☆16 セリヌンティウスにはならない



 あれほど咲き誇った桜も終わり、新緑の青葉が風に揺れる。

 澄んだ空の青が少しずつ増していくように見えた、5月の第2週。暖かくなっていく気温に、あの占いの結果がまやかしのようであったような、穏やかな日々だった。

 相も変わらず、私たちが魔王陛下の洗脳したゾンビなのだという噂も失せることはなく、文芸部設立に必要な最後の一人の新入部員がやってくる気配もなく。

 実のところ、二年に進級早々、会長に校門の前で公衆の面前に口説かれた、という目撃情報や嫉妬、動画の拡散は魔王陛下、夕霧君の存在感の下に払拭されてしまったらしく。ツイッターの話題もとうに流行から過ぎていた。

白波さん悪女説も希未に子分のように振り回されるようになってからは、女子の鬱憤も少し緩和されたようだった。それほどまでに、邪見で不憫な扱いを受けていたともいう。あんまり希未が調子に乗るようなときは、流石に保護者の戸羽君が出て来たが。


 当初の目標はすでに呆気なく完遂し、わざわざ文芸部を設立せずとも、むしろ部室に生真面目に通う必要性すらなくなってしまったようなものなのだけど。



 ……それでも、私たちは惰性のように第二資料室に集い、毎日の放課後を共に過ごしていた。




 理由は、なんだったろう。

……鳥羽君が、白波さんばかりを見つめているのを毎日、毎日。アウトサイドで観賞して、なまぬるいお茶を飲んでいるよーな活動に。さしたる中身なんてないはずなのに。


警告や悪夢がシグナルを鳴らしていても、胸をざわめかせて――後を引かれる思いがしてしまうのは何故だったろう。


 なし崩し、という言葉は便利なものだ。違和感の正体なんか知らないままで、思考放棄に時の流れに身を任せられる魔法ごまかしの言葉ワード……。


この生活は、怠惰にも居心地が良かったものだから、自分が腐っていくと分かっても闇鍋から抜けられなくて、隣の天狗と机を並べていることにも慣れていってしまうのだ。


 そうして、不戦協定で錆びた己の剣を研ぎ直すこともできないまま、苛立ちまぎれに心の中で唾を吐いて、こちらの正体も知らぬ彼と笑うのが今のこう着状態な日常だった――。





 オカルト研究会の占いグッズとして戸棚で埃を被る運命であったティーセットは、白波さんによって正しい用途として使って貰えるようになった。

 水道のカルキ臭い水も、お茶にすれば舌を誤魔化せることに気づいてからは、みんなで持ち寄った茶葉が資料室の一角を賑わすこととなる。

戸羽君の持ってきた番茶はかなり美味しかったのだが、どこで買ってきたのかを彼はひたすら黙秘した。妖怪ルートなのだろうか、やはり。



 本日のお茶は、白波さんが買ってきてくれたハイビスカスティーで、すごく綺麗なピンク色をしている。白いカップとのコントラストが、飲むのを勿体なく思えた。目前に迫った中間テストに向け。勉強していた数学の問題集を片隅にどけて、淹れてもらった温かいお茶を有難くいただく。

 甘酸っぱい風味に、購買の新商品のキャラメルポップコーンと相性がいいな。と放課後のオカルト研究会でまったりしていたときのことだった。




 ――ガンガンガン!



 荒っぽいノックが部室に響いた。向かいの椅子に座っていた戸羽君がぎょっとした表情になり、イヤホンを片耳から外す。彼の聞いていたらしいエレキギターのサウンドがそこから微かに漏れ聞こえた。

白波さんは驚きのあまり、持っていたティーポットを危うく落としそうになり。

パイプ椅子で腰かけながら昼寝していた希未は、しかめっ面で顔を起こした。



 ――ガンガンガン、ゴンッ、ガゴンッ



 ノックというか、どっちかというとドツいてるような音だ。何やら恨みでもあるのだろーか、と思いながら一同、顔を見合わせる。

私がドアを指差すと、みんなすっごい嫌そうな顔をした。その間も、ガンゴンとノックは続いている。




 ……明らかに厄介ごとの香りがする。

 そうして、私たちが居留守を決め込もうとしたとき、堪えきれなくなったらしい来訪者がドアを勢いよく開けた。



「――このあたくしが魔王城に出向いてやったというのに、無視すんじゃねーですわよ!?」


 踏み込んで来た一人の女生徒の甲高い怒声が、部室に響き渡った。夕霧君が読んでいたラノベを置き、むくりと布団から身体を起こす。あ、この顔、めんどくせえ。って表情だ。



「……鍵をかけておけば良かったか」


 夕霧君は、そう呟いた。魔王城、こと部室は基本的に活動時間は開けっ放しである。勇者の到着なんて想定してやいないからだ。



「魔王っ その態度はなんですの!? 用がなけりゃわざわざオカ研なんか出向きゃしねーですわよ!」


 なんだかちょっぴり口調がおかしい突如現れた女生徒は、髪を右手で振り払った。豊かな金髪のカールヘアーで、白いウサ耳ヘアバンドを付けている。会長のプラチナブロンドより濃いめの金髪をしており、瞳は意思の強そうな緑の吊り目だ。身長はかなり小さくて、140センチ台といったところか。


「あ、けろる先輩!」


 白波さんが、舌ったらずで明るく言った。私は彼女の発言に耳を疑う。……けろる、とは愛称か何かだろうか?


そのセリフを聞き、小柄な金髪女学生はふるふる震わせながら、白波さんに食い掛かった。


「白波さん、あなたは何回言えば覚えますの!?あたくしは両生類じゃありませんわよ、キャロル・恵美・ベンジャミンですわよっ」


 先輩だという彼女の苗字を聞いた瞬間、私の頭の中で帽子を被ったウサギが跳ねた。そうか、この人、異国の血筋の方なのか。そのわりに、やけに小柄な体躯をされているけれど……というか、今思い出したけど、この先輩って確か白波さんをよく呼び出していなかったっけ。


「諦めてください、白波は壊滅的に英語の発音ができないんです」


「あたくしのアイデンティティの問題ですのよ!」


 戸羽君のフォローに、キャロル先輩は叫んだ。肺活量の強い人だ。夕霧君が、耳を塞いだ。

 希未が、うんざり、と言わんばかりの態度で言った。


「で、そのけろる先輩が何の用ですか」


 ……おい、お前は英語できるだろう。寝ていたところを起こされたのが癪にさわったらしい。わざと希未が小馬鹿にしたのが伝わったキャロル先輩は引きつりながらも、


「……あなたたち、前に三学年棟に部活の勧誘に来たらしいじゃない」




 「行きましたよー」と白波さんがほのぼのと言った。ね。白波小春さん、もうちょっと空気読んで。今、この先輩お冠だから。


「あたくし達が、東雲様に話しかけてもお相手してもらえないとこを、堂々とあんたたちは雑談していったそーじゃない」


 東雲様……ああ、東雲椿生徒会長。狐のことか。

 先輩の言葉に戸羽君がじとっと希未を見た。



「つまりはお前が諸悪の根源か。栗村」


 栗村希未は、下手くそな口笛を吹いた。それ、ろくに音が出てないから。

 キャロル先輩は続けて言う。咳払いまでした。



「去年から、へらへら笑ってる白波小春を何度も呼び出しましたし、嫌がらせしたりもしたのですけど、東雲様ったらずっと白波さんにしか話しかけやがりませんでしたの」


 この先輩に、ちゃんとした日本語を教えてあげたほうがいいのだろうか。若干、妙な違和感があるんだけど……。


「そこで、あたくしはこの間の話を聞いてよーやく気づきやがったのですわ! 白波小春を排除するのではなく、あたくしの配下にしてしまえば東雲様は手に入るじゃありませんの!」


 キャロル先輩は悦に入ったように説明する。



「月之宮八重から白波さんの一の親友の座を奪えば、東雲様の視界はキャロルのもの、そっから白波小春を追い落とせばいいのです!


手土産として、東雲様のファンクラブの雑魚どもは、邪魔をしないよーに四月一杯であたくしが壊滅してさしあげましたわ、感謝なさい!」


 あ、流石の白波さんが困り果てた様子になっている。お友達というよりは、邪念の塊だものね。今の先輩の理屈。

やけに最近の白波さんの周りが静かだと思ったら、この先輩が勝手に同士討ちしていたのか。

 戸羽君が、頭が痛そうに額を押さえた。彼の常識が許容オーバーになった模様。

 キャロル先輩は、そして、ゆっくりと私に向かって指を突き付け、宣戦布告した。



「――月之宮八重!このあたくしと白波小春の親友の座を賭けて勝負なさいっ」


 私は、即答した。


「あ、はい。棄権します」


 だって、親友になった覚えなどない。友人ですらなく、あたりさわりのない知り合いの認識だ。


「月之宮さん、それはひどいよっ!?」


 白波さんが、腕に貼りついてきた。もとから大きな焦げ茶の瞳を真ん丸にして、こちらをすがるよーに見つめてくる。鳥羽君なんぞは、人でなしを見るような眼差しで私を見ている。


「そーよね。八重の親友は私だもん」


 うんうん、と希未が満足そうに頷いた。

 不戦勝になりそうなキャロル先輩は、私を指差したまま硬直している。予想外の事態だったらしく、しばらくしてから口を開いた。



「あ、あたくしと、勝負なさい!」


 ていくつー。

 強制的に先輩はやり直した。



「いやです」


 私がそう言うと、「あたくし、半月もお料理の練習頑張ったんですのよ!」とキャロル先輩に逆ギレされた。希未は、『お料理』の単語を聞いた途端に無表情になった。結末が容易に想像できたらしい。


「……わ、分かりましたわ。報酬が欲しいのですのね。しょーがありませんわね。背に腹はかえられねーでありますものね」


 混乱したように、キャロル先輩は口走り、そして。



「では、あたくしが負けたら、文芸部を兼部して差し上げますわ!」



 と、特大の餌を我が身を犠牲にして、私たちの前にぶら下げたのだった。最早、何のために争うのか訳が分からない。多分、わざわざこんなとこまで来てしまったキャロル先輩のプライドの問題なのだろう。

 この後、白波さんに、「月之宮さんが何と言おうと、私はずっと友達だと思ってるからね」と、真剣な顔で言われることとなったのだった。




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