学ネタで皮肉られたキャロル先輩は冷たく応えた。ちなみに、彼女の髪は金であり、決して赤毛の少女ではない。
「けろる先輩、レシピがなくてホットケーキの粉を作れるんですか!?」
白波さんが尊敬したように言うと、
「どいつもこいつも、あたくしの名前をなんだと思ってますの! みっちり練習しましたわよ、もう当分ホットケーキなんか食べたくもないですわっ」
そう冷静さが吹っ飛んだキャロル先輩が叫んだ。
ようやく私は、何故この先輩が無理やりこの対決を強行したのか分かってきた。彼女は努力と根性の日々がドブに捨てられるのが我慢ならなかったのだ。
希未は、これから起こるだろう悲劇を予知していても、口を挟まない。これまでのやり取りで、忠告したところでキャロル先輩が耳をかしやしないのが明々白々だからだ。
「すごいですっ」 白波さんの頬がちょっと赤くなった。
戸羽君は、「材料費の都合なんじゃねーの、このチョイス」とキャロル先輩に聞こえないよう呟いた。こいつの態度に敬意がないのは、多分彼ならホットケーキ粉の調合くらい容易くこなせるからなんだろう。やらせりゃ蕎麦くらい打てそうだ。
那須先輩が肩を竦めて、
「んじゃ、キャロル。材料出して始めようぜ。カリスマだかもやるんだろ、早く終わらせてみんなで遊びに行けばいーじゃねえか。わざわざ部活休んだんだ、このままじゃわりに合わないって」
「そ、そんなことぐらい分かってますわよっ」
え。このメンバーで遊びたいの、キャロル先輩。彼女は、せっせか大きなナイロン袋から食材をステンレスの調理台の上に広げていく。
「なんで絹豆腐やおからまで買ってきたんですか」
戸羽君が頭が痛そうに、豆腐のパックを拾い上げキャロル先輩に訊ねた。
「至高のホットケーキになるんですわよ」
つん、とそっぽを向く彼女に、那須先輩が「あ、そうだった」と声を上げた。
「そういや、お前。前に言ってたよな、豆腐を入れるとホットケーキが膨らむ裏技があるとかなんと「なんで月之宮さんの前でバラしちゃうんですの、この麻婆ナス!」」
うっかりネタ晴らしをしてしまった那須先輩のネクタイをジャンプしてキャロル先輩が掴んだ。無駄のない慣れた手つき。先輩、麻婆ナスは罵倒用語じゃないと思うの。
「……おたんこナス、か?」
そう、正しくはそっちの方だ。
戸羽君がため息をつくと、「どっちでもよろしいのですわ!」と彼女は言った。
那須先輩のあの大胆な八手先輩への絡み方の元祖は、キャロル先輩とみた。
「八重。……今、あの豆腐使ってみたいって思ったでしょ」
じとっとした目の希未に見透かされ、私は視線を泳がせた。……ばれてる。ちょっと試してみたいな~と思ったのが、入学してからつるんでいる友人には分かったらしい。
「やってもいいけど、絶対私は食べないからね」
「はいはい」
希未の言葉に、私は苦笑した。豆腐の投入を阻止しない辺り、友人もけっこういい性格をしている。希未は意外に赤の他人には冷淡な側面を持っているのだ。
調理の作業が始まると、白波さんはキャロル先輩にくっついて、ずっと手際を観察していた。知らないホットケーキの作り方に好奇心が刺激された模様。那須先輩も、彼女の作業を覗き込んでいた。
希未は私の傍で邪魔をしないように立っており、戸羽君は最初は白波さんの付き人よろしくしていたのだが、私の方にふらっとやって来て経過を見に来ると渋面を浮かべた。
「おい、月之宮の粉、キャロル先輩の倍以上できてんじゃねーか」
彼は、私の痛いところを突っ込んだ。
薄力粉を入れては不安になってちょっと足し、重曹がうっかり沢山入り、また粉と砂糖を追加、を繰り返した結果、私のボウルの中はなんだか満員御礼となっていた。
「そうね、もっと大きいボウルを出した方がいいかもしれないわ」
「反省点はそこじゃねーよ、明らかに手遅れになってるこの粉の量だよ」
本気で思案している私に、戸羽君が呆れながら言った。
「ここにお豆腐と牛乳と卵が入るんだもの、さっき見つけた銅のボウルに移したほうがいいわね」
「……むしろ減らせ。ビニール袋に入れて半分持ち帰れよ、牛乳入れたら全部焼く羽目になるぞ」
「ほら……、一蓮托生って言うし」
戸羽君の忠告に、うふふ、と半笑いで私は言った。なんだかお料理って楽しいかもしれないわ。みんなに美味しく食べてもらわなくちゃ。
「……栗村、月之宮がご乱心だ」
戸羽君が、私の親友へボールを投げようとすると。
「がんばれー、戸羽」
希未は、肩を竦めて天狗に打ち返した。
「……ってか、栗村てめえ月之宮の料理下手を隠してやがったな。よくよく考えれば、一年からお前ら同じクラスじゃねーか」
「黙秘権を行使します」
「暗に肯定してんじゃねえよ!」
背後で鳥羽君と希未の声が聞こえるが、無視して私は卵をお椀に割っていく。どうしてお椀を使うのかと云えば、毎回卵の殻が白身と混ざってしまうからだ。
箸を使って、慎重にお椀の中に落ちた殻を拾っていると、戸羽君が作業している私の後ろでぼそっと言った。
「こいつのチョコだけは貰いたくねー」
不意に放たれた率直な彼の感想が聞こえて。――わずかに胸が苦しくなった。
その予想外な情動に戸惑いながらも、ありありと想像できてしまった。私の脳裏に浮かぶのはバレンタインの2人の姿。
きっと、粉雪の舞う凍てついた二月十四日。
白波さんが笑顔で手作りのチョコレートを鳥羽君に渡している光景だ。彼女のことだから、頑張って作ったお菓子を頬を赤らめて渡すのかしら。鳥羽君は、顔をそむけながらも喜ぶんでしょーね、きっとそんな感じ。
そりゃもう、幸せで微笑ましい、高校生活の1ページに。華麗なイベントスチルとして描かれるんでしょう。
現実を生きる私は、いつかやってくるその温かい未来を予想したら、なにやら少しイラッときたので、ボウルの中の木綿豆腐を八つ当たりのように潰した。
座った目の私が見下ろすボールの中で。ぐしゃり、柔らかな白が馬鹿力によって木っ端みじんになる。
「戸羽君なんかには、一生あげないわよ」
ちょっとキツめに言うと、驚いたように戸羽君が反応した。
「聞いてたのかよ……ま、俺に義理でよこすんなら市販品にしてくれよ。頼むから」
「八重のチョコの価値は高いのよ。戸羽、それはちょっとばかし自意識過剰だね」
希未が戸羽君にせせら笑う。……フォローはありがたいけど。あんただって去年、手作りの友チョコは嫌だと慄き泣いてなかったっけ。
……ふん。何がバレンタインだ。
本命も義理も、手作りも既製品も月之宮八重と戸羽杉也には関係ないじゃない。
私は悪役令嬢で、彼は攻略対象者で。
私は月之宮の陰陽師で、アイツは天狗で。
戸羽杉也には
全ての立ち位置が相反して、弾かれて。いくら彼がいい奴だとしても……。
…………ん、あれ?
じゃあ、それがなかったら――――
もしも、私と戸羽君が普通の人間として生まれていたならば。少なくとも、私が
そうであったなら、
私はこいつをさほど疎ましく思わなかっただろうし……。
悔しいけれど、あの屈託のない笑みもひねたコメントも人間でさえあったなら、むしろ好ましいくらいだ。
IFの世界で、お互いに違う出会いで、生まれで、私たちの傍に白波さんがいなかったら……。
もっと別の表情をして、彼と接することができていたかもしれない――そんな今更すぎることに気が付いてしまって。
なるほど。生まれる時に運命が決まったのは、もうこれ現在、作っているホットケーキ種も一緒じゃないかと奇妙なシンパシーすら感じながら……。
……牛乳を入れたらすっごい粘り気のでてきたボウルの中で、これでもかと木べらにはりつく
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