☆15 紅茶からのぞく未来の波紋

 さて。休日に姿見を覗くと、気づかないうちに背中の中ごろまで達していた黒髪に、我ながら少々不気味な思いになった。特に主義主張もなかったわりに、よくここまで伸ばしたものだと呆れ、行きつけの美容院でサッパリ切ってもらうことにした。

 短くしてしまえば、もう校門前の事件の二の舞は踏まないだろう。


 私専属の美容師のお姉さんは、「大切にしていたのに、いいの?」とやけにしつこく食い下がったのだけど、私の決意が変わらないと知ると、渋々、鎖骨から少し下にかかるぐらいに切りそろえてくれた。


 そのままだと、ただのおかっぱ頭になってしまうので。前下がりになるように整え、お着物にも合うようにしてもらい、印象が重くならないように薄くレイヤーを入れたミディアムヘアーはかなり気に入った。軽く染めていくかも訊ねられたけれど、黒髪以外はなんとなく考えられなかったので断った。


 どうしてこんなに動きにくい髪型にしていたのだろう? と少し不思議になりながらも、月曜に登校すると。希未が私の髪を見て悲壮感に溢れた表情になった。この友人は私のロングヘアーがいたく気に入っていたらしく、無断で切られてしまったことにショックを受け、1日中ずうっとクラスの中で拗ねていた。うざい。

 白波さんは「月之宮さん、こないだテレビに出てた女優さんみたい」と褒めてくれ、戸羽君は、実にどーでもよさそうに「切ったのか」と一言よこしただけで終わった。こいつには女性の容姿を褒めるという機能そのものが備わっていないに違いない。救いである白波さんは嘘が苦手そうなので、似合っていないことはないと思う。



 放課後になっても機嫌を直さない希未を引きずりながら、いつものB組4人で第二資料室の扉を開けると、ふわりと紅茶の香りが微かに匂って、私は驚いた。

 普段はテーブルを占拠しているノートPCが片付けられており。空いたスペースには、電気ケトルと5人分のティーカップ、大きめのティーポット、そしてソーサーが置いてあったのだ。

 奥のパイプ椅子には夕霧君が腰かけており、白とブルーの背表紙の薄い本を熱心に読んでいた。長めの前髪はピンで固定され、だるそうな雰囲気が通常運転の彼に、いつになく生気が宿っている。


「わあ、お茶が飲めるようになってる!」

 私の後ろからひょっこり部屋の中を覗いた白波さんの嬉しそうな声が上がった。

 戸惑いながらも部室に足を踏み入れると、折りたたみテーブルの上に配置されてあるティーセットは可愛らしい野花の柄であることが分かった。恰幅のいいポットには、ぶちゃいくな黒猫がでかでかと描かれており、彼がオシャレなティータイムを目論んだわけではないのが伝わってくる。

 希未が茶器を見やり、ぶっきらぼうに言った。


「夕霧。どこで買ってきたのよ、これ」


 問いかけに、夕霧君は「リサイクルショップで安く買ってきた」と本を広げながら返事をした。最後に部屋に入ってきた鳥羽君が床に鞄を下ろし、テーブルを見て訝し気な顔をした。

 白波さんが、夕霧君に訊ねた。


「リサイクルショップって、こんなに可愛いのも売ってるんだね。これって夕霧君が選んだの?」


 野花柄は、白波さんの乙女心の琴線に触れたらしい。

 二年A組夕霧昴は、白波さんに「深さと大きさが丁度良かったんだ」と淡々と返した。デザインよりも、欲する性能重視であったらしい。その言葉に、彼女はちょっとがっかりした顔をした。白波さん、魔王陛下に求めちゃいけないよ……。そういう機微は。

 茶会の支度を見ていた鳥羽君は、ついに我慢できなくなったといった具合に、


「夕霧、まさか熱でもあんじゃねーだろうな」


 そりゃそうだ。夕霧君の普段の態度は、無頓着と無神経でできてるんだから。パソコンを弄る以外の行動をしたというだけでも、充分珍しい。


「ちょっと、何がしたくってティーカップなんて買ってきたのよ」

 私は言った。何故なら、研究会メンバーのために無償奉仕するような魔王陛下じゃないと、これまでの付き合いで悟りつつあったからだ。

 オカルト研究会員のけっこう酷いコメントを気にも留めず、夕霧君は本に栞を挟んで、テーブルの上に置いた。そして眼鏡を掛け直し、前髪のピンを外した。


「……そろそろ、このメンツで紅茶占いをしようと思ったんだ」

 魔王陛下の読んでいた本のタイトルには、『紅茶からのぞく未来の波紋』と書いてあった。



「占い! お紅茶でもできるなんて知らなかったよっ」


 白波さんが、ぱあっと瞳を輝かせた。そーいうのも好きなのね。あなた。

 鳥羽君は「くだらねー」と呟き、希未は「占いなんかろくなもんじゃないわよ」とネガティブな言葉を吐いた。


 私は、家業で一通り習いはしたものの、どうもそういう精密な作業は苦手だ。兄は逆に、かなり詳細に未来を占うことができたようで、よく占術の後はくらりと低血糖を起こしていた。

 どうやら、夕霧君は、占いのクールタイムを律儀に一か月あける人間だったらしく、私たちが押し掛けた後にパソコンばっかやってたのは、占術をやり過ぎないようにしていた、ということだった。確かに占いは最初の1回が一番大事になると私も教わっていたので、夕霧君が理に適っていることをモットーにしていたのには驚いた。

 だが。それを重々しく主張した夕霧君に突っ込んだ人物がいた。戸羽君だ。


「んな理屈じゃ、このオカ研は年に12回しかまともに活動できねーってことになるぞ」


……おい、鴨葱(天狗)。オカルト好きの夕霧君を焚き付けて、捕獲されたらどうするんだ。

 白波さんが、ちょっと落ち込んだように言った。


「こんなに面白そうなのに、月に1回しかやっちゃいけないの?」


 夕霧君は、蒸気をふんわり、まき散らしながらポットにお湯を注いでいく。古びた電気ケトルは、少し薄汚れている。その作業をしながら彼は言った。


「……紅茶占い程度なら、支障はないかもしれないけどな。タロットの乱用は控えた方がいいと調べると書いてあることが多い。


要は、視た未来を直視せずに曲解しかねない行動になるからだとオレは勝手に推測してんだが、


占術を繰り返すことによって未来自体が歪むということもあるらしいと従兄弟が話していてな、下手したら何か対価をその時に術者から ~~……」



 今日の夕霧君は喋る、喋る。白波さんがオカルト情報洪水にあっぷあっぷしている。聞く気もない戸羽氏は、先ほどの紅茶占いの本をパラパラめくっていた。

 私は希未に言った。


「悪かったわよ。勝手に髪を切って」


「……八重は反省してるの」


 希未の言葉に、私が「はいはい、ごめんなさいね」と軽く返すと、友人は唇をかんだ。

しょんぼり垂れたツインテールに、私はため息をついた。





 夕霧昴研究会長によると、紅茶占いは英国のものだという。

 勿論、占うからには茶葉を使うらしく。茶こしを通さずに、そのまま注がれた紅茶の入ったティーカップを3回左に回す。そっと縁に口づけると、熱々で淹れたてのアールグレイの芳香が喉を通り抜けた。開封したての紅茶は、風味もまだ鮮やかだ。

 そうしてから、飲み終えたカップにへばりついた、ふやけた茶葉のシルエットで占うのである。カップの左側が過去。右側が未来。底は時間軸を表す、のだが。



「……オレのカップ、茶葉が団子になってるな」

 言いだしっぺの夕霧君が、実に切なそうに呟いた。占うまでもない。……失敗である。

一か月も気長に待った彼に対し、未来は頑なに扉を閉じてしまったらしい。


「あ、私。右の奥の方にハートっぽいのあるかもしれない」

 白波さんが、本とカップを念入りに確認して嬉しそうな笑顔を浮かべた。あなたの恋愛運が良好なようで何よりです。白波さんの発言に、まだ紅茶をすすっていた戸羽君がごほっとむせた。




「……シンボルはなんもない、わね。それはそれで、なんかムカつく」

 占い否定派の栗村希未は、なんとも理不尽なことをカップを睨んで言った。彼女も夕霧君と同じく、未来の兆候は出なかったようだ。




「月之宮さんのも見てあげる」と白波さんに言われたので、私の空になったカップを彼女に渡した。鳥羽君の分も回収して本と睨めっこをしていた白波さんは、首を傾げて夕霧君を呼んだ。


「ちょっと、夕霧君も見てくれる?なんか自信ないんだけど」


呼ばれた夕霧君が白波さんの手元を覗き込んだ。近づいた2人の距離に、戸羽君が眉をひそめる。狭量な男め。




「……これは、すごいな」

夕霧君は、呟いた。そして、私たちに結果を告げた。






「――どちらにも、『裏切り』の猫がある。

月之宮には過去に猫、未来に『残酷さ・敵』のハゲワシがあるし……


鳥羽には、過去に『愛情・名声・尊敬』の花、未来に『裏切り』の猫ときた。

今度、お守りのパワーストーンでも皆で買いにいくか?」



 何か思い当たるふしがあった私は天上の蛍光灯を見上げ。

 真顔になった戸羽君は、食い入るように白波さんを見ていた。その眼差しは、わずかに揺れていた。

「周囲には気を付けろよ」という魔王陛下の有難いご忠告に、このところ油断していた自覚の芽生えた私は冷や汗をかきそうな思いがした。






 

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