☆10 その花は己のために咲かない




 ――春になると、花が咲き乱れ、小鳥が歌い、そして裸遊婆が湧いてくる。

学生諸君に、教職員が露出狂の注意喚起及び目撃情報を流すようになる頃が、駆除の目安だ。大体それぐらいになると、我が家に人間製変態に混じった裸遊婆退治の依頼が警察より舞い込むのである。

余り人に危害を加える類のアヤカシではないので、我が家はいざ仕事にならないと腰を上げる気にならない。報酬が貰えるようになるまで泳がせている、ともいう。

今朝方かかってきた電話でこの恒例行事がやってきたので、私は登校前に少々細工をした。


 表面に『封』、裏面に『縛』と筆ペンで書いた和紙を畳んで、数枚ポケットに入れた。強い妖怪でもないので、こんなやっつけ仕事で捕獲できてしまうお手軽な存在だ。

それから、エロ本のカラーページを一枚切り取り、『色』と内側に書いた白紙に折りたたんで包むと、プリーツスカートのポケットに忍ばせる。無論、私が見るのではない。持ち運ぶと、元が春画のアヤカシである裸遊婆が寄ってくるのだ。



 これで二週間くらい生活していると、街灯に集る羽虫の如くやって来るので、ヌードを見せ始めたとこを追いかけて身体に封縛札を叩きつけて捕獲し、焼却処分にする。こいつは足腰が弱いので、けっこうお手軽だ。

よその自治体では野放しにすることも多いと聞く。新しい春が過ぎれば去ってゆくので、すっとぼけても問題ないとしているらしい。治安や風評に影響が出るので痛し痒しだが。

報酬は、何匹捕まえてもCDアルバム一枚分きり。兄が留学中なので今年は私の総取りになる。


今朝は、久々に父が午前中オフになったらしく、畳に新聞を広げ、茶をすすりくつろいでいた。

自分の妻が、にこにこしながら世間話をしてくるのを、至極テキトーに相槌を入れながら株価欄に視線を走らせている。たしかその新聞には隣県の連続殺人事件の犯人が逃走中だというショッキングな事件が掲載されていたはずなのだが、父の関心を動かすには至らなかったらしい。

母の黒髪は鼈甲でできたバレッタでまとめられている。いつ見ても年齢を感じさせない人だ。対照的に、父の頭はもう半分くらい灰色になっており、年相応の貫録を見せていた。


その母の髪がはらり、一筋流れた首筋が、父の肩に寄り添うように動いたのを見たところで私は座敷をでた。親の艶姿なんざ嬉しくもなんともない。いたたまれなくなるだけである。


玄関から外に出ると、ずっと待っていてくれたのだろうマッチョな西郷隆盛――いや違った、運転手の山崎さんが帽子をとって笑みを浮かべた。床屋に行ったと見えて、頭が芝生のように刈り込まれていた。


早朝にも関わらず、アイロンのかかったワイシャツは使用人の鏡である。今年で47になる彼は、武士のような笑みで、「お嬢様、お車をお出しいたしますか?」と訊ねてきた。



「お願いします」


私がそう言うと、彼は駐車場に停車してあった白塗りの軽自動車のドアを開けた。ピッカピカに洗車が欠かされないのを知っているけれど、私は似たようなデザインの車が三十万ほどで中古屋にあったのをこの前目撃した。

財閥月之宮家に似合わないとよく笑われる送迎車だ。


「桜も終わってしまいましたねえ」


うってかわって内装は豪華だ。革張りの後部座席に乗り込むと、山崎さんは名残惜しそうに言った。

この車や運転手の選択眼は、父の物事の質を重視し、見栄を嫌う性分がよく表れている。実際、山崎さんは温厚で人情深い性格をしている心優しい運転手だし、加えて柔道をたしなんでいるらしい。うちの学校の付近は道路も狭く、通勤時間は混雑するのも確かで、小回りのきく軽は一理ある。


だが父の計算外であったのは、軽自動車を運転する彼が私の誘拐犯と勘違いされる事例が意外と多かったことで、山崎さんが密かに困り果てていることである。


「そう? 学校の桜はまだけっこう残ってるけど」


「風向きもあるのだと思いますよ。私も慶水高校の桜をちょっとばかし、見て帰りたいくらいですねえ」


名残惜しそうに、彼はバックミラーを確認しながら言った。安全運転がモットーらしいので、スピードも念入りに調節している。


「去年もそうだったわ。品種でも違うのかしら」


「調べてみたらどうです? 案外、植わっているのはソメイヨシノではないかもしれませんよ」


山崎さんは苦笑し、カーラジオを付けた。案の定、道が混んできたからである。

少しノイズ交じりに、無機質なニュースが流れる中、彼は呟く。


「あれも難儀な花ですからねえ」


「なぜ?」


「……おや、お嬢様、聞き覚えないですか?

ソメイヨシノは、種からは繁殖できないって話を。たしか挿し木でしか増やせないって昔、庭師さんから教わったんです」


「ふーん、そうなの」

初耳の雑学に、私が気のこもらない生返事を返すと、山崎さんはしみじみ言ったのだった。


「この話を思い出すと、なんだかソメイヨシノが健気に思えてくるんですよ」


春の風に乗って、花が揺れ散る。

ひらひらと、はらりはらりと……叙情を込めて。

山崎さんは、思春期の娘さん二人に最近シカトされ始めているらしい。という母のこぼれ話を私はふと思い出した。




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