☆14 彼女は彼の想いを知らない
昨日、貧血で卒倒した白波さんに対する、
彼女が重いものを持てば、強引に奪い。宿題の終わっていないところは、特別に見せてあげる。そして、私と希未には余計なことは喋るなと言わんばかりの冷たい態度をとっている。どうやら、白波さんの心労の原因は半分くらい私たちに責任があったと考えているのがまる分かりだ。
「おー、小春。昨日貧血起こして保健室に世話になったんだって? 今朝、偶然保険医さんと会ったときに聞いたんだが」
休み時間、担任の雪男、国語担当の柳原政雪教諭が教室にプリントを抱えて入って来た時の彼のセリフである。少しだけぼさっとしているグレーの髪はいつも通りだが、本日は眼鏡を掛けていた。
「どーした? 食事を減らしたりしてんじゃないだろうな? 高校生はまだ成長期と重なるから、ダイエットも程々にした方がいいと先生は思うぞ」
柳原先生の言葉に、私は思わず突っ込んだ。
「食生活は、先生だって大概じゃないですか」
先生は、うっと言葉を詰まらせた。身に覚えがあったのだろう。
本日のお姫様待遇に居心地が悪そうにしている白波さんは、「ちゃんと食べてますよー」と苦笑いした。ただの貧血だったのに、重病人のような扱いをされるのはけっこう複雑な心境のようだ。
「栗村のせいですよ、大体の原因は」
戸羽君が、じろりとこちらを睨んだ。三学年棟に行くのを自らも容認したくせに、そういうところは棚上げしてしまったらしい。私の隣にいた希未は、むすっと頬を膨らませた。
「本当にちゃんと食ってんのか? こんなちまっこくて」
柳原先生が、座ってる白波さんに微笑まし気な視線を合わせた。
「小春ちゃん。今日の調理実習出れそうか?」
「だ、大丈夫です」
午後の家庭科でオーブンを使うから、確認しておきたかったらしい。大ざっぱに仕事をしているようで、意外とマメなところがあるのだと私は驚いた。
「じゃー、先生からの特別サービスだ」
先生は、ポケットから取り出したチョコを白波さんの手のひらに、合計3個手渡した。元々体温自体が低いアヤカシなのだろうか、状態がよく美味しそうなものだった。
希未がそれを見て「ひーきだー」と軽口を叩く。戸羽君は、ぱあっと目を輝かせる白波さんに少し不機嫌そうな顔をし、そっぽを向いた。柳原先生はそんな希未の声など素知らぬフリをし、プリントの山を教卓に置いて笑顔で立ち去った。
まったく、飄々としたご仁である。
私は、視線を外した。そろそろ家庭科室への移動をクラスメイトは始めている。 ロッカーから持ち物をとってこようと席を外すと、ふと誰かの気配を感じた。
振り向くと、こちらを見つめる内気そうな女子がいた。ぼうっとした眼差しで、戸羽君が白波さんに話しかけている様を切なそうに眺めている。両手で本を抱えた三つ編みの少女、遠野ちほさんだった。
「……遠野さん?」
話しかけると、びっくりしたようにこちらを見た。彼女に近づく私の存在にも気づかなかったようだ。
「え、あ、月之宮さん……」
ささやくような声で、遠野さんは呟いた。
「もうすぐ、移動しないと次の授業はじまっちゃうよ。その本、料理に邪魔そうだけど持っていくの?」
私が笑いかけると、彼女は「……あっ」と慌てて机の中に大事そうに抱えていた薄桃の表紙の本をしまった。読書家で有名な彼女に何を読んでいたのか尋ねると、はずかしそうに「今日は、携帯小説なの……」と顔を赤らめてしまう。
恋愛ものをクラスで読んでいたことがバレてしまい、恥ずかしそうにしていたけれど……何か言いたそうにもしていた。
しばらくの葛藤の後、
彼女は、勇気を出したのか顔を上げ、私を真剣な眼差しで見つめた。――これは、遠野さんにはすごく珍しいことだ。いつも、大体が下を向いて人目を避けながらひっそりと生活しているのである。
「…………あ、月之宮さん。あの、ね、ちょっと聞いてもいいかな……」
「なあに?」と私が振り向くと、遠野さんは泣きそうな顔になった。
「…………し、白波さんって……戸羽君と付き合ってる、のかな」
彼女の質問に、私はこれまで、そう云えばあの2人にお互い恋愛感情があるのかを尋ねたことがなかったことに気が付いた。……正直のとこ、戸羽君はかなり怪しいとは思うのだけど。とりあえず、白波さんを独占させておけば満足げであるのだから。人並みの常識はありそうだけど、私の祖父曰く、『アヤカシの執着ほどたちの悪いものはない』だ。
――だから、遠野さんに、回りくどくそれを伝えなくてはと口を開いた。
「……違う、んじゃない」
……どうして。
『あの二人、お似合いだよね』と告げるつもりだった。言おうとしたのに、何故かその言葉が途中ですり替わっていた。
鋭い針が喉につかえる要素など、どこにもなかったはずだ――片思いだろうクラスメイトに、中途半端な同情心でも湧いたとでも?……まさか?
意味も分からず、躊躇ってしまった自分に戸惑っていると。
遠野さんは不格好な笑みを作り、「ありがとう」と呟いて机の上に置いてあった教材を抱きしめ、廊下に向かって走り去った。……彼女に期待を持たせるようなことを言ってしまった私は、彼女が消えた引き戸を呆然と眺めた。
さらさらとした風。窓の外から虫の声がする。
少なくとも戸羽杉也という生徒は、白波小春さんを毎日眺めて過ごしていること。……それだけでも教えれば、彼女の心に決着がついたろうに。妖怪とはできるだけ関わらせない方がいいと分かっていたのに、どうして私は、遠野さんの気持ちを無下にできなかったのだ。
三つ編みの彼女の、悲しそうな笑みに胸が痛んで。
わずかな後悔に心が重くなりながらも、ロッカーの4ケタ暗証番号を入力した。そうして目的の物を取り出すと、希未のいる方へと足を向けたのだ。
友人、栗村希未は、教科書やらなんやらを小脇に抱えて私を待っていた。先ほど結いなおしたらしい、お団子頭がちょっと新鮮だった。いつも楽しそうに暮らしている娘だが、今日は特に調理実習の内容がクッキー作りだったものだから移動中もぴょこぴょこ跳ねていた。
家庭科室では、先に戸羽君と一緒に着いていた白波さんが、さっそくエプロンと三角巾を制服の上に着ているところだった。チェックのプリーツスカートから膝をのぞかせ、どこか不安そうな表情をしていた。ロングヘアーをゴムでお下げに結んである。
彼女の髪は、羨ましいことに光によってカラメル色になるのだ。その綺麗な色合いに、ベージュにパステルピンクの水玉エプロンはとても似合っていた。裾やポケットにあしらわれた麻レースが愛らしさをひかえめに付け加えていて、胸元には上等の木ボタンが3つ並んでいた。
戸羽君はといえば、どこにでも売ってるような黒いエプロン姿だった。髪型はどうやらポニーテールのまま実習に臨むらしい。
白波さんが、私を見つけて駆け寄って来た。
「月之宮さんっ お母さんが新しくエプロンを駅ビルで買ってくれたんだけど、この恰好周りから浮いてないよね……?」
なるほど、似合っていたわけだ。やわらかい雰囲気がしたのは、母君が白波さんを思って選んであげた結果だったのだろう。羨ましさを感じながら、私は彼女に言った。
「戸羽君は気に入ってんじゃない?」
正直に云えば、可愛すぎたので意地悪を言いたくなったのだ。白波さんは少し考えた後、
「……つまり、浮いてるってこと!?」とむしろショックを受けた。赤面とか気になる異性への恥じらいというものがない白波さんの反応に、私はちょっと天狗が哀れになった。ちらりと彼の様子を見ようとしたとき、希未にタックルされ、私はよろめいた。
「話してないで、早く着替えないともう時間ないよっ」
希未は、一年次から見慣れたオレンジと黄色の星柄のエプロンを着ていた。友人のいう通りであったので、私も袋を開けて着替えを取り出し手早く身に着けた。えんじ色のAラインのデザインで、紐を通し前で結ぶ。形のいい蝶々結びにまとめていると、戸羽君がこちらを見て言った。
「おい、そう云えば月之宮って料理できんのかよ」
私は笑顔で答えた。
「お母さんに習ったことはあるわよ」
ただ、全部失敗しただけである。……流石に今回はクッキーだから何も起きまい。去年の調理実習を知っている希未が物申したそうな顔をしていたが、結局残りの2人には何も言わなかった。
いざ授業が始まると、クラスでの席順に則って私と白波さんと戸羽君と、あともう2人の生徒で班になりクッキーを作ることとなった。
白波さんと私で材料を計量する。他の人がオーブンの予熱のスイッチを入れてる間に、彼女は手慣れた手つきで小麦粉をふるい、生地を混ぜた。
戸羽君は器用な指先で型抜きをちゃっちゃと行い、私は卵の黄身を天板に並べられたクッキーの表面に塗っていく。順調に済んだ作業に一息ついてノートをまとめた。
――結果。そうした経緯で、鳥羽君は目の前に山盛りになったクッキーを試食し、顔をしかめて言った。
「……なんで、すっげえ旨いやつと、吐きそうなくらいクソ不味いやつが同じ生地からできるんだよ!?」
私も、3枚ほどで、件の不味いクッキーを引き当てた。
一緒に作った他のクラスメイトも、1回顔色がネズミ色になったあとは、最早このロシアンルーレットに挑戦するつもりはないらしい。
終業の鐘が鳴った私たちは、無理やりこの産業廃棄物を山分けすると、苦み走った顔で調理室を後にした。
健気にも部室で魔クッキーを完食しようとしていた白波さんを放課後に発見した戸羽君は、やけくそのように彼女の分まで頬張った。顔色が白黒している彼を横目に見ながら、私はひっそりとオカ研からトイレと偽って食堂まで抜け出した。
希未は、なんとなく私の考えてることが分かるようで止めはしなかった。
残飯用の蓋付きのごみ箱の前で、恐らく自分が原因で悲劇的な結果となった焼き菓子を2人には黙って焼却処分にしてしまおうか悩んでいると。ふいに後ろから誰かの声が掛けられた。
「――捨ててしまうのですか?」
驚いて振り返る。暗がりの電気の消された食堂に、金の髪をした男子生徒がうっすら笑顔を浮かべて立っていた。悪い女生徒が食物を粗末にしようとしているその現場を、しかと青い瞳の生徒会長、東雲椿は見てしまったらしい。
なんてバッドタイミング。
「……悪いことをしているのは分かってます。ほっといて下さい」
怯んだ私がそう突っぱねると、先輩は言った。
「責めているのではありませんよ。……ただ、そうですね。それを本当に欲しくてたまらない人間もいることも考えてもらえませんか」
「……世界に食べ物に恵まれない人がいることも、分かってるんです」
そう、私は若干みじめな気持ちになりながら言った。
アヤカシなのに、人間なんかいとも簡単に殺せるくせに。彼に人としての道理を説かれてしまっているのが、いたたまれなくて仕方なかった。自分でもこの行いがマズいことだって気づいていただけに、ニンゲンとして情けなくなってしまう。
……いつもだったら死ぬ気で喉に押し込むところだったのに、あの戸羽君のカッコわるい姿を見てしまったら、孤軍奮闘に頑張る気力が失せてしまったのだ。
東雲先輩は、私を諭すように告げた。
「いえ、それよりももっと身近に。……つまりですね、君が今捨てようとしている菓子を、この僕に譲ってもらいたいんですよ」
虚をつかれた私は、彼に話す。
「死ぬほど不味いですよ、これ」
「悪食ですから、平気ですよ」
聡明であるはずの彼は、そんな世迷言を口にして微笑む。……このような劇物を手に入れたくなる人物がいるとは、これが価値観の相違というやつか。なんとも理解しがたくなりながら、下唇を食んだ私は問いかけた。
「そんなに、白波さんが好きなんですか」
前髪がかかった、眼が憂いを宿してこちらを見た。青い、青い眼差しが、いつになく深海の奥のようにゆらめいている。アヤカシだと分かっているにも関わらず、その影のある表情に私は息を潜めた。
その瞳が眇められた瞬間に、刹那、内在された妖気がおどろおどろしく怨嗟の念をもって――。
東雲先輩は、固まっている私に近づくと、手の中にあったラップで包まれたクッキーをひょいと私の手のひらから取り上げた。そうして、指先を伸ばして――こんなことを静かに囁いた。
「そうだ、と云えば月之宮のお姫様は僕に優しくしてくれるってのかい? それは実に笑えないなあ」
そう言うと、彼はくしゃりと私の頭を撫ぜたのだ。
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