☆11 人望は集めるより失うが速し



白い軽自動車が校門から遠のいていくのを見送り、私は昇降口で上履きに履き替えて二学年棟の階段を上った。好奇の眼差しをスルーして歩く。

綺麗な春の風は少しだけ寒かった。

教室の扉を開けると、早朝の、あたたかな日光が柔らかく照らしていて。その爽やかな空間で1名の――見慣れた茶髪ツインテールの女生徒がクラスメイトにドスをきかせていた。

内気な女子の机に部活申請書を広げ、ぐいぐい迫っている。


「ほらここよ! ちょおっと名前貸してくれるだけでいいからさあ」

希未は指で空欄をトントン、と指し、困惑している机の主に畳みかける。


「遠野さんって、いっつもクラスで本読んでるじゃん? 文芸部、すっごくぴったりだと思うしさ……形だけ兼部してくれればいーの。気楽なもんでしょ」


甘ったるい声で、ニンマリ邪悪に笑う友人を知り合いだとは思いたくなかった。

分厚い本を抱えて硬直している吹奏楽部の遠野さん。恐らく彼女は降り注ぐ言葉に途方に暮れている。


「けっこうたのしいよ、夕霧君いい人だったし」


ああ、純真な白波さんも悪魔に加勢をしている。愛玩犬までもが新入部員狩りに参加していた。

クラスメイトは、各々視線を逸らしている。あの攻勢を肩代わりしようとは思えないのだろう。

一瞬の判断。

私は、ぴしゃりと扉を閉めた。見なかったことにしよう。

そのまま、少々時間をつぶして始業ぎりぎりに飛び込もうか思案していたのだが、ふと気づくとシャットアウトしたはずのそれがゆっくりと開いていく。

……引き戸を片手で壁に押さえつけ、不機嫌そうに私を見下ろす戸羽君がいた。


戸口ドンである。


てめえ、逃げるんじゃねえ、と無言の威圧を私にかけている。漏れ出した妖気が、廊下の気温を少しずつ下げていく。

ダメだ、完全に脱獄を発見した看守のごとき顔つきになっている。……冷静になるのよ、八重。私は陰陽師じゃない。これごときで動揺したら、悪役の名が廃るわ。


「ご、ご機嫌よう?」


天狗は、いーわきゃねーだろ。と言わんばかりの目になった。

……何口走っちゃってんの、私。

お嬢様らしい朝の挨拶を丸ごとガン無視することにしたらしい戸羽君は、私に冷やかに言った。


「お前の相方を、俺に押し付けるな」


正論。

……そうですね。戸羽君、ここ一週間、はしゃぐ白波さんだけで手一杯だったわね。いつも、騒ぎの先陣を切っていくのは希未だから、彼ひとりでは手に余ったらしい。


「……すみませんでした」

私が素直に謝ると、彼はくい、と立てた親指をクラスの中へ指した。早く入れ、ということらしい。

彼は希未に「月之宮が登校してきたぞ!」と投げやりな態度で声をかけた。


友人は、ばっと輝く顔で振り返ると私のところに身軽に駆けてくる。狩人が戦線離脱しても、いまだ獲物をあきらめずに説得を続けようとした白波さんは、戸羽君に頭をチョップされた。


「加減を知れ、ド阿呆」というセリフとセットである。解放された遠野さんは、へなへなと脱力した。


部活申請書に署名して以来、戸羽君は白波さんの良識ある保護者にジョブチェンジしつつある。彼ばかりは、なんだか退治したら逆に世の理が乱れそうな予感がする。


……だとすれば、戸羽杉也というアヤカシが人間を殺めた場合、それはどのアヤカシよりも罪深いものになるのだろうか。彼だっていくら常識人に見えたとしても、その本能が化生であることには変わりないはずだが、どこまでアヤカシの理性を信用していいものか――――。


――彼に説教される白波さん、という構図になっている2人を眺めながら杞憂を考えていると、希未が私のブレザーを引っ張って不満げに口を尖らせた。


「……一週間も!学校中歩き回ったのに、誰も記入してくれないんだよ。おかしくない!?」

ギュウギュウ腕を引っ張られて、自分はため息をついた。


「あのさ、そんなに簡単に見つかったら、夕霧君の従兄弟さんはとっくに創部できてたはずでしょ」


「むー、やっぱり、特典かなんか作ったほうがいいかなあ?」


希未は、戸羽君をガン見した。イケメン男子生徒を人身御供にするつもりだ、こいつ。

ようやく、白波さんを所定の席へ座らせて行っていた、お説教を終えて一息ついていた彼の傍へ、手をもじもじ組ませて近寄っていく。

悪びれなく希未は言った。


「ね、ね。戸羽、ちょっと部活のために一枚脱いで写真撮ってみない?」


…………停学になるわ。完全にアウトな発想である。


「はあ!?」

多分現部員の中で一番常識的な天狗は、顔をひきつらせた。


大胆な言葉に十秒ほど固まった白波さんは、そおっと自分の机の引き出しから教科書を取り出し、そっと開いて顔を隠した。読んでいるふり、のつもりなのだろう。やけにページと目の距離が近いけど。

彼女のささやかな衝立を無視する大声で2人は会話を続けていた。


「お前、俺になんか恨みでもあんのか!」

戸羽君の抗議に、「ちっ、やっぱダメか」と希未は舌打ちした。


「……ったりめーに決まってんだろ、全員揃って停学にするつもりか!」

友人はぶーたれる。膨れてぶん、とツインテールを振った。


「希未。今の発言はちょっとサイテー」

私が言うと、全然ちょっとじゃねえよ。とセクハラ発言が直撃した彼は小さく呻く。


「そういう手段をとろうとするから、みんな逃げるのよ。もっと地道に一か月くらい続けていけばいいじゃない」


そう常識人ぶって云った私に、戸羽君が暗い顔で、もう無理だろ。と言った。



「……俺たちは夕霧の黒魔術にかかって、魔王の手下になっちまった。って校内中の噂になってんだから。みんな、近づけばゾンビか洗脳されるって警戒してるぜ」


部員勧誘を初めて一週間、私たちはすでに行き詰りつつあった。




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