第十一章 湯女無惨 ⑥
瓢箪から駒、という言葉がある。お志乃と体の関係を持った男は、若い侍の中にも増えてきていた。猪上の話が、後追いで現実になったわけである。安針はというと、透視でお志乃の「技」をせっせと盗みながら、いざというときのためにどう「始末」すればいいのか思案を重ねていた。
それにしても多情な女である。くノ一として世を乱すという勤めを果たす以上に、お志乃は男を求めていた。使う側から言わせれば、持て余し者でもあったのだ。江戸の賀茂十兵衛が「捨駒」として投入を命じた結果、配下が選んだのがお志乃だった。考えようによっては、適任と言えなくもない。投入されたまま放置され、江戸の目は他藩に向いた。いわば火種を処理させられることになる安針たちは、いい迷惑だ。
湯屋の主を目を盗み、昨夜も男を堪能したお志乃は、翌朝一番に安針の診療所に顔を出した。体の疲れが取れないから鍼を打ってほしいというのである。他の湯女の噂では、安針も立派なモノを持っているらしい。そう聞いたお志乃は、それを味わいたいと思っていたのである。
「こちらにうつぶせになってくださいな。鍼を打つところ以外は、布をかけておきますね」
世話役のお吟が、手際よく準備を進める。それを制したお志乃が微笑んだ。
「あら、あたいは湯女だよ。今更裸を恥ずかしがるようなことはないさ。このまんまでいいよ。先生を呼んでおくれ」
気持ちよく脱ぎ散らかしたまま、お志乃は横になった。勢いに負けたお吟は、裸のままであることを告げた上で安針を呼ぶ。一通りの施術が終わったが、途中で聞こえてくる艶めいた声に、お吟の心はざわついた。
「さて、これで終わりましたよ。お吟さん、お願いします」
「先生、ちょっと待っておくれよ。もう少し・・・・・・いいだろ?」
裸のお志乃の声を聞いたお吟は、そのまま障子を開けた。お志乃が安針の手を取って自分の胸に当てている。
「先生、この後、網元のところに行かれることになっているのでは? そろそろお支度をお願いします」
自然に体を離した安針の横で、悔しそうなお志乃がお吟を睨みつけていた。
* * * * * * * * * *
お吟を睨みつけたお志乃の様子には、安針も気づいていた。帰りには気をつけるように声を掛け、黒田屋の衆や町方にも、この日のことを伝えておいた。だが、お吟だけに気をつけておくことは難しい。数日後、診療所になかなか来ないお吟を探してもらっていた黒田屋の衆が、長屋の端にある部屋で死んでいるお吟を見つけた。外から声を掛けても出てこないため、長屋に住む者といっしょに中をのぞいて見つけたのだ。桶の水に顔を突っ込むようにして事切れていたお吟に、暴れたあとはない。部屋に微かに残る香りの他は、何も残っていなかったと言う。
亡骸の検分が終わり、安針たっての希望で、経を上げて弔うことになった。短い間とはいえ診療所で働いていたお吟である。かつて共に働いていた湯女も、手を合わせにやってきた。この日ばかりは、あのお志乃もしおらしい態度である。
「お気の毒にねえ・・・・・・でも、惚れた男にこうやって弔ってもらえるなんて、お吟さん幸せだったのかもしれないねえ」
手を合わせながら呟くお志乃の姿に、眉をひそめる者も少なくなかった。だが、面と向かってそれを咎める者もまたいなかった。若い男に人気のあるお志乃も、女たちにとっては目の敵だった。どこかで緊張の糸が切れてしまいそうな雰囲気で、ささやかな葬儀が終わった。
一通り終わった後、安針は久しぶりに黒田屋の暖簾をくぐった。宵闇が迫っている。奥に招かれ、兄の清右衛門、手代の利吉と佐吉の三人と向かい合う。最初に口を開いたのは清右衛門だった。
「お前がここに来たってことは、もうあらかた分かってるってことでいいんだね」
そう尋ねられた弟が答える。
「お志乃は『くノ一』です。体術は大したことありませんが、お香や薬を使って自由を奪い、相手の心をくじいたり殺したりできます。男たちを骨抜きにしたのも、お吟を殺したのもあいつですよ」
「確たる証はないが、それでも『始末』するつもりかい?」
「『始末』の掟を違えることはできませぬ。まっとうに生きる者のじゃまは、誰にもできないんですよ」
幼い頃から、弟の不思議な力で失せ物を見つけてもらった清右衛門である。運河の普請でも、人足を殺めた男をつきとめたのが安針だった。その安針が「始末」の掟を理由に言い出したことを、始末屋を束ねる者として否定できない。
清右衛門は、腹をくくった。相手は公儀である。勘定奉行にも根回しが必要だろう。幸いなことに、お志乃にはろくな噂がない。ある程度の「理由」なら、どうにでもできると考えた。
「いいだろう。藩に上げる分は、私に任せておくれ。お吟の他に『忍び』はいないのかい?」
「つなぎの薬売りは、来月にならないと来ないはずです。猪上様の奥方の薬を持ち込んでいる男ですが、猪上様の前では、まっとうな振る舞いをしているようです」
「公儀にしてはお粗末だね。まるっきり捨駒の扱いじゃないか。『始末』のやり方さえ目立たなければ、何とかなりそうだね。利吉に佐吉、手伝っておやり」
頭を下げた二人が部屋を出る。ある程度必要な人員については、路地の要所に潜ませるだけで済む。安針は一本の「獲物」を手に、夜の住人となった。目指すは、湯屋の裏口である。
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