☆3 白き乙女と黒キツネ
この会話がきっかけになってしまったのだろうか。
三日後――何故か私と白波さんは無二の親友らしい、というまことしやかな噂が校内に広がっていた。たまに話しかけてくる白波さんに適当に返事を返していた光景が、どれほど迅速な伝言ゲームを経たらこのような変身を遂げてしまったのか。それに加えて、女子では白波さんしか口をきこうとしなかった戸羽君が、隣の席の私と希未にはやけに愛想がいいらしい。という評判まであるようで、私はすっかりまいってしまった。
「八重は、あたしのなんだよ!! 盗人猛々しい!」
荒ぶる友人も含めて。私をぎゅっと抱きしめて威嚇した希未に、矛先を向けられた白波さんはしょんぼり俯いた。
「あたしなんか毎日お弁当一緒に食べてるし、こないだの土日はショッピングしながら遊んだし、シャンプーにこだわりがあることも、八重のブラジャーのカップ数まで知ってるんだからっ」
……ねえ、私、そこまであんたに教えた覚えないんだけど?
「ちなみに、具体的には幾つ?」
「アンダー75のD!! ちょっと邪魔しないでよ、戸羽!!」
休み時間の想像しかったクラスに希未の怒声が反響した。静まり返る休み時間の教室。ひゅうっと戸羽君が乾いた口笛を吹いた。
「……ありゃ?」
じわじわと、羞恥に頬が熱くなっていくのを感じながら、私は希未の足を上履きで踏みつけた。勢いよくだ!
ぐりぐり力を入れると、自分が何を言ったのかにようやく気が付いた希未が、ぽかんと口を半開きにした。
「すっげえな、グラビアアイドルになったら教えてくれよ、月之宮」
黙らっしゃい、この色ボケ天狗が。「ぐら、ぐらびあ……」と顔を赤らめる白波さんのウブな反応を見習え!
「……なりませんからね」
「水泳の授業、申請出せば自由に水着選べるらしいぜ」
「何が言いたいのかしら」
「白波にスク水着せて、月之宮がビキニ着れば野郎にとっちゃ天国……っておい、栗村、なんでお前コンパスをこっちに向けてんだよ」
その不埒なセリフを聞いた友人はコンパスの針の部分を戸羽君に向けて、にこやかな氷の笑みを浮かべている。
なんで制服にコンパスなんかしまってんの、希未さん。
彼はちょっと引きつった顔をした。
「ふーん、そっかぁ。あたしの八重をそんな目で見てたんだぁ。公開処刑って、いい言葉だよね!」
「お前が言うと笑えねーよっ」
希未が武器を構えたため、観衆はこのやり取りを見なかったフリをして流すことにしたらしい。逃げる鳥羽を追いかける希未、という光景をぼんやり眺めていると……ようやく再起動した白波さんがぎこちなく微笑んだ。
「あの二人とも、随分仲がいいんだね」
「確か、同じ中学から受験したらしいわよ」
この高校に進学するまで、お互いあまり話したこともなかった間柄らしいけれど。と説明すると、なるほど。と白波さんが呟いた。
「なに?もしかして希未に嫉妬?」
「うーん、そんなんじゃなくって……。いえ、やっぱりそうなのかも」
彼女は希未を見て、少し羨望のこもった発言した。
「月之宮さんとそんなに仲がいいだなんて、羨ましいなぁ」
その言葉に私は少し寒気を覚えた。
「私、この間から月之宮さんにお願いしたいことがあったの」
白波さんは、ふにゃりと不安そうな笑みを浮かべて。気のせいか。
「どうか、私とお友達になってください」
その言葉は、どこか懇願に近かった。
――ちょっと我ながら呆れるほどにずるい性格をしている。白波さんからの真摯なお願いを「私、友達って感覚がよく分からないのよ……」と、儚げな雰囲気をつくって煙に巻いてしまったのだから。
咄嗟に練り上げた嘘だけれど、控えめで内気そうなお嬢様を演じるのはお手の物である。コツは口角の上げ方と俯き加減。後は睫毛を伏せてしまえばどーとでもなるもんだ、意外とね。
それにしても、彼女の方からこんな申し出があるなんて……。
噂をすれば影、とはこのことか……。ん?用法これであってたっけ?
とりあえず、一時的に彼女への回答を保留させてもらった私は、腕組みをして階段の壁に寄り掛かり思考した。夕方の掃き掃除の当番中、用具ロッカーにあった箒を抱えて――古いのか、けっこう穂先がとび出していたやつだ。
私の記憶では、確か白波小春と友達になるかどうかで、原作ゲームの展開が変化した覚えがある。その為早急に判断を下したくはなかった。
月之宮八重と白波小春の関係性によって、つまり悪役と主人公の立ち位置で陰陽師がアヤカシを殺す動機が違ってしまうはずで……そう、そうよ。
二人が友人になると、戦う理由は陰陽師としての義務感であったのが友人と離れたくない為に妖怪と殺し合いをするようになって……ああ、確か八重片思いルートは友人にならなかった場合だった。
どちらのルートも月之宮八重の死亡率は変わらないのだから選びようもないのだけど、私が算段していたのは、むしろ選択の放棄だった。
ゲームだと必ず、二、三択のどれかを選んでいかなくては時間ストーリーが進まないわけだけど――ゲームではあり得なかった、何もしないという行動でもこの世界の秒針は進んでいく。
【・なるべく事件イベントを起こさずに、白波小春や攻略キャラクターと関わり合いにならないように過ごしてみれば、この良くない状況から脱出できるのではないか?】
というかなり単純な発想と目標を、小難しく考えていくとこーなるわけだ。もちろん前提として、私から剣を抜いて襲い掛からないというのがあるけれど。
さてさて、関係者キャラクターたちの見分け方にもヒントはある。主人公以外のキャラクターは植物に由来した名前になっているのだ。佐藤さんとかこの学校に何人いると思ってるんだこの野郎、と製作者に思わなくもない。
――――栗村って苗字だってこの全国においては珍しいものじゃあないんだろうけれど。
本人が悪いわけじゃないけれど、私の友達である栗村希未もまた、ゲームキャラクターの一人なことは事実である。知らなければ名簿に埋もれてしまうくらいの普通なネーミングであるにも関わらず。
原作ゲームの『魅了しましょう☆あやかしさま!!』における栗村希未というキャラクターの役目は、人間のクラスメイトという立場から主人公の白波小春を応援することである。サポートキャラという奴だ。
朗らかで控えめに、現在の攻略対象者の好感度を教えてくれる情報通、という設定のはずなのだが……何故か一年次に同じクラスになってから。白波さんをほっぽらかして困惑する私にかまけてばかりいるのである。
希未さんの、お役目放棄っぷりも私に負けず劣らず。ヒロインのことを特になんとも思ってやいない(むしろ斜に構えたコメントを言うことが多い)ことが分かってからは、もう根負けして。やたら話しかけてくる彼女と2人でつるむようになった。
一人じゃないって不思議だ。
意外なことに希未と過ごす日々は悪くはないもので、どこか落ち着いた心境になったものだ。ゲームキャラクターの理想像からは乖離していたけれど、たまに胸のすくようなことを言ってくれる希未は私にぴったりの友人だった。
ずっと孤独だった自分。ようやくできた私の大事な友達。
だからこそ、油断していたといえなくもないけれど。
「おや、掃除をさぼってはいけませんよ」
……だれだろう?
降ってきたのは青年の声だ。
考え事から顔を上げると、偶然にも三階から書類を持って下りて来た一人の先輩がそこにいた。
足を止めた男子生徒とは、これまで会話もしたことがない人物だったので驚いたが、月に何回かは朝会で拝んでいる人物であったので、名前も正体も私はちゃあんと存じ上げていた。
私立慶水高校三年。生徒会長、東雲椿。二年次から継続して会長職を務めるこの学校の天才で、女子のファンクラブまであると聞く。
……そして、彼こそが一年の春に私がダストシュートに放り込んで焼却処分した例の初恋の君(笑)であるわけで。
年齢不詳の妖狐である東雲先輩と視線が合ってしまった現在、愛想笑いを返しながらも、内心では顔を歪めたい気持ちになった。
「二年の才媛も、掃除をサボることがあるとは。珍しいものを見てしまいました」
面白そうな目でこちらを見つめている。彼の白金髪が窓から差し込む夕日に反射していた。春夏秋冬を通して、ひんやりとした風情をしている男は、くすりと笑う。
私は、どう反応したらいいものかと困惑に首を傾げる。
「まさか、会長様が私のことを覚えてくれていたなんて思いませんでした」
とっくに醒めた初恋の君とは話す機会もないと踏んでいたのだ。
「君は自分が平凡な生徒だって思ってるの?……まさかね。
月之宮グループの社長令嬢で、去年から主席を巡ってあの戸羽と接戦をしていることはみんな知っていることでしょうに。君の噂はよく三学年棟でも耳にしますよ」
「そーですか」
思わず素っ気ない棒読みで返事した私に、彼は笑い声を上げた。
「けっこういい性格してるんだね。
褒められたのに随分と平然としている。逆に謙遜しないとこがいいなあ!!」
「はぁ……」
どこがツボに嵌ったのか分からないけれど、狐さんはすこぶるご機嫌だ。
「くく、もっと早く話しかけたら良かったですね。実は常々お話したいと考えていたんですよ」
「……それは、なんでまた」
「生徒会顧問の柳原先生の秘蔵っ子だということは知っていましたからね。生徒会の仕事の最中にたまに話題にされることがあるので」
あの担任、なんつー相手と噂話してんだ。
東雲先輩の眦がゆるりと下がると、私に右手を差し出してきた。しぶしぶ友好的な握手に応じると、彼はにこやかに言う。
「ちゃんと事情は知っていますよ。
こんな素敵な女性なら喜んで、白波さんを愛でる会に歓迎しましょう」
黙りやがれ。このキツネ野郎。
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