☆5 魔物怖けりゃ愛想をふりまけ
曲げわっぱの弁当箱を開くと、お稲荷さんがぎっしり詰められていた。いつもは大好物であるが、今はその響きがことに憎らしい。母に悪気がないのも、愛娘が近頃食欲がないことを心配してくれていたのも分かっているけれど。……しかも、この存在感。丹精込めて含め煮にしてくれたと見える。
添えのおかずは、さっと湯がかれた菜花のお浸し。月之宮邸にある家庭菜園の出身と見受けられた。春の風物詩というイメージが強いが、我が家のお菜は四季を通じてお弁当の緑に貢献してくれる優等生。殆ど放任していれば、再び芽吹いてくるのである。肥料も追加していないのに尋常ではない生命力だ。それらに加え、デザートの赤く甘酸っぱそうな苺が、可憐な彩りを配色していた。
今朝の怒りが再燃しそうになったものの、喉元がごくりと鳴った。
「わあ! 月之宮さんのお弁当、すっごく美味しそう!!」
白波さんの感嘆に、猫を被った私は物静かに微笑む。
「お母さんが張り切ってくれたみたい」
「私のなんか、冷凍食品ばっかだよ。スーパーの安売りで中身が決まっちゃうから、毎日ローテーションだよ」
茶色いミートボールに黄色の卵焼き。カップグラタンにふりかけおにぎりのお弁当を抱え、白波さんは唇を尖らせる。羨望の眼差しを注がれ、ちょっと怖くなった私は彼女に提案した。
「よかったら、何か交換する?」
「え!いいの!? 遠慮するべきなんだろーけど、すっごい食べたいっ」
「そこは遠慮しとけよ」
日替わり定食の生姜焼きを頬張りながらの戸羽君の突っ込みに、「できないもん」と彼女は噛みついた。
「戸羽君。私は今、人生で初めてスーパーで売られてる皮じゃないお稲荷さんを見たのですよ」
「……自分で煮ればいいだけだろ」
「月之宮さんっ一個ください! 好きなおかず進呈いたしますから!」
白波さんが差し出したお弁当箱から、しばらく逡巡した後にミートボールを有難く頂戴する。パステルな星型のピックが可愛いな、と思いながら陰鬱に口に運んだ。
「あら、美味しいわ。これ」
意外さに私は目を見張る。どこの会社だろう。
「ほんと?」
「ええ。私も今度お母さんに入れてもらおうかな。ミートボール」
はい、どうぞ。と白波さんにお弁当箱を差し出す。彼女は、慎重に柔らかなるお稲荷さんを箸でつまみ上げると、弁当箱の蓋に乗せた。それを横目に見ながら、私も観念して食べ始めた。口の中でじゅわ、と御出汁が広がる。ああ、もう。これを残すなんて……できっこないわ。
つくづく人とは胃袋に支配された生き物だと思う。
「戸羽君。多分これは料亭のお味だよ」
フルフル震えながら感極まったような声で白波さんは言った。その大げさな食レポに戸羽君が半目になっている。
「……多分ってなんだ、多分って」
「行ったことないもん」
戸羽君は、無言で白飯の入った茶碗を持ち上げ、中身をかき込んだ。私もどう反応していいものか分かりかねたので、箸を進めることにした。
大体、弁当の半ばごろ進んだところで、ようやく食堂に入ってきた希未が私に突進してきた。見かけないと不思議に思っていたのだ。今までどこに居たのだろう。
我が友人は頬を膨らませ、明らかに拗ねていた。
「クラスメイトから呼び出しくらってる間に、なんでハリケーンと一緒に飯食ってんのさ! いつの間に私以外の女を作っていたの、浮気者っ」
よよ、としなを作った友人に、私は淡々と答えた。
「一人で食べてたら、偶然同席になったみたい」
正確には、後から来た二人が私の近くの生徒をどけて座ったのだけど。確実に逃げられない状況で距離を詰められている。
先日のやり取りでどういう結論になったのかは考えたくもないが、今日になったら、天狗と白波さんのプッシュが二割ほど増していた。私は、どうやら悲しい過去によって心を閉ざした同情すべき子と思われているらしい。
「……だめだよ、防犯ブザー鳴らさなきゃ」
ひそひそ声で希未は言った。
ああはい、変質者扱いですか。少しは言葉を濁してくれ。
「ただでさえ、この動画のことを問い詰めようと思ったのに。学校中のみんなにすごい勢いで拡散されてるらしいよ」
希未はため息をつくと、スマホを指でタッチし、おもむろに画面をこちらに向けた。どれどれ、と戸羽君や白波さんも覗き込んだ。
手ぶれが激しいし、画質も余りよろしくない。
だが、ボイスはちゃんと録音されていた。残念なことに。
『ぼくをこんなに待たせるなんて、まったく貴女は悪い人だ』
『有り体に云えば、僕は君を手に入れる為には手段を選ばないって――昨日、言い忘れてしまったからね』
『だから、予約くらいはさせてもらうよ』
そうして、生徒会長が女生徒の髪を掬い上げ、口づけをしたシーンに差し掛かった瞬間、戸羽君が潰れた呻き声を上げた。
動画が終わると、希未はにっこり笑顔で私の肩に手を置く。
「これに映ってるの、八重だよね?」
何故だろう。笑顔なのに、とても怖い迫力。
「自白しちゃいなよー、ちな、目撃情報もでてるからね?」
私がそろそろと両手を挙げ、降参のポーズをとると。頬を赤らめた白波さんが「ほわーー」と魂の抜けたような声を出した。戸羽君は、なんだか灰色の顔色で吐きそうな顔をしていた。
「生徒会長は、八重に告白でもしたわけ?」
「滅相もない」
アンニュイに首を振ると、希未は続けた。
「では、これは一体どういう意味なのでしょーか?」
「生徒会長から白波さんと友達になってほしいと頼まれました!」
白状した。私は聖人君子にはほど遠い。サクラに抜擢ばってきしようとした会長の見る目がなかったのだ。裏工作を黙っていろと圧力をかけられたわけでもない。
へ、私!? と驚いたのは白波さんだ。
「東雲先輩、私が月之宮さんと友達になりたいの知ってたんだ……」
そりゃもう、迅速な手腕で私を梱包して、あなたの下へ速達でプレゼントにしてくれましたよ、ええ。宅配便屋なんか天職なんじゃないですかねー。
むむ、考え込んだ白波さんの言葉に、戸羽君が低い声を出した。
「狩猟の間違いじゃないのか」
わたしゃ野鼠か。哺乳綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ亜科の狐は、今頃高笑いしているに違いない。毛皮にされてしまえ。
「思いやり……なのかな……?」
そいつは半分以上私利私欲、残るは打算で構成されているんでしょう。ありがたがるな、迷惑じゃ。希未がバリバリと袋を開封し、荒々しく餡パンにかじりついた。芥子の実が散り、口いっぱいに頬張ったまま何事かを喋った。
「でも困ったわ、このままでは私みんなから誤解を受けたままよ。会長のファンから
哀愁を漂わせて、私は呟いた。
そんな自分を見て、白波さんが途方に暮れた顔になる。
「いいじゃねえか、そのまま付き合っちまえば」
「無責任なことを云うのね。……実は面白がっているのでしょう」
「面白がってるさ」
いけしゃあしゃあとそんなことをほざいた天狗に、私は作り笑顔で青筋を立てた。
「ひょんなんにゃら、ほっひにもひゃんひゃえがあるんにゃから!」
希未が大声を出した。
「呑み込んでから言ってちょうだい」
我が友人は餡パンを飲み込むと、どん!テーブルを拳で叩いて、空になった口を開いた。
重々しく、参謀・栗村希未は初めての指令をくだす。
「私に考えがあるよ。
とりあえず。八重、とっとと部活止めてきなさい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます