☆4 ケダモノとアリス



「考えてもみてください。世界の宗教で最も尊ばれる行為はなんでしょうか」

「布教と献金じゃないですかね」


彼、東雲椿は人指し指を振った。


「いいえ、それは自己犠牲です」

「断言しないでください」


悪魔だ。悪魔がここに居る。

私が内心ドン引きしていると、会長は清々しく言った。


「僕は、常々思っていたんですが……白波さんの周りには女性が足りないでしょう」

「いや、よく先輩方と話したりしているじゃあないですか」


呼びに来たときに、周りの女の子達の目が血走ってたけど。含みを持たせた言い方に彼は苦笑した。


「それとこれは別物だから」

 いや、まあね。


「まあ、今日のところは、月之宮さんを口説くのはここまでにしておきましょう。あまり粘っても結果は変わらなそうだ」


薄く口端を上げて、東雲先輩は深青の双眸を細めた。

では、また。そう言い残して、青年は階段を下りて、職員室の方向へ立ち去ってゆく。

その後ろ姿が見えなくなってから、私は胡散臭さ全開の狐に眉を潜める。掃除をさっさと切り上げようとチリトリでごみを集めると、廊下のごみ箱に捨てて。

とりあえず、今晩の風呂には塩と日本酒を入れようと心に決めた。




清めが足りなかったか。

翌朝、校門の前で待ち伏せしていた東雲会長を目にした瞬間、私は本日の登校を取りやめたくなった。……うん、そうしよう。なんか風邪っぽい気もしなくはないし。


「何、ここで突っ立って百面相してんだ?」


天狗のくせに空気の読めない男め。今、正に踵を返そうとした私は、丁度登校してきた鳥羽杉也の訝し気な表情とバッティングした。


「おはよう、戸羽君。朝から眩しいものを見てしまったものだから」

「んなの、どこに……」


欠伸を噛み殺していた天狗は、先輩の方を見て沈黙した。うん、そうよね。どう見ても胡散臭さ満載で、文庫本片手にそこにあられますもの。白金髪に爽やかな朝の陽光がきらめいて、さながらイベントスチルみたいになってるんだもの。


「どちらかというと、俺には黒く見える」


げんなりとした顔つきになった戸羽君は、案外まともな感性をしているのかもしれない。私は軽くうなづいて同意した。

眠れる猛獣の前を通るような思いをしながら、顔をなるべく逸らしつつ、学校の敷地へ歩いていく。私は関係ない、きっと白波さんを待ってるだけ、だけ……。


「やあ、おはよう。月之宮さん」

ケダモノさんは、ばっちり起きていた。


「おはよう、ございます……」

戸羽君は、哀れみまじりの眼差しを私に向けた。



あ、ちょっと!置いてきぼりにすることないじゃないっ


薄情にも見捨てた天狗に取り残された私へと、東雲会長は無駄にキラキラしたスマイルを向けた。


「君を待ってる間に、この本を読んでたんだ。有名な童話だけど、僕はこの作品が結構気に入っていてね」

チラリと見せられた表紙に並んだ文字は、見覚えのあるタイトルだった。


「不思議の国のアリス、ですか」

生憎、映画で満足して原作を読んだことがない。


「名前くらいは知ってるだろう?」

「ええ。有名ですから」

私が曖昧なる微笑で返すと、会長は柔和に笑んだ。


「活字には活字の良さがあるものだよ。もっとも、最後の結末は変わらないわけだから、原作を読まない人が多いのも無理はないんだけどね」


本を優美に閉じると、彼は寄り掛かっていた門柱から身体を起こした。近くで誰かがほうっとため息を零したのが聞こえた。


「僕をこんなに待たせるなんて、まったく貴女は悪い人だ」


どうして、こんな陳腐なセリフが様になるんだろう。イケメンというのはたちが悪い。


「頼んでいません」

「はは、まあね。手厳しいなあ」

ウザイ。この人、何しにこんなところに居たんだ。


「有り体に云えば、僕は君を手に入れる為には手段を選ばないって――昨日、言い忘れてしまったからね」

涼やかに睫毛を伏せて。

彼は、私が呆気にとられてる隙にそのロングヘアをさり気なくすくいとった。


「だから、予約くらいはさせてもらうよ」

そうして、東雲先輩は指にとった私の髪にキスをしたのだ。

無駄に美しきこの男アヤカシの所作は洗練されていて、気取った文句も恐ろしく様になっていた。


「――――ひいっ!?」


ぞわりとする。反射的に払いのけた。

屈辱感に、もう相手の顔も見ずに鞄を持って全力で逃げ出した。

脱兎のごとく会長に背中を向けて無様に駆け出して、上履きをつっかけながら教室に飛び込んだ。……多分、東雲会長は追いかけてこないだろう。というか、もう逃げ道は塞がれたんだけどさ!!

 ――あんにゃろう、私が白波さんと仲良しこよしするまでああやって脅す気だ!


クラスの中で、力なく自分の席に座りこむ。その隣で熱心にスマホを弄っている人物に恨みごとを零した。

「よくも逃げてくれたわね……」


木製机に脚を乗せ、くつろいでいた戸羽君は画面を覗いたまま応えた。


「痴話げんかに巻き込まれる趣味はねえよ」

心に定めた不戦の誓いが、うっかり揺らぎそうになった。





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